太田述正コラム#4928(2011.8.13)
<イギリスと騎士道(その10)>(2011.11.3公開)
<脚注:アーサー王の円卓の騎士>
 アーサー王伝説におけるあの有名な円卓(The Round Table)は、その周りに彼と彼の騎士達が集まったテーブルである。
 円いのは参集者達が皆対等であることを示唆している。
 1155年に初めて円卓への言及がなされたが、12世紀末には、アーサーゆかりの騎士団の呼称・・円卓の騎士(the Knights of the Round Table)・・において使われるようになった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Round_Table
 円卓は、やがて、アーサー王の伝説的宮廷を真似して行われたお祭りの呼称となった。
 結婚や戦勝を祝す際等において、通常、切っ先を丸めた槍による馬上槍試合が行われるとともに、宴会や踊りが行われた。
 参集者がランスロット、トリスタン等に扮することもあった。
 初めて行われたのは、1223年であり、十字軍のベイルートの君主が、キプロスで、彼の年長の息子達を騎士に叙した折のことだった。
 爾後、この催しは、15世紀まで行われた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Round_Table_(tournament)
 (4)騎士道に関する本
 騎士に関する英語ウィキペディア(c)は、騎士道の普及に重要な役割を果たした本(※は本の中の一つの話)として、次の6つをあげています。(以下に出てくる諸典拠等も参照した。)
I :1136年頃に書かれた マンモスのジェフリー(Geoffrey of Monmouth)の『ブリタニア列王記(Historia Regum Britanniae=History of the Kings of Britain)』、
II :14世紀に書かれた 真珠詩人(Pearl Poet)の『ガウェイン卿と緑の騎士(Sir Gawain and the Green Knight)』(前出)、
III:14世紀末に書かれたジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer)の 『騎士物語(The Knight’s Tale)』※、
IV :1485年に出版された トマス・マロリー卿(Sir Thomas Malory)の 『アーサー王の死(Le Morte d’Arthur=The Death of Arthur)』、
V :1528年に出版された バルダッサーレ・カスティリオーネ(Baldassare Castiglione)の『宮廷人(Il libro del cortegiano=The Book of the Courtier)』、
VI :1605年と1615年に出版された ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes)の『ドン・キホーテ(Don Quixote)』、
 年代順に配列しましたが、これを見ると、12世紀から15世紀にかけての初期の約350年間に上梓された4冊は、・・そのうち3冊が(その全部または一部が)アーサー王伝説群に係るものであるところ・・いずれも、イギリス人が書いたものばかりです。
 ここからも、騎士道=イギリス騎士道、という私の主張がもっともらしいことがお分かりいただけようというものです。
 以下、簡単に、これらの本について、それぞれ、見て行きましょう。
I :マンモスのジェフリー(1100?~1155?年)(コラム#463、468)は、僧侶、英国史編纂者、アーサー王伝説普及者。彼はこの本をラテン語で書いた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Geoffrey_of_Monmouth
 この本は、英国史の擬似歴史的叙述を行ったものであり、トロイ人がブリトン人の国をつくってから(コラム#463、468)の2000年にわたるブリトン人の王の事績を編年体で記し、7世紀前後にアングロサクソンがブリトン人の大部分を支配する時までをカバーしている。
 17世紀以来、他の典拠によって裏付けることができない記述が多いことから、歴史書としての信頼性はなくなったが、中世文学としては貴重なものとして評価されている。
 リア王と3人の娘達の話や、(ウェールズ語を使っていた人々以外に)アーサー王の伝説群を紹介したことで知られている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Le_Morte_d%27Arthur
II :真珠詩人ないしガウェイン詩人(Gawain Poet)というのは、『ガウェイン卿と緑の騎士』等の名前不詳の著者に付けられたあだ名。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pearl_Poet
 この詩は、中期英語(Middle English≪=1100年ごろ‐1500 年ごろの英語≫)の北西ミッドランド(North West Midland)方言で書かれており、危機に直面した時の名誉と騎士道の重要性を訴えたものである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sir_Gawain_and_the_Green_Knight 前掲
 (ただし、≪≫内は下掲↓による。)
http://ejje.weblio.jp/content/Middle+English
III:ジェフリー・チョーサー(1343?~1400年)は、イギリスの詩人、作家、哲学者、錬金術師、天文学者、官僚、宮廷人、外交官。
http://en.wikipedia.org/wiki/Geoffrey_Chaucer
 この物語は、中期英語で書かれた彼の『カンタベリー物語(The Canterbury Tales)』(コラム#54、3844、4888)の第一話であり、宮廷愛や倫理的ジレンマといった騎士道の典型的諸様相を紹介している。
The first page of Knight’s Tale in the Ellesmere manuscript
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Knight%27s_Tale
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Canterbury_Tales
IV :トマス・マロリー卿(1405?~1471年)は、イギリスの作家。最近の説は、彼がワリック州(Warwickshire)の騎士、地主にして下院議員であったとする。この本は、彼が著者か編者。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Malory
 中期フランス語(Middle French)で書かれ、原題は、’Le Morte Darthur’であり、アーサー王、その王妃のグィネヴィア、円卓の騎士筆頭のランスロット、そして円卓の騎士そのもの、を紹介したもの。
http://en.wikipedia.org/wiki/Le_Morte_d%27Arthur
V :バルダッサーレ・カスティリオーネ(1478~1529年)は、イタリアの宮廷人、外交官、兵士、著名なるルネッサンスの作家。
http://en.wikipedia.org/wiki/Baldassare_Castiglione
 この本は、お行儀本であり、完全な宮廷人とは何か、そして補足的に完全な貴婦人(lady)とは何かを記したもの。
 16世紀におけるベストセラーの一つであり、6ケ国語に翻訳され全欧20か所の出版者によって出版された。イギリスにおいても、その上流階級に、紳士とは何かについて大きな影響を与えた。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Book_of_the_Courtier
VI :ミゲル・デ・セルバンテス(1547年受洗~1616年)は、スペインの小説家、詩人、戯作者。
http://en.wikipedia.org/wiki/Miguel_de_Cervantes
 完全な原題は、『英知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(El ingenioso hidalgo don Quijote de la Mancha=The Ingenious Gentleman Don Quixote of La Mancha)』・・≪(「ドン」は郷士より上位の貴族の名に付く。「デ・ラ・マンチャ」はかれの出身地のラ・マンチャ地方を指す。つまり「ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿」と言った意味合い)≫・・で2巻からなる。初の近代欧米文学とされる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Don_Quixote
 (ただし、完全な原題の邦訳と≪≫内は下掲↓による。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%86
 この小説は、騎士道の理想とそれがセルバンテスの時代における現実とは相いれないことを描く。これは、中世末においては、戦争の新しい諸手法が、鎧をまとった古典的な騎士を時代遅れにしてしまったため。(c)
(続く)