太田述正コラム#13054(2022.10.13)
<渡邊裕鴻ら『山本五十六 戦後70年の真実』を読む(その5)>(2023.1.7公開)

 「・・・<1931年、>時の野党政友会を率いる犬養毅は、鳩山一郎らとともに、民政党の濱口内閣を攻撃する口実として、<海軍内の艦隊派、条約派>の対立を政争に利用した。・・・
 いわゆる「統帥権干犯」問題である<(注6)>。・・・

 (注6)「犬養は政友会総裁として代表質問に立ち、軍令部が反対する兵力量では国民は安心できないと政府に詰めよった。総務の鳩山一郎は、政府が軍令部長の意見に反し、またはこれを無視して回訓を決定したのは統帥権干犯のおそれがあると政府を非難・追及した。・・・
 犬養は必ずしも反軍的な政治家ではなかったが、古参の政党政治家として軍縮等を主張してきた。その彼が・・・兵力量の決定という最も重要な国務を内閣の所管外であるかのように説いたのは、政党政治家の自殺行為に等しいものだった。この点、当初から親軍であった鳩山一郎や森恪が統帥権干犯を主張するのとは異なる重みがあった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E6%AF%85

⇒犬養が政争の具として海軍内の対立を利用した「だけ」なのに対し、鳩山一郎は、東大法出としての憲法の知識を悪用して統帥権干犯なるものを言い出すことで、兵力量の決定を、事実上、恒久的に国会から軍部に白紙委任する「法的」な錦の御旗を陸海軍に与えたのであり、そういう意味においては、鳩山の責任は犬養よりもはるかに重大だと言うべきでしょう。(太田)

 <同年>9月18日、・・・満州事変<が起きる>。
 事件は、満州を軍事支配することを狙った関東軍高級参謀の板垣征四郎大佐と、関東軍作戦参謀の石原莞爾中佐が惹き起こした謀略であった。・・・

⇒同年3月の三月事件から、杉山構想が実施に着手され、満州事変もその一環だった、というのが私のスタンスである(コラム#省略)ところ、その事変後の満州に翌1932年に派遣されたのが岩畔豪雄であり
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%95%94%E8%B1%AA%E9%9B%84
(及び、コラム#13036)、これが対英米戦劈頭の1941年における、マレー方面部隊指揮官、次いで、岩畔機関長、としての活躍に至る、岩畔の八面六臂の働き(コラム#省略)の始まりになるわけです。(太田)

 満州事変の戦火は、上海にも飛び火した(第一次上海事変)。
 しかしそれは、関東軍の満州征圧に対する国際的な批判をそらすために計画されたものだった。
 そのきっかけとなった日本人僧侶襲撃事件も、<上海>駐在陸軍武官の田中隆吉少佐らの謀略であったことが、今日では明らかになっている。

⇒明らかになぞなっていません!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%83%A7%E4%BE%B6%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6 (太田)

 昭和7年(1932)、日本租界の居留民保護を任務とする第三戦隊(軽巡洋艦・駆逐艦部隊)が、急遽上海に派遣された。
 このとき堀司令官は、ただちに反撃を命ずるのではなく、一時避退したのちに反撃に転じた。
 堀は、まず居留民の安全を確保し、あわせて国際公法を遵守するため、あえて一旦後退。
 民間人に被害が及ばぬよう付近の外国船舶等に攻撃を予告し、さらに砲台以外の民家に被害が及ばないよう精確に照準させて砲撃したのだった。
しかし、この堀の行動に対し、堀を快く思わない艦隊派は、ここぞとばかりに攻撃を開始する。
 「戦闘準備を怠っていた」との一方的な非難が堀に向けられた。
 艦隊派の中心人物とされる加藤寛治の日記には、堀司令官座上の旗艦軽巡「那珂」航海長の話として「堀の呉淞砲台初発の時、何等戦闘準備を無しあらずして周章狼狽惶抜錨逃亡せりと云ふ」と記されている。・・・
 一方、堀司令官指揮下の軽巡「由良」の谷本馬太郎(またろう)艦長は「司令官の判断に一点の非難すべき点はない。現状を認識せず、ただ堀さんを陥れんがための非難である」と憤慨していたという。」(91~95)

⇒「1932年、上海市郊外に、蔡廷鍇の率いる十九路軍の一部(第78師)が現れた。十九路軍は3個師団(第60師、第61師、第78師)からなり、兵力は3万人以上である。十九路軍は江西省での紅軍との戦闘で損耗し、再編成のために南京、鎮江、蘇州、常州、上海付近に駐留した。・・・
 蔡廷鍇は、給与が支給されるまでは去らないと通告した。しかし、蔡廷鍇の目的は未払いの給与の支払いだけではなく、繁栄を極めていた上海の街を手に入れようとしているというのが共同租界防衛委員会の全員の意見だった。・・・
 <日本の>海軍省は「十九路軍は南京政府の統制に服するものではない。今回の上海事変は反政府の広東派及び共産党等が第十九路軍を使嗾して惹起せしめたるものと云ふべきである。斯の如く支那特有の内争に基き現政府に服して居らぬ無節制な特種の軍隊が軍紀厳粛なる帝国陸戦隊に対し、国際都市たる上海に於て挑戦し租界の安寧を脅かして居ることは、実に世界の公敵と云ふべきであって、我は決して支那国を敵として戦って居るものではなく、此第十九路軍のやうな公敵に対して自衛手段を採って居るに過ぎない。」として正当であると訴えている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89
といった具合に、相手が国内法も国際法も無視する武装反社集団である以上、日本側だけが国際法を守っても仕方がないのであって、相手の武力の行使に対しては、即時、反撃すべきなのです。
 艦隊派だろうが誰であろうが、堀が批判されるのは当然です。(太田)

(続く)