太田述正コラム#9435(2017.11.1)
<定住・農業・国家(その14)>(2018.2.14公開)
 (8)スコット批判
 ある書評子は、次のような著者批判を行っている。(注23)
 (注23)読者のTDKさんが、私が求めたWSJの記事をPDF化して送ってくれることになり、今回、初めて、コラムで用いる運びになったところ、引用したい箇所を逐語訳するのは、英文を書き写した上で作業をする必要があるが、面倒なので、PDF上の文章を見ながら、直接、意訳的に要訳することにした。
 今後とも、WSJの記事については、原則としてそうすることとしたい。
 そのうちの主要なものは、以下の通りだ。
 [第一に、メソポタミアの文字よりも古い、紀元前4000年紀の支那の土器に描かれている、賈湖(Jiahu)半坡(Banpo)<(注24)>
 (注24)賈湖は、河南省の黄河の近くに位置する新石器時代の裴李崗文化(Peiligang culture)の遺跡。(別個の文化とする少数説もある。)
 出土した土器の表面に描かれている記号は、甲骨文字に類した文字であると考えられている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jiahu
https://en.wikipedia.org/wiki/Peiligang_culture
https://en.wikipedia.org/wiki/Neolithic_signs_in_China
 また、半坡は、賈湖より上流の西安近くの黄河渓谷に位置する新石器時代の仰韶文化(Yangshao culture)の遺跡。
 出土した土器の表面に描かれている記号が、甲骨文字に類した文字なのか、単なる記号なのか、論争が続いている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Banpo
https://en.wikipedia.org/wiki/Yangshao_culture
https://en.wikipedia.org/wiki/Neolithic_signs_in_China 前掲
 第二に、穀類だけを取り上げていて、アンデス地域高地における(国家形成につながったところの、)じゃが芋への言及がない。<(注25)>
 (注25)「当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていたが、ワマン・ポマが1615年に残した記録やマチュ・ピチュの段々畑の史跡研究、気象地理条件、食生活の解析など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2
 第三に、ジェネラリストによる統治である酋長制(chiefdom)<(注26)>、と、官僚制統治である国家、の違いを無視している。
 (注26)酋長制は、欧米人類学上の文化的進化尺度おける、部族制(tribe/band society)と国家(state/civilization)の中間形態。
https://en.wikipedia.org/wiki/Chiefdom
 ちなみに、「酋長とは、主に未開の部族の長をいう。そもそも「未開」という認識そのものが差別であり、侮蔑的な語であるとして、現在では使用が忌まれる傾向にあり、主に「首長」、「部族長」などの語に置き換えられる傾向にある。また部族名を冠して、「部長」という呼称を用いるときもある(ケレイト部長など)。酋とは元は「かしら」「すぐれる」「熟した古い酒」「酒を司る官」という意味であり、特に差別的な意味合いは無かった。だが、16世紀の明において、当時のイギリスのエリザベス女王が女性である事より、当時の儒教的価値観からこれを「王」とは認めず、「酋」と記録した。これ以降、侮蔑的な意味で「酋」が使われるようになり、未開部族の長を「酋長」と呼ぶようになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%8B%E9%95%B7
 第三に、初期国家は短命であったとしているが、王朝は代わっても政治的諸伝統は続いたことに照らしていかがなものか。
 古代エジプト、漢から清に至る支那、紀元前3世紀から紀元後10世紀のマヤ、は、それぞれ、同質の政治的伝統が続いた。](E)
(続く)