太田述正コラム#9577(2018.1.11)
<渡辺克義『物語 ポーランドの歴史』を読む(その22)>(2018.4.27公開)

 「ゴムウカの外交面での功績については議論の余地がない。
 1950年7月、東ドイツとオーダー・ナイセ線を国境とすることで調印していたが(ズゴジェレツ条約)、西ドイツとの交渉は滞っていた。
 しかし、70年12月7日、ようやく「西ドイツ・ポーランド国交正常化条約」の調印に漕ぎつけたのであった。
 この外交上の成果の余勢を駆って、同年12月12日土曜日の夕方、<彼は、>価格改定を発表した。・・・
 低所得者ほど生活にダメージが大きい価格改定であった。・・・
 週明けの14日月曜日から、抗議行動が始まった。・・・
 12月事件<である。>・・・
 <抗議行動は>暴徒化し・・・警察との衝突により犠牲者<(死者)が44人も>出た。・・・
 ゴムウカは退陣を余儀なくされた。
 12月20日、エドヴァルト・ギェレク<(注57)>が党第一書記に就任した。・・・

 (注57)Edward Gierek(1913~2001年)。フランスに出稼ぎに行っていた両親(父親は炭鉱工夫)の下に生まれ、10歳の時から現地の炭鉱の工夫になり、仏共産党入党、その後、ポーランドに追放、今度はベルギー(仏語地域)に赴き現地の炭鉱で工夫として働きベルギー共産党入党、戦後、ポーランド労働者党から呼び戻される。
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Gierek

 ギェレクが・・・物流を良くし、人々の生活水準を向上させたことは事実であるが、その裏付けとなったのは外資の導入、すなわち借金であった。
 1970年代前半には、ソ連ブロックのすべての国が外資に頼った。
 対西側債務は・・・450億ドルにまでなったが、ポーランドの債務はその4分の1を占めた。
 外資頼みの経済はいずれ破綻することは必定だった。
 危機は早くも73年には表れており、食肉の不足は翌年以降常態化した。・・・
 <そんな折、>1978年10月16日、クラクフ大司教<で枢機卿>のカロル・ヴォイティワ<(注58)>がローマ教皇に選ばれた。

 (注58)Karol Józef Wojtyła(1920~2005年)。母方の祖母は旧姓ショルツ(Scholz)であり、ドイツ系と思われる。
 父親は、純粋ポーランド系で、オーストリア帝国の下士官で独立ポーランドの陸軍中尉。
https://en.wikipedia.org/wiki/Early_life_of_Pope_John_Paul_II
 [ユダヤ人の多い地区で育ち、多くのユダヤ人の友人達を持ち、初恋の女性はユダヤ人だった。エスペラントを含む12言語を自ら習得し、クラクフのヤギェウォ大学(Jagellonian University)]で神学博士号を取得。更に、「『カトリック倫理を<ドイツの現象学者の>マックス・シェーラー「(Max Scheler)」の倫理体系によって基礎づけることの可能性についての評価』と題する学位論文を[ヤギェウォ大学)]に提出」し、哲学博士号も取得。
 「1981年5月13日、・・・サンピエトロ広場にてトルコ人・・・のメフメト・アリ・アジャから銃撃された。銃弾は2発命中し、ヨハネ・パウロ2世は重傷を負ったが、奇跡的に内臓の損傷を免れ、一命を取り留めた。・・・事件は・・・ソ連のKGBが計画し、・・・ブルガリア人民共和国や東ドイツなどが協力していたという<説が有力>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD2%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)
https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_John_Paul_II ([]内)

 イタリア人以外の枢機卿から選ばれたのは、実に455年ぶりのことであった。
 ヴォイティワはヨハネ・パウロ2世として26年間教皇を務めることになる(2005年4月2日、帰天)。」(168~172)

⇒ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件について、邦語ウィキペディアは1件だけ、英語ウィキペディアは3件全部記していますし、「共通」する1件の典拠も両者で異っていますが、全体としての結論としては、邦語ウィキペディアを元に紹介した上記と英語ウィキペディアの記述は、ほぼ一致しています。
 渡辺は、教皇暗殺未遂事件について触れるべきでしたし、(ここでいちいち示しませんが、不必要と思われ、かつ冗長な囲み記事を多数登場させているところ、)触れるだけではなく、囲み記事にすることが望ましかった、と私は思います。
 いずれにせよ、ソ連崩壊後においてさえ、KGBの後継機関が、イギリスでアレクサンドル・リトビネンコ暗殺事件(コラム#省略)を起こしていることに鑑みれば、教皇暗殺未遂(諸)事件についても、KGB黒幕説が正しい可能性が大でしょう。
 北朝鮮の金王朝は、つい最近、金正男を暗殺したところですし、中国国民党は大陸時代にも台湾時代にも暗殺を旨としたところです。(いずれもコラム#省略)
 独裁体制でありながら、そういうことを殆どやったことがない、中共当局の「異質性」、が際立っています。(太田)

(続く)

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