太田述正コラム#15290(2025.11.3)
<清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』を読む(その11)>(2026.1.28公開)

 「・・・北・中部イタリアの主要都市は、すべて市壁外に広大な農村領域(コンタード<(注19)>)を有する領域国家であった。・・・

 (注19)「ロンバルディア同盟の諸都市・・・コムーネ・・・は司教区の範囲をそれぞれの都市の領域として相互に尊重するという約束をした。この領域がコンタードcontadoであり,各都市はコンタードに根を張っている領主層を武力をもって征服し,彼らに都市移住を強制することによって領域支配の拡大を図った(コンタード征服)。コンタードには大小があるが,日本の小型の県程度の広さを持つ場合が多い。」
https://kotobank.jp/word/%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%9F%E3%83%BC%E3%81%A9-3180983#
 「ロンバルディア同盟(伊: Lega Lombarda)は、1167年に結成された北イタリア・ロンバルディア地方を中心とする都市同盟。北イタリアの支配を図った神聖ローマ帝国(ホーエンシュタウフェン朝)皇帝フリードリヒ1世に対抗し、ローマ教皇の支援を受けて結成され、教皇派と皇帝派の抗争における教皇派(ゲルフ)の中心となった。加盟都市はミラノ、クレモナ、ボローニャなどであるが、時期によって変動がある。軍事同盟として発足したが、のちには経済同盟の性格も持つようになった。
 1226年、フリードリヒ1世の孫にあたるフリードリヒ2世が北イタリアに侵攻した際に再度結成される(第二次ロンバルディア同盟)。・・・リードリヒ2世は、ロンバルディア同盟に対し帝国アハト刑を宣告した。・・・
 1250年にフリードリヒ2世が死去すると、同盟も消滅した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%90%8C%E7%9B%9F
 「帝国アハト刑<(Reichsacht)>に処せられた者は、帝国内における全ての法的権利や財産を剥奪される。受刑者は基本的に死人とみなされ、誰との交流もできず、援助もされない。恩赦によってのみ救済され得る過酷な刑罰であった。
 神聖ローマ帝国内の領主はたびたびこの刑を受けた。対象となった領主の領邦は周囲の領邦から征服されることになったばかりではなく、その領民もその保有する債権を破棄される好機として利用されることがあった。マルティン・ルターもこの刑を受けたことで有名である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%8F%E3%83%88%E5%88%91

 したがって、北西ヨーロッパの都市にみられるような「都市法」という特殊な法の適用を受けるもの」という意味での市民概念は、実体的な意義を持っていなかった。
 都市居住者も、農民も、基本的には都市法に服すことになっていたのである。・・・
 中心に完全な権利を有し、実質的に都市政治を左右している「真の市民」がいる。
 その外側に課税基準額に従って都市に直接税を納付している市民がおり、さらに外側には、課税基準額は持っていないが、一応、教区共同体のメンバーとして認められ、教区レベルの臨時税を課される人びとがいる。
 ここまでが共同体のメンバーとしての「市民」といいうるであろう。
 さらにその外側に、きわめて流動的であるがゆえにまだ教区共同体のメンバーとは認められない傭兵、下層労働者、放浪者などがいた。
 その他に、他都市からやってきた「外国人」商人や職人、それにユダヤ人など、経済的には富裕であっても別個の共同体に属している人びとが数多く存在した。・・・」(86、92~93)

⇒どちらも緩くだが、権力を持つ皇帝と権威を持つ教皇、の存在、を除けば、中世の北部・中部イタリアの状況は、かつての古典ギリシャ期の状況と良く似ている、という感があります。(太田)

(続く)