太田述正コラム#9463(2017.11.15)
<石野裕子『物語 フィンランドの歴史』を読む(その9)>(2018.2.28公開)

 「その一方で1867年から翌年にかけて寒冷な気候が続き、飢饉が起こった。
 フィンランドは近代化していくなか、人口の1割弱にあたる15万人が飢えや病気で死んでいった。・・・

⇒1845~49年のアイルランドのジャガイモ飢饉(大飢饉)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E9%A3%A2%E9%A5%89
ほどの死者率ではありませんが、地理的意味での欧州内であっても、19世紀における「植民地」の人々の命など、英露両「宗主国」については、毛ほども顧慮すべき対象ではなかった、ということですね。(太田)

 「自由化の時代」に・・・フィンランド語は「農民」の言葉であり、支配原語はスウェーデン語だったのである。
 そのような支配者層が・・・フィンランド独自の文化を模索する動き<を見せ、>・・・フィンランド語に注目した・・・。・・・
 ロシアとの違いは言語や信教面で明白であったものの、スウェーデンとの違いを風習や慣習では見出すことは難しく、言語のみ明確に異なっていたからだ。・・・
 フィンランドで生まれたナショナリズムは、ヨーロッパ、とりわけドイツの民族ロマン主義の影響を受けて発展した。
 特にドイツの哲学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー<(注17)(コラム#3684、4338、4857)>が唱えた「一民族一言語」という思想の影響は強く、フィンランド民族とフィンランド語が対として考えられた。・・・

 (注17)1744~1803年。「ドイツの哲学者・文学者、詩人、神学者。・・・優れた言語論や歴史哲学、詩作を残したほか、・・・カントの超越論的観念論の哲学と対決し、歴史的・人間発生学的な見地から自身の哲学を展開し、カントの哲学とは違った面で20世紀の哲学に影響を与えた人物としても知られている。」ケーニヒスベルク大神学部卒。カントの講義を聞き刺激を受け、後に今度はゲーテにシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)という新しい文学観を吹き込んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC

 フィンランド語による<初頭教育、次いで中等教育での>フィンランド語による教育は全土に広がってい<き、>・・・1863年に召集された身分制議会でフィンランド語をスウェーデン語と同等の地位にする言語令が可決された。・・・
 <そして、>ヘルダーが主張したように、人びとが口伝えで残してきた民俗詩に民族の歴史を見出せると考え、いわゆる口承詩の採集を行った。・・・
 その過程で、フィンランド民族文化を象徴する叙事詩『カレワラ(Kalevala)』<(注18)>が誕生する。

 (注18)「「英雄の地」の意。・・・1835年に・・・出版」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AF%E3%83%A9

 『カレワラ』の編者<は、>エリアス・ロンルート(1802~84)<(注19)だった。>・・・

 (注19)エリアス・ロンルート(Elias Lönnrot[ˈɛlias ˈlœnruːt])。(発音記号からすると著者の呼び方が正しく、「リョンロート」とする邦語ウィキペディアは間違い。)「フィンランドの著作家、医師、植物学者、文学者、言語学者、フィンランド語学者であり、フィンランドの民間説話の収集家・・・トゥルク・アカデミー(・・・ヘルシンキ大学の前身)で学び、1872年、『古代フィンランドの神について』と題された論文で哲学の博士号を取得。・・・1853年から1862年にかけて、ヘルシンキ大学教授」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88

 <彼>は『カレワラ』の骨子となる主な叙事詩のほとんどをロシア・カレリア地方に住む口承詩人から得ていた。
 そのため、ロシア・カレリアがフィンランド民族文化の揺籃の地とみなされていく。・・・
 <この>ことで、のちに生まれる膨張思想、「大フィンランド」に利用されていくことになる。・・・
 <ともあれ、>『カレワラ』は・・・「フィンランドのルネサンス」時代を生みだした。・・・
 1880年代に頂点を迎えた芸術運動カレリアニズムには、作曲家ジャン・シベリウス<(コラム#3617、3715、7261、7701、7702、7779、8062、8748、9443)>(1865~1957)・・・など・・・多くの芸術家が参加した。」(68~71、74~79)

(続く)