太田述正コラム#0527(2004.11.8)
<伊・英・米空軍の創始者の三人(その5)>

 (コラム#524、525、526にそれぞれ手を加えてホームページ(http://www.ohtan.net)の時事コラム欄に掲載してあります。)

(2)ドゥーエ
ドゥーエにとって不幸だったことが三つあります。
第一に、ドゥーエはミッチェルやトレンチャードと違って航空機の操縦に挑戦しようとしなかった点です。この結果、彼は航空機の強みと限界について生身の感覚を身につけることができず、ために彼の理論は、攻撃、就中狭義の戦略爆撃に偏重したいびつなものになってしまったのだと思います。
第二に、ドゥーエがミッチェル同様、というかミッチェル以上に上司や同僚に恵まれなかった点です。そのため、ミッチェルもそうでしたがドゥーエはなおさら、エアーパワーの重要性について過激な言動に訴えざるを得ず、そのために軍法会議にかけられてしまいます。その結果は、ミッチェルが不名誉だけを宣告されたのに対し、ドゥーエは一年間牢獄にぶち込まれるという物理的悲哀を味わうことになります。良き理解者たる上司や同僚、そして同じ土俵の上に立って叱責してくれる上司や同僚が身近にいないと、能力のある人間は、往々にして自分以外の人間をバカだと思い、考え方も独りよがりでエクセントリックなものになりがちです。ミッチェル以上に上司や同僚に恵まれなかったドゥーエの理論が、ミッチェルよりも一層独りよがりでエクセントリックになった理由はここにもあります。
第三に、ドゥーエのイタリアが、ミッチェルの米国はもとより、トレンチャードの英国よりも経済力・科学技術力・軍事力のいずれにおいてもはるかに劣っていたことから、ドゥーエは、おのずからミッチェルやトレンチャードより制約された環境下において自分の理論を実践化するほかなかった点です。これはドゥーエの(他の二人と比較しての)不幸であっただけでなく、かかる制約された環境下で、彼の理論そのものが十全な発展の芽を摘まれてしまったように思われてなりません。

 (3) トレンチャード
英国において、(ドイツと並んで)世界で最も早い時期に空軍省の創設を提唱した軍人は、トレンチャードではありませんでした。このこと一つをとっても、英国には空軍の重要性を理解している人間が当初から何人もいたことが分かります。
トレンチャードにとって幸せだったことは、彼の周辺に、常に彼の良き理解者たる上司や同僚がいたことであり、彼が自分を叱正してくれる上司や同僚にも不足していなかったことです。
実際トレンチャードが、「空軍力は英国内の労働争議や暴動の鎮圧にも有効だ」と空軍部内で語った時、上司のチャーチルはそんな彼をたしなめ、二度とそんなことは口にしないように釘をさしたものです。
このような環境下にあってこそ、トレンチャードが長年にわたって、英空軍の制服サイドのトップとして思う存分活躍し、その才能を十二分に発揮することができたのです。
トレンチャードがめぼしい「理論」を残していないのは、彼がこのように、自分の考えを即実践に移す形で活躍を続けることができたことから、わざわざ「理論」を構築して部外に発表する必要性を余り感じなかったからでしょう。
トレンチャードが、エアーパワーの専門家としての旬を過ぎた頃、空軍参謀長の職を解かれ、それ以降、全く異なった分野で二度にわたって活躍する場を与えられるとともに、次々に身に余るほどの名誉を与えられ、満ち足りた晩年を送ったことも、英国の英知と懐の深さの現れとして瞠目させられます。

6 終わりにあたって・・トレンチャードとミッチェル

トレンチャードとミッチェルのそれぞれの人生を振り返ってみると、同じアングロサクソンと言っても、英国と米国が随分違うことを改めて痛感します。
英国は伝統を大事にする国ですが、同時に新しいものでもいいものは速やかに取り入れる柔軟性と、本当にいいものはどこまでも追求していくねばっこさを併せ持っていることがうかがえます。これに対し、米国は、伝統がないだけに新しいものを無造作に取り入れる反面、安易にせっかく取り入れたものを放擲することがある、ということのようです。ミッチェルは一瞬で英雄になったかと思ったら、その次の瞬間には奈落の底につき落とされてしまいます。その落差の大きさに、彼の心中がいかばかりであったか、察するに余るものがあります。
米国が英国に比べて、はるかにエアーパワーの整備やエアーパワーへの備えに遺漏がある状態で先の大戦を迎えることとなったのは、不思議でも何でもありません。
仮に米国と日本の距離がドーバー海峡くらいしかなく、しかも米国の1941年時点の国力が英国並みだったとすれば、日本の真珠湾攻撃の結果、米国はただちに対日降伏に追い込まれていたことでしょう。私が米国は僥倖に恵まれてきただけだと申し上げてきたのは、こういったことを指しているのです。

時代はエアーパワーの時代から、過渡的なニュークリア(核)パワーの時代を経て、今やスペース(宇宙)パワーの時代を迎えつつあります。
日本はニュークリアパワーの時代はモラトリアム状態のままパスしてしまいましたが、スペースパワーの時代には、せめて日本のドゥーエが出現することを期待したいものですね。

(完)