太田述正コラム#9949(2018.7.16)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その27)>(2018.10.30公開)

 「・・・出雲ナンバーワンの神といえば、いうまでもなく杵築(きつき)大社(出雲大社)に祀られるオホナムチである。
 出雲国風土記の中でも、圧倒的に第一位の登場回数を誇っていて、遅くとも風土記編纂の時代には、その名が出雲国の全体に知られていたと思われる。・・・

 (注66)「大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、長旅の疲れからか少彦名命が急病に苦しんだ。大国主命は大分の「速見の湯」を海底に管を通して道後へと導き、小彦名命を手のひらに載せて温泉に浸し温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだ少彦名命は石の上で踊りだしたという。この模様を模して、湯釜の正面には二人の神様が彫り込まれている。また、その上で舞ったという石は、道後温泉本館の北側に「玉の石」として奉られている。こちらにも、白鷺同様、命の「足跡」と伝えられる跡が残っている。なお、有馬温泉、玉造温泉ほか全国の各地に類似の伝説がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%8C%E6%B8%A9%E6%B3%89

⇒防衛庁時代に「出張」で松山市を訪れた際に、道後温泉にも連れていかれ、同行者と一緒に入浴したけれど、確か、この類の話はしてもらえなかったような・・。(太田)

  オホナムチとスクナヒコ<(注67)>・・・のコンビは、・・・『伊予国風土記』(逸文)には道後温泉の起源となる伝承を残している。

 (注67)「スクナビコナ<)スクナヒコ)>は、国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%93%E3%82%B3%E3%83%8A
 「日本神話では、スクナビコナの神が天之蘿摩船(あまのかがみのふね)に乗ってきたといい、これはガガイモの実を2つに割った小さな舟のこと。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2

 オホナムチという神名は、オホ(大)+ナ(地)+ムチ(貴)であり、貴い大地の神の意であろう。
 その相棒のスクナヒコは小さな神として登場することが多く、穀物の種の神だとするのが定説である。
 オホナムチはどの文献においても国作りの神に相違ないのだが、もともとは種の神と一緒に活動するような農地開拓の神であったと思われる。・・・
 <大和王権当局は、>オホクニヌシの五つの神名<(注68)>は一つ一つが本来別の神格であった。

 (注68)「大国主は多くの別名を持つ。
大国主神(おおくにぬし の かみ)・大国主大神 – 根国から帰ってからの名
大穴牟遅神(おおなむち-)・大穴持命(おおなもち-)・大己貴命(おおなむち-)・大汝命(おおなむち-『播磨国風土記』での表記)・大名持神(おおなもち-)・国作大己貴命(くにつくりおおなむち-)
八千矛神(やちほこ-) – 須勢理毘売との歌物語での名
葦原醜男・葦原色許男神・葦原志許乎(あしはらしこを) – 根国での呼称
大物主神(おおものぬし-)-古事記においては別の神、日本書紀においては国譲り後の別名
大国魂大神(おおくにたま-)・顕国玉神・宇都志国玉神(うつしくにたま)- 根国から帰ってからの名。現世の国の魂の意
伊和大神(いわ の おおかみ)伊和神社主神-『播磨国風土記』での呼称
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ) – 出雲国風土記』における尊称。
地津主大己貴神(くにつぬしおおなむち の かみ)・国作大己貴神(くにつくりおおなむちのかみ)- 祝詞『大国神甲子祝詞』での呼称
幽世大神(かくりよ の おおかみ)- 祝詞『幽冥神語』での呼称
幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)
杵築大神(きづき の おおかみ)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BB 前掲
 最初のものを除いても、五つならぬ十一もあるのだが・・。

 それを「亦の名」として一神にまとめ、「大国主神」という新しい神格を作りだしたのであった。
 またオホクニヌシ(オホナムチ)とスサノヲを直系の系譜で結んだのも大和王権の<神話>の仕業であった。

⇒すぐ上の二つのセンテンスの典拠・・一次史料が本来必要だが、少なくとも二次史料・・を松本はあげるべきでした。
 私には、大和王権当局が、無からオホクニヌシを創作したとは想像できないのですが・・。
 いや、そんなことだったら、松本が力説するところの、「神話力」がオホクニヌシに関して生まれるはずがないでしょう。(太田)

 このように古事記は、出雲の国作りの神であるオホナムチを、同じく出雲のスサノヲを通す形で、制限つきのオホクニヌシとして公認し、利用したのである。
 オホクニヌシは天下の完全なる統治者ではないものの、正当なる国の王であった。
 だからこそ、それが皇祖に譲り渡した国の支配権は確かなものなのだという具合に。」(220~221、224)

⇒ここは、もっともらしく感じられます。(太田)

(続く)