太田述正コラム#6158(2013.4.20)
<映画評論39:マリー・アントワネットの首飾り(その1)>(2013.8.5公開)
1 始めに
 かねてから私がその重要性を訴えてきたところの、『ダブル・ジョパディー/陪審員』の映画評論シリーズがまだ完結していないのに、別の映画評論シリーズを立ち上げるのか、と顰蹙を買いそうですが、『ダブル・・・』シリーズの完結編を書くのは、私的にも、また本質的にも、相当の精神力を要します。
 そこで、少し、「軽い」シリーズで気を紛らわせることにした次第です。
 「軽い」と言いましたが、私は、フランス全般についてもそうであるけれど、フランス革命については大昔に何冊か本を読んだ程度なので、フランス革命にからむ外伝的な話については極めて疎いのに対し、むしろ、日本の一般の人で、池田理代子の『ベルサイユのばら』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%81%AE%E3%81%B0%E3%82%89
等を通じて、マリー・アントワネット(Marie Antoinette)等のことに詳しい人が少なくなさそうであることから、私も少しく外伝的「教養」を身に付けようと思い立った次第です。
 というのは半ば冗談であり、『マリー・アントワネットの首飾り(The Affair of the Necklace)』(2001年の米国映画)
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E9%A6%96%E9%A3%BE%E3%82%8A_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
では、マリー・アントワネットは主人公ではないものの、事実上、彼女を描いた映画であると受け止め、フランス革命そのものを考えるよすがにもしたいと思って、この映画を鑑賞したところ、私が到達したマクロ的結論を開陳させていただこう、というわけなのです。
2 フランス革命について
 以上のような問題意識を持って、先日、フランス革命についての英語ウィキペディアをチラ読みしていたら、「保守主義者のエドマンド・バーク(Edmund Burke)は、フランス革命は、少数の陰謀家的な人々が古い秩序を覆すべく大衆を洗脳した産物であると述べたが、これは、諸革命というものは、正当な諸不平に立脚したものではないとの信条に根差す主張だ。・・・<また、>フランスの歴史家のフランソワ・フュレ(Francois Furet)<(注1)>によれば、フランス革命は、全体主義的政治的諸観念、及び、好ましくないと考えられた社会諸階級に対する体系的かつ大規模な暴力の正当化、の起源でもある。しかるがゆえに、この革命はロシア革命に深甚なる影響を与えたのだし、この革命の諸観念は毛沢東が支那に共産主義国家を建設する彼の諸努力を鼓吹したのだ。」
B:https://en.wikipedia.org/wiki/French_Revolution
と記されて大きく頷いたところ、私がフュレとほぼ同じフランス革命観を抱いていることは、皆さんご承知のとおりです。
 
 (注1)1927~97年。パリ大学で文学と法学を学ぶも結核に罹り中退。その後研究生活に入るとともに共産党入党したが、後に離党。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_Furet
 彼のフランス革命観については、下掲参照。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~kunieda/2007/03/francois-furet19711978.html
 しかし、私は、フュレなる歴史家の存在について、今まで全く知らなかったのであり、私が自分のフランス革命観を、フュレ抜きでどのように形成したのか、全く思い出せません。
 さて、Bにおいてもそのフランス革命観が紹介され、また、すぐ上の注1内の2番目の典拠の中でもフュレが依拠したと記されているところの、アレクシス・ド・トックヴィル(Alexis De Tocqoueville)(注2)(コラム#88、503、3714、3721、3959、4089、4107、4367、4481、4860、5459、5882、6107)の『アンシャン・レジームとフランス革命』の英訳『The Old Regime and the French Revolution』(Doubleday 1955)の序文と最終章を、その後で読んでみたところ、「この革命は、フランスの最も文明化された諸階級がスポンサーとなったのだけれど、最も教育を受けていなくて最も手におえない連中によって実行されたということを思い起こせば、それほど驚くべきものではなくなる。というのは、教養あるエリートのメンバー達は孤立を習慣とし、共同行動をとることに慣れておらず、従って、大衆を掌握していなかった(have no hold on)ので、大衆は、殆んど<革命の>最初から状況の主人となったのだ。」(206~207)と書かれていました。
 (注2)私は、彼の『アメリカのデモクラシー(De la democratie en Amerique)』(1835/1840)も、その英訳版である『Democracy in America』を持っているが、最初からツンドクだった『アンシャン・レジームとフランス革命(L’Ancien Regime et la Revolution)』(1856)
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexis_de_Tocqueville
とは違って、何度も読みかけては、面白くないので投げ出して現在に至っている。
 恐らく、この点はトックヴィルの言うとおりなのだと思っているのですが、皆さんもこのことを頭にとどめておいてください。
3 首飾り事件について
 ここで、この映画が拠っているところの、史実としての首飾り事件の概要をご紹介しておきましょう。
 「首飾り事件(・・・Affaire du collier de la reine)は、1785年、革命前夜のフランスで起きた詐欺事件。<旧フランス王家の>ヴァロワ[(Valois)]家の血を引くと称するジャンヌ・ド・ラ・モット[(Jeanne de la Motte)]伯爵夫人が、王室御用達の宝石商・・・から160万リーブル(日本円にしておよそ200億円)の首飾りを[彼女の愛人の]ロアン[(de Rohan)]枢機卿に買わせ、それを王妃マリー・アントワネットに渡すと偽って騙し取った・・・典型的なかたり詐欺<だ>。・・・
 宝石商・・・は、先王ルイ15世[(Louis XV)]の注文を受け、大小540個のダイヤモンドからなる・・・首飾りを作製していた。これはルイ15世の愛人デュ・バリー夫人〈(Madame du Barry)〉のために注文されたものだったが、ルイ15世の急逝により契約が立ち消えになってしまった。高額な商品を抱えて困った<宝石商>はこれをマリー・アントワネットに売りつけようとしたが、高額であったことと、敵対していたデュ・バリー夫人のために作られたものであることから<彼女は>購入を躊躇した。そこで<宝石商>は王妃と親しいと称するラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した<わけだ>。・・・
 事件に激昂したマリー・アントワネットは、パリ高等法院(最高司法機関)に裁判を持ちこんだ。<ところが、>1786年5月に判決が下され<たものの>、ロアン枢機卿<ら>は・・・無罪となり、・・・ラ・モット伯爵夫人だけが有罪となった。彼女は「V」の文字を・・・[両肩に]焼き印されて[終身刑で]投獄された。
 この裁判によりマリー・アントワネットは[、そもそも、この高価な首飾りをロアン枢機卿を使って入手しようとしていたところの民衆のことなど顧みない浪費家であり、かつまた、(彼女が嫌っていた)ロアン枢機卿を陥れるために裁判を起こした]という事実無根の噂が広ま<り、>・・・<彼女>を嫌う世論が強まった。・・・[ロアン枢機卿が無罪になったことと、]国王ルイ16世[(Louis XVI)]<が、>判決直後、無罪となったロアン枢機卿を宮廷司祭長から罷免<し、某>大修道院<長>に左遷し[たことも、この噂の信憑性を高めた]。・・・ロアン枢機卿は・・・堕落した聖職者だったが、彼の左遷を批判した多くの人々はそれを知らなかった<のだ>。・・・ 」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%A3%BE%E3%82%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://en.wikipedia.org/wiki/Affair_of_the_Diamond_Necklace ([]内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%A4%AB%E4%BA%BA (〈〉内)
(続く)