吉田ドクトリンを破棄して集団的自衛権の行使を

日本の公的債務残高の対GDP比は先進国で最高となり、一方、ここ数年で日本の人口はピークに達し、それ以降、つるべ落としに減っていきます。国の借金の累積と人口の減少の二つが、長期化した経済停滞下で同時に起こりつつあります。

このどこが問題なのかと反論される方もおられることでしょう。経済が停滞しているとは言っても、日本の一人あたりGDPは世界有数の高さで、公的債務だって、日本は世界一の債権国であって、外国に借金をしているわけではない。少子化だって、こんな混雑した日本は、むしろ人口が減った方がいいのかもしれない。

しかし、問題は、より根元的なところにあると考えます。

NHKのテレビ番組「その時歴史が動いた」では、福沢諭吉を取り上げていました。 この中で、第二次世界大戦の末期にアメリカは、自由が無く、また、民主主義もない日本が敗北するのは必至だと日本国民に呼びかけるため、福沢諭吉の言葉を引用し、「個人の自立なくして国の自立なし」と記したビラを米軍機で日本上空から撒いたという話が出てきました。

これについては、戦時中に国民の自由がある程度制約されるのはいかなる国においても当然だという見方もできるかもしれません。当時の日本に民主主義がなかったかどうかもむつかしいところです。

いずれにせよ、問題なのは、当時の米軍も現在のNHKも、福沢の言葉の趣旨を正しく紹介していないことです。福沢が強調したかったのは、あくまでも国の自立の方であり、彼は個人の自立はそのための重要な手段の一つないし結果に過ぎないと考えていたのです。

それは良く考えてみれば当たり前の話であり、およそ国の自立が無いところに個人の自立など成立するはずがありません。

戦後の日本は、個人の自立の前提である国の自立を先延ばしにしたまま、ずるずると現在に至ってしまいました。国が自立しているということは、日本の外交・安全保障について、自分の頭で考えることが法的に可能、かつ実際に自分の頭で考えているという状態です。

日本の安全保障にとって日米安保条約は不可欠な存在ですが、日本は、この条約の下で、安全保障のことをアメリカにまかせきりにし、真剣に考えないまま現在に至ってしまったのです。

その結果、何が起こったか。国のリーダーの払底です。およそ、国のリーダーたるもの、国家の存立に関わる外交・安全保障問題に携わることによって、鍛え上げられるというのが世界の常識です。 その機会を与えられないまま、というよりその機会を自ら求めないまま戦後半世紀以上を漫然と過ごしてしまったからリーダーが払底してしまったのです。

このことが、国内外経済情勢の構造的な変化を読みとり、機敏に国の経済政策の舵を切るべき国家経済に係るリーダーの払底にもつながり、バブルの発生とその崩壊以降の日本経済の停滞がもたらされました。 結果、その日本経済の停滞から脱却する手段として、公共事業重視の財政政策をただひたすらに継続、国の債務は天文学的な数字に達してしまいました。

それだけではありません。 地域や企業、そして国民の多くもまた、国のリーダー達の姿に右へ倣えして、自立を忘れました。 いや、国が自立していないのに、地域や企業、そして個人に自立しろと言う方が無理な相談でしょう。

日本には何千もの地方自治体がありますが、自治体とは名ばかりで、政府の交付税交付金と補助金頼みの半自治体ばかりです。

また、かつて、被規制産業であった業種や護送船団方式の下にあった業種、或いは公共事業によって支えられてきた業種の企業人の多くはいまだに政府頼みの姿勢が抜けきらない有様です。

更に、世の男性達の多くは仕事を理由に女性に家庭を任せきりで、地域社会運営・家庭・子育ての責任等を分かち合おうとはしない。女性の多くは家庭・子育てに逃げ込むか、そこから逃避することになる。 国も自立していないし、地域も多くの企業も、はたまた男性も女性も自立していないわけです。

このような中から、青少年のひきこもり症候群や、若い女性を中心にしたいわゆるパラサイト・シングル現象が蔓延してきているのではないでしょうか。 だからこそ、少子化傾向が、他の先進国には見られない形で急速に進行し、オーバーシュートして行っているのです。人口が減少に向かう背景には、多くの国民における自立心の減退があるように思います。

要するに、国の自立を先延ばしにしてきたつけが現在の日本の閉塞状況となって現れているということだと考えます。

私は、現在のこの閉塞状況を打破するため、微力ながら立ち上がることといたしました。

アメリカからの独立

まず、打破すべきは、戦後、自民党政権が一貫して堅持してきた、いわゆる「吉田ドクトリン」です。吉田ドクトリンとは、日本の安全保障を米国に依存し、日本はもっぱら経済成長に専念するという国家戦略であると言っていいでしょう。

吉田さんご自身は、晩年、占領下の一時期とは言え、ご自分が総理であった時に、後に「吉田ドクトリン」なる名前がつくことになる政策をとったことを厳しく反省しておられます。

この国家戦略の下、その必然的結果として、日本は、道義がすたれたカネまみれの国になってしまいました。沖縄をご覧下さい。 米軍基地の重圧にあえぐ沖縄県民をなだめるために政府は、公共事業を中心に多大のカネを沖縄に投じてきましたが、基地問題は解決したでしょうか。沖縄の人々は幸福になったでしょうか。

その米軍に対し、政府は、米国の同盟国の中で飛び抜けた額の何千億円もの駐留経費負担を行ってきていますが、米軍は本当に喜んでいるのでしょうか。

むしろ、米軍が日本から引くに引けないという状況を生みだしているだけではないのでしょうか。日本政府から提供される潤沢なカネは米軍人を堕落させているのではないでしょうか。

私は、「吉田ドクトリン」を打破するため、自民党を解体して政界再編をなしとげ、同時に防衛庁の大改革を断行した上で、憲法解釈を変更し、日本が集団的自衛権を行使できるようにするとともに、駐留経費負担の諸外国並みへの削減を行いたいと考えています。

このことによって、初めて日米関係を損なうことなく在日米軍基地の大縮小が可能となり、我が日本の自立の条件が整うと考えます。

同時に実現しなければならないのは、地域や企業、更には個人が自立した社会の実現です。

道州制と規制緩和

日本の明治維新が実現したのは、幕末当時の日本が沢山の藩に分かれ、それぞれの藩が切磋琢磨し、産業の振興を行い、人材を輩出していたからです。 私は、今こそ道州制を導入し、道州への政府からの大幅な権限委譲を行い、日本を再び活力ある社会にしたいと考えています。

企業については、企業会計制度のグローバル・スタンダード化により、企業財務の透明性を高め、コーポレート・ガバナンスの確立を図るとともに、規制改革を推進し、規制緩和とセーフティーネットの構築を図ります。

男女共同参画社会

日本にとって残された最大の資産は女性です。女性の能力と意欲を最大限に引き出すことなくして日本の将来はありえません。 そのためには、男と女が共に自立した真の男女共同参画社会を実現する必要があります。

私は、期間を限り、働く女性に対するアファーマティブ・アクションを実施する等の積極的な施策を打ち出して行く必要があると考えます。

また、親と子供双方の自立をうながすためにも、育児・介護の社会化を一層推進するとともに、環境・財政等の面で子供たちの世代につけを残さないような施策を講ずるべきであると考えます。

国の自立と地域・企業の自立、そして個人の自立という私の主張に共感を覚える方々は、ぜひとも私に力をお貸し下さい。