太田述正コラム#0523(2004.11.4)
<伊・英・米空軍の創始者の三人(その4)>

 (このシリーズが次回で終わってからで結構ですが、軍事通や自衛官(現役・OB)の読者の方々のコメントをお待ちしています。)

5 三人の説の評価
 
 (1) ミッチェル
 今度は順番を逆にしてミッチェルから始めましょう。
ミッチェルは、陸海軍と並列の空軍の設立を主張、国防総省・統合参謀本部の必要性を力説しましたが、先の大戦の後、これらは米国ですべて実現しました。(ただし、英国とは異なり、海軍の航空部隊は海軍のもとに残されました。)
 また彼は、制空権確保の陸上・海上戦闘における不可欠性、地上部隊への近接航空支援の重要性(注6)、航空母艦の重要性(注7)、も指摘しましたが、これらの指摘は、先の大戦において正しかったことが証明されました。

(注6)この正しさを証明したのは、先の大戦初期における、陸軍の機械化部隊と空軍の近接航空支援の連携によるナチスドイツの電撃戦(Blitzkrieg)による全欧州の席巻だ。
 (注7)この正しさを証明したのは、日本帝国海軍の航空母艦による真珠湾攻撃の成功だ。

 ミッチェルによる水上艦艇の航空攻撃に対する脆弱性の指摘は、先の大戦初期において証明されたかに見えたのですが、最終的には否定されることになります(注8)。

 (注8)先の大戦初期の1941年12月マレー沖海鮮における、機動中の英戦艦プリンスオブウェールズとレパルスの日本帝国海軍機の雷爆撃による撃沈によって証明されたかに見えた。(真珠湾攻撃の際にも米戦艦ミズーリ等を雷爆撃によって撃沈しているが、これは停泊中の戦艦。)(以上、http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-2marry.htm(11月2日アクセス)による。)
しかし、大戦末期の1944年10月以降の日本海陸軍航空機による特攻攻撃(http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu.htmhttp://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/rikugun.htm(どちらも11月2日アクセス))を米軍の艦艇が、オペレーションズリサーチ(Operations Research=OR=作戦解析)の活用とあいまってレーダーと防空火器でおおむね防ぐことができるようになった(典拠省略)ことで否定された、と言えるのではないか。
現在でも米海軍の空母機動部隊の防空能力は極めて高い(典拠省略)。

ミッチェルは、前述したように第一次世界大戦中の1918年に空挺降下作戦を(世界で初めて)企画しますが、(仮に終戦になっていなかったとしても、)当時の航空機とパラシュートの性能から、実行に移すことは容易ではなかったはずです。とまれ、空挺降下作戦の有効性(注9)については、限定的ながら、その正しさが証明されたと言えそうです。(注9を含め、事実関係についてはhttp://www.brainyencyclopedia.com/encyclopedia/a/ai/airborne_forces.htmlhttp://www.brainyencyclopedia.com/encyclopedia/b/ba/battle_of_crete.html(どちらも11月3日アクセス)による。)

 (注9)史上初めて空挺(paratroops)降下作戦が実施されたのは、1941年5月のナチスドイツによるクレタ島作戦においてだったが、クレタ島奪取には成功したものの、余りに多大な犠牲を出したため、以後ナチスドイツは殆ど空挺降下作戦を実施することはなかった。逆にこれ以降連合国側は空挺降下作戦に注目し、1944年9月のマーケット・ガーデン作戦では、ナチスドイツ軍後方へ35,000人を空挺降下させた。しかし、この作戦も、結果的には連合国側の敗北に終わる。しかし、現在大部分の国が空挺部隊を持っている。

 ミッチェルによる戦略爆撃の有効性の指摘については、先の大戦では必ずしも結論は出ず(注10)、現在なお論争が続いています。

(注10)広義の戦略爆撃について言えば、政治経済中枢の麻痺・壊滅を期して行う首都等の戦略爆撃は日本による重慶爆撃が最初と言ってよいが、成功したとは言えない。(なお、これは重慶の一般住民の殺戮を目的としたものではないので、一般住民殺戮を目的とするところのドゥーエ的な狭義の戦略爆撃ではない。従って前田氏の指摘(コラム#520)は必ずしも適切ではない。)また、産業中枢の破壊を期して行われたドイツ産業地帯の戦略爆撃はほとんど効果がなかったという結論が出ている(コラム#423)。
狭義の戦略爆撃については、一般住民の戦争継続意思を減殺するという目的を達成できたかどうかは、広島・長崎への原爆投下を含めたとしても疑問。もとより、その後の核兵器の威力の増大が、戦争継続意思の減殺どころか、一般住民の物理的生存そのものを不可能にした現在では、状況は全く異なる。

(続く)