太田述正コラム#0552(2004.12.3)
<プロト欧州文明について(その5)>

 トマス・アクィナス(Thomas Aquinas。1225又は1227??74年)(注12)は、フリードリッヒ2世にひどい目に遭わされています。

 (注12)ナポリに生まれる。父母ともに貴族であり、ホーエンシュタウフェン家・フランス王家・アラゴン王家・カスティリア王家は縁戚。主著「神学大全」(Summa theologica)。アリストテレスの哲学とキリスト教信仰を融合させ、カトリックの公式教義を構築し、いわゆるスコア哲学(Scholastics)の祖となった。このアクィナスの実在論(realism)に対して唯名論(nominalism)に立脚するスコア哲学を構築したのがイギリスのウィリアム・オッカム(William of Ockham。1285??1349年)。(http://www.newadvent.org/cathen/14663b.htmhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E8%AB%96%E4%BA%89(いずれも12月2日アクセス))
     オッカムの哲学は、アングロサクソン論の観点からいつか改めてとりあげたい。

 彼が13歳の時に、寄宿して勉強していたベネディクト派のモンテ・カシーノ修道院(Benedictine Monastery of Monte Cassino)がフリードリッヒ2世の騎兵の攻撃を受け、火を放たれ、11名の僧が虐殺されます。
 アクィナスの家族も時の法王でさえも、将来はアクィナスをこの修道院の院長にさせようと考えていたのに、すべては無に帰してしまったのです。
 その数年後に、フリードリッヒは法王の意に反して北部及び中部イタリア支配に乗り出し、イタリアに多大な戦禍をもたらしたことと、彼の「反カトリック的」品行をとがめられ、法王から破門されるのですが、これを受け、北部イタリアのパルマ(Parma)でフリードリッヒへの反乱が起こります。この反乱の首謀者は、アクィナスの妹の義理の父の70歳の男爵であり、フリードリッヒの廷臣であった(アクィナスの)兄二人もこの反乱に加わります。
 結局反乱は失敗に終わるのですが、捕らえられた男爵は鼻を削がれ、舌を抜かれ、片脚を切り落とされた上で、荷車に乗せられ、イタリア中を引き回されましたし、二人の兄は拷問を受け、長期にわたって牢獄に入れられた後処刑されています。
 アクィナスは一方で、法王に忠実であり続け、聖人と頌えられたフランス国王のルイ9世(Louis IX。1214??70年)と交友があり、このルイ9世との比較で、フリードリッヒがどれほどの悪人とアクィナスの目に映ったかは想像に難くありません。
米国の神学者ノヴァク(Michael Novak。現在American Enterprise Instituteの教授。コラム#503)によれば、アクィナスの異端概念、ひいてはアクィナスの神学/哲学の核心部分は、フリードリッヒとの上記のような不幸な邂逅を通じて形成された、というのです。
アクィナスは、神学大全第二巻第二部(Secunda Secundae)の中で、「異端について言えば、彼らの罪は追放に値する。破門だけでなく、この世から死によって・・。人がそれによって生きるところの信仰を腐食させることは、物理的な人の生存を支えるところの貨幣の偽造よりはるかに深刻だ。偽造者等の犯人は世俗的権力によって死刑に処せられるが、異端と判定された者をすみやかに破門するだけでなく殺すのはより正当なことだ。」と記しています。
アクィナスは、憎しみから(フリードリッヒ2世のような)異端を殺すべきだ、と主張したわけではありません。
アクィナスが生きた13世紀の欧州の社会は極めて脆弱でした。
家族を超えて人々を結びつけるものは何もありませんでした。人々の大部分は貴族に隷属していましたが、その貴族も、貴族相互の戦いに敗れて没落することはざらでした。人口は少なく、人々は地域ごとに孤立して住んでいました。貴族の合従連衡が行われ、どんどん様相を変えつつひっきりなしに続いた戦乱や外国勢力による入れ替わり立ち替わりの占領によって、人々は木の葉のように翻弄されていました。
このような危険に満ちた不安定な世界に生きていた人々に対し、共通の紐帯を与え、秩序を与えるものとしては、カトリック信仰とカトリックの儀式しかありませんでした。
だからこそアクィナスは、カトリックの権威を損ねる異端を、社会存立の敵とみなし、殺してでも取り除くべきだと考えたのです。
 カトリックの公式教義となったアクィナスの神学/哲学の影響は巨大でした。
 そして、アクィナスの神学/哲学、就中異端論は一人歩きを始めます。
 本来アクィナスにとって異端とは、あくまでもカトリック信者(カトリック以外のキリスト教信者については彼は何も言っていないようだ)であってカトリック教義の全部または一部を否定した者を指し、イスラム教徒、ユダヤ人、多神論者、無神論者等はその埒外でした。(さもなければ、キリスト教徒ではなかったアリストテレスにアクィナスが敬意を払えるわけがありません。)
 ところが、後にカトリシズムの下で、イスラム教徒やユダヤ人、更には無神論者等が迫害されることになったことはご承知のとおりです。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.firstthings.com/ftissues/ft9512/articles/novak.html前掲、による。)
 私は、プロト欧州文明とは、宗教権力が世俗権力と連携しつつ個人に対して宗教教義(doctrine)の強制を行うことを最大の特徴とする文明だと定義しているのですが、以上から、私はトマス・アクィナスこそ、プロト欧州文明の最大のイデオローグだと考えているのです。
 このアクィナスの厳しい異端論の生誕を促したものこそ「悪人」フリードリッヒ2世皇帝であり、かつまた他方で、アクィナスのスコラ哲学に後押しされてカトリック教会が欧州における権力の頂点に立ったことにより、カトリック教会ひいては法王は堕落し、「悪人」アレクサンデル6世法王(コラム#544)が出現することにもなったのでした。

(引き続き「プロト欧州文明について、それが「欧州文明」の前駆文明たるゆえんを再確認するとともに、できうればこの文明を手がかりにして、アラブ世界や米国の実相に迫」(コラム#544)るお約束でしたが、それはしばらく後回しにしたいと思います。)
(このシリーズの最初のヒントを与えてくれたのは、Spenglerなる仮名筆者による論考(http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/FK23Aa01.html。11月23日アクセス)であることをお断りしておく。)

(完)

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