太田述正コラム#15090(2025.7.26)
<丸橋充拓『江南の発展–南宋まで』を読む(その15)>(2025.10.21公開)
「・・・元和中興をなしとげた英主憲宗<(コラム#13702)>は、ささいなことから側近の宦官に恨まれ、その手にかかってあえなく落命した。
これ以後、宦官は権力をわがものにし、皇帝の廃立さえ思うままに行うようになる。
唐末の宦官楊復恭<(注44)>(ようふくきょう)の「定策国老、門生天子」(国策決定の中枢にいるのは宦官で、天子はその弟子に過ぎない)という豪語に、彼らの強盛ぶりがよく現れている。
(注44)?~894年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E5%BE%A9%E6%81%AD
彼らの力の源は、神策軍<(コラム#14184)>の武力と内庫・・皇帝の私的在庫・・の富力にあった。・・・
宦官の専権はただ放置されていたわけではなく、士大夫たちが武力を用いて巻き返しを図ることもあった。
しかし、・・・反宦官の動きは結局常に押さえ込まれた。
⇒そもそも、当時の最強の軍であるところの皇帝直轄軍を掌握している相手に対して、それ以外の勢力が、少々武力を有していたとて、権力闘争で勝利を収めることができるわけがありません。(太田)
事がうまく運ばぬ最大の原因は宦官の軍事力にあったが、士大夫たちが一枚岩でなかったこともその一因だった。
820年代から840年代ころ、彼らは派閥間の足の引っ張り合いに血道を上げていた。
牛僧孺<(注45)>(ぎゅうそうじゅ)派と李徳裕<(注46)>(りとくゆう)派による、いわゆる牛李党争<(注47)>である。
(注45)779~849年。「貞元21年(805年)の進士。・・・「牛李の党争」を引き起こした。会昌3年(843年)、李徳裕の李党が権力を握ると、牛僧孺は循州員外長史に左遷された。会昌6年(846年)に宣宗が即位すると、李党は排斥され、大中元年(847年)に牛僧孺は朝廷に召還されて太子少師となった。その後、李徳裕は崖州司戸として配所で逝去し、牛李の党争は牛党の勝利に終わった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E5%83%A7%E5%AD%BA
(注46)787~850年。「憲宗朝の宰相であった李吉甫の子である。・・・科挙に応ずることを良しとせず、恩蔭によって校書郎となった。元和15年(820年)、穆宗が即位すると、翰林学士となった。次いで、長慶2年(822年)には中書舎人となった。その頃より、牛僧孺や李宗閔らと対立し始め、「牛李の党争」として知られる唐代でも最も激烈な朋党の禍を惹起した。また、後世の仏教徒からは、道士の趙帰真と共に「会昌の廃仏」を惹起した張本人である、として非難されている。敬宗の治世に浙江西道観察使となって、任地に善政を敷き、帝を諌める等の功績があった。文宗の即位後、大和3年(829年)に兵部侍郎となった。時の宰相の裴度は、徳裕を宰相の列に加えるよう推薦した。しかし、李宗閔が、宦官と結託して先に宰相の位に就いた。逆に、徳裕は、鄭滑節度使として地方に出された。淮南節度使在任中の開成4年(839年)には日本からの留学僧円仁から天台山留学への便宜を要請されているが、節度使の自立が進んだ現状では勅許は出ないだろうとする見通しを示している。実際、勅許は下りず円仁は「不法滞在」の形で天台山を目指すことになる。開成5年(840年)、武宗が即位すると、徳裕が宰相となり、地方の藩鎮の禍を除いた。その功績により、太尉衛国公となった。しかし、宣宗が即位すると、再び、潮州司馬、さらに崖州司戸参軍に左遷され、そこで没した。晩年に武宗の治世に宰相となり、のちに政敵のたくらみのため崔州司馬に貶せられた人であるが、一方で白楽天とともに唐代の造園大家として、陳植氏は『中国造園家考』のなかで造園史上の8大家の一人にあげている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%BE%B3%E8%A3%95
(注47)「唐代の憲宗朝から宣宗朝(808年から849年)にかけて起こった、朝廷内部での政治闘争。牛僧孺・李宗閔の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ、政治的混乱をもたらし、唐滅亡の要因となったと評される。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E6%9D%8E%E3%81%AE%E5%85%9A%E4%BA%89
各派を結びつけていたのは、科挙合格時の試験官と受験生の関係、あるいは科挙の同年合格者の縁などであった。
これまた一種の「幇の関係」である。」(91~92)
⇒牛李党争が、(反宦官ではあれ、)国制や基本政策に係る政治闘争ではなかったところに、その非生産性があった、と、言っていいでしょう。(太田)
(続く)