太田述正コラム#3539(2009.9.22)
<よみがえるケインズ(その3)>(2009.10.24公開)
4 ケインズ経済学の「超克」
 「・・・<ケインズの経済>モデルは、インフレと失業が同時にやってきてケインズ主義の諸手段が我々を救うことができなかったため、1970年代に次第に消え失せた。
 サッチャーとレーガンの革命が政治世界を乗っ取るとともに、自由市場モデルが再び経済学を乗っ取った。
 ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)(スキデルスキーは彼のことを「シカゴの地の精(gnome)」と呼んだ)は新時代の預言者となり、ケインズは経済学者達と公衆の多くからのけものにされた・・つい最近まで・・。
 強欲な銀行家達や不手際な規制者達は今日の激動の贖罪の山羊となったが、スキデルスキーは同意しない。
 「金銭的無節操や無能より、知的失敗の方がもっと重要のように見える」と彼は記す。
 「レーガン–サッチャー時代のの「軽いタッチの規制」哲学は、市場は自分自身を規制することができるという観念に根ざしている。」
 要するに、<特定の経済学派の>考え方は影響を及ぼす(matter)し、その考え方に執着すること(adherence to)はもっと影響を及ぼすのだ。・・・」(C)
 「・・・20年くらいにわたって、主流の経済学は市場は連続的に「精算する(clear)」と教え続けた。
 ここでの基本的な考え方は、賃金と価格が完全に伸縮的(flexible)であれば、資源は完全に活用されるというものだった。
 このシステムにいかなる衝撃が生じても、新しい状況への賃金と価格の瞬時の調整が結果として起きるというのだ。
 もちろん、このシステム全体としての対応度の高さ(responsiveness)は、経済的エージェント達が未来について完全情報を持っていることが前提だった。
 こんな前提は明らかにばかげている。
 にもかかわらず、大部分の主流の経済学者達は、経済的アクター達が彼等の理論に十分現実性を帯びさせうるに足りる情報を持っている、と信じたのだ。
 この、いわゆる「効率的市場理論(efficient market theory)」は、昨秋の金融恐慌によって空高く吹き飛ばされていてしかるべきだ。
 しかし、果たしてそうなったかどうかは疑わしい限りだ。
 70年も前に、ジョン・メイナード・ケインズは、それが誤りであると指摘しているというのに。・・・
 第二次世界大戦後の30年間余りは、ケインズ主義経済学が・・経済において完全雇用と持続的経済成長を維持しようとするところのケインズ主義政策が、少な
くとも政府の通常の道具箱の中に置かれていたという意味で、鶏舎を支配した。
 しかし、その後、経済学が市場経済は本来的に自己矯正的で政府の介入が市場を悪くふるまわせるという考え方に回帰するとともに、ケインズ主義経済学は投げ捨てられた。
 レーガンとサッチャーの自由市場時代の夜明けだ。・・・
 ニクソン大統領の1971年<(=私が社会人になった年!(太田))>の「今や我々はみんなケインズ主義者だ」からロバート・ルーカス(Robert Lucas)の2009年の「思うに我々は皆、自分の一人だけの時はケインズ主義者だ」に至る軌跡<を振り返ってみよ。>・・・」(E)
 「・・・スキデルスキーは、<ケインズ主義経済学に取って代わった>新しい古典派経済学(New Classical economics)(注3)の暗黙裏の諸前提は「狂っている(mad)」と見なしている。・・・」(A)
 「・・・「最近の支配的な新しい古典派経済学によって生じた害悪は語り尽くせない。
 歴史上、これほど優れた頭脳を持った人々がかくも奇妙な考え方に取り憑かれたことは希だ」・・・」(B)
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 (注3)「・・・スキデルスキーの誤解を解く形で・・・Mark Thoma・・・がマクロ経済モデルの現状を説明している・・・
 スキデルスキーは「新しい古典派経済学」が現在の主流であるかのようなことをしばしば言うが、実際にはそれはもはやマクロ経済学での人気を失っている。
 「新しい古典派経済学」は以下の4つの仮定を柱としている。
一 合理的期待 <(rational expectations hypothesis):人々があらゆる情報を効率よく利用して合理的な期待形成を行えば、それは平均的には正しいものとなり、誤った事態は生じないという仮説。1970年代末,アメリカの経済学者ルーカス(R.Lucas),サージェント(T.J.Sargent)などによって主張された。
人々が利用可能な情報を効率的・合理的に利用すると,その予想は客観的確率に等しくなるという考えから,政府が裁量的経済政策を行ったとしても,企業も個人もその結果を正しく予想し行動するところから,その政策は無に帰すとした。
マネタリストが,ケインズ的金融,財政政策は長期的には成功しないとしたのに対し,合理的期待仮説は短期的にも成立しないとした。(太田)>
二 自然率仮説<(=自然失業率仮説=Natural Rate of unemployment Hypothesis):マネタリストのフリードマン(Milton Friedman)によって主張
されたところの、労働市場の需給均衡下で摩擦的失業率である自然失業率よりも低い失業率をめざす有効需要拡大政策は、長期的には高インフレ率を残すだけで、失業率低下を達成しえないという仮説。(太田)>
三 連続的な市場の清算
四 不完全情報
・・・
 新しい古典派モデルは、・・・マクロ経済学のミクロ経済学による基礎付けという潮流、およびマクロモデルに合理的エージェントを取り入れることに貢献した。・・・
 伝統的ケインジアン<(=ケインズ主義)>モデルの欠点が1970年代の問題につながったと広く信じられた結果、新しい古典派がそれに取って代わった。しかし、ケインジアン側も、ニューケインジアンモデルを発展させて対応した。そこではミクロ経済学的な最適化行動との関係付け、合理的期待の枠組みの採用が行なわれたが、重要だったのは摩擦を取り入れたことだった。
 新しい古典派での摩擦とは情報が不完全であることだが、ニューケインジアンにおける摩擦とは、価格や賃金が・・・遅れて動くことである。・・・
 ・・・ニューケインジアンモデルが今はマクロ経済学モデルの主流と言って良いのではないか。
 価格の柔軟性や市場の連続的な清算を前提にしている、と経済学を攻撃しているスキデルスキーは、リアル・ビジネス・サイクル理論だけを念頭に置いているように思われるので、主流派経済学への批判としては的外れ。
 また、完全情報を前提にしている、という攻撃もおかしい。 ・・・」
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20090728/thoma_on_macro_model (太田)
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 「現代金融理論の本質的原理は、多様化された資産のポートフォリオを保持すると市場リスクを除去することができるというものだ。
 ところが、実際には、各種ローンの中から市場化された証券群を作り出してそれらを投資家に売るという証券化(securitisation)によって、不良債務の伝染病を作り出し、実体経済を感染させてしまったのだ。
 しかし、現代理論の諸基礎は、スキデルスキーには我慢できないほど信憑性を持ち続けている。・・・
 ケインズは、まともな(sound)銀行家を、「失敗した(ruined)時、誰も彼を非難できないような在来的(conventional)で正統派的(orthodox)な形で失敗する者」と定義した。
 銀行が自分でも理解していないリスクをとり、純粋に自分の地位や富の増大・強化のために買収を行った、というのが現在の金融危機の物語の全てだ。・・・」(H)
 難解な経済学用語が頻出して申し訳ありませんが、注3を斜め読みされるとお分かりになるように、経済(学)史の第一人者と一流の経済学者の間ですら、最近の経済学に係る事実認識において食い違いがある以上、我々のような経済学のアマチュアが余り細かいところにこだわることもありますまい。
 最近の経済学は、空理空論化してしまい、実体経済を理解したり、適切な経済政策の指針となったりすることが、ケインズ主義経済学よりもできなくなってしまったらしい、という程度の理解で十分でしょう。
(続く)