太田述正コラム#0553(2004.12.4)
<ウクライナ情勢(その3)>

 ガーディアンの記事とは、橙陣営に結集したウクライナ市民達が求めているのは、親欧米とか親露とかを超越した、自由・民主主義確立への熱い思いだということを現地から伝えた11月29日付の記事(http://www.guardian.co.uk/ukraine/story/0,15569,1361643,00.html。11月30日アクセス)です。
また、ガーディアンのコラムとは、上記コラム二篇等を俎上に載せ、これらの主張の最大公約数は、「橙陣営の運動は地域の安定を損なう」というものだとした上で、この手の批判については、1918年にレーニンが当時のロシア領リトワニアやポーランドにおける独立運動を欧州の安定を損なうと批判した論考をイタリアの新聞(La Repubblica)に載せて以来、東欧においてロシアないしソ連からの独立の動きがある都度繰り返されてきた擦り切れたレコードのようなものだ、と切り捨てた12月2日付コラム(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1364360,00.html。12月2日アクセス)です。
更にワシントンポストのコラムとは、あの高級紙のガーティアンの、しかもあの著名な二人のコラムニストに一体何が起こったのかと訝って見せた上で、米国政府の橙陣営梃子入れの程度がロシア政府の青陣営梃子入れの程度に比べていかにささやかなものであるか、かつまた米国政府が選挙後の今次紛争に対してもいかに及び腰であるか(注6)、を縷々述べ、最後に英国や欧州の左翼は民主主義的な親米政権よりも独裁的な反米政権の方が好きなのか、いうと嫌みで締めくくった12月1日付コラム(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A23721-2004Nov30?language=printer。12月1日アクセス)です。

 (注6)ブッシュ政権は、これまで今次紛争については沈黙を保っている。そもそも米国政府は代々ウクライナがロシア(ソ連)の勢力圏内にとどまることを認めてきた。現在のブッシュ大統領のお父さんは大統領当時、1991年12月にソ連が崩壊する数週間前、ウクライナの首都キエフで演説を行い、ウクライナにソ連内にとどまるよう述べたくらいだ。

 私自身は、今次紛争に関する米国陰謀説は、ガーディアンや英タイムスが発信源であることから、欧州と米国との対立の構図の中から出てきたものではなく、英国の米国に対する近親憎悪(コラム#506)の間歇的な噴出の典型例以外の何者でもないと見ています。

 より有力な説はロシア失策説です。
 ロシアにはソ連時代の頃から培ってきた選挙工作の技術があります。
 この技術を臆面もなく今度のウクライナ大統領選挙の際に駆使して青陣営を支援したことにウクライナの広汎な人々が憤激し、立ち上がったのが今次紛争だ、という説です。

 もう少し詳しくご説明しましょう。
 ロシアによる選挙工作の歴史はソ連時代の1946年6月のポーランドの国民投票にさかのぼります。この時ソ連と親ソ・容共ポーランド政府は、マスコミに親ソ・親共的報道しか許さず、反ソ・反共派の人々に対し選挙前には暴力的に威嚇し、選挙当日には投票所に行くことを許さず、投票結果はねじまげ、親ソ・親共派の勝利を宣言し、ポーランドの共産化・ソ連の衛星国家化に道を開きました。そしてソ連は同じことを次々に東欧諸国で行って行き、東西欧州の間に鉄のカーテンがおろされるのです。
その後ソ連が崩壊し、ロシアは形の上では自由・民主主義化しましたが、プーチン政権の下でロシアは次第にかつてのソ連のような閉鎖的な専制国家の様相を帯び始めています(過去の関連コラムは多すぎるのでいちいち挙げない)。
今年3月14日に実施されたロシア大統領選挙では、プーチンがソ連時代から培われた選挙工作技術を駆使して大勝利を博し、二選を果たしました。
これに味を占めたプーチンは、ロシアの勢力圏の維持拡大を図るため、「勢力圏」内の諸国の選挙への介入を始めるのです。
プーチンは、まず10月3日に実施された、反ソのグルジア(Georgia)内の親ソポケットであるちっぽけなアブハジア(Abkhazia)での「大統領」選挙に介入し、より親ロシアである候補を支援した結果、大火傷を負った(注7)というのに、10月17日に実施されたベラルーシ(Belarus)での議会総選挙への介入には成功をおさめたことに気をよくし、引き続き実施された10月31日のウクライナ大統領選挙と11月21日のその決選投票にも自らのウクライナ訪問等を通じて公然と青陣営への梃子入れを行ったのです(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A8881-2004Nov23?language=printer。11月25日アクセス)。

(注7)1992年から93年にかけて、アブハジアはグルジアからの独立戦争を戦い、領域内のグルジア人を追放し、残ったアブハジア・アルメニア・ロシア人だけで独立を宣言し、いまだにロシアを含め、どこからも独立を承認されていないものの、ロシアに政治・軍事・経済的に全面的に依存することで事実上独立を維持して現在に至っている。
プーチンは二人の大統領候補のどちらが当選しても、親露政策しかとれないというのに、あえてより親露的な候補者を露骨に支援しため、反発したアブハジアの人々はもう一人の候補者を当選させたが、選挙結果をめぐって紛争が生じ、いまだに決着を見ていない。昨年から今年にかけての無血革命によって親米政権を樹立したグルジアは、チャンスとばかりにことの成り行きをほくそ笑みながら注視している。
(以上、http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/FK30Ag01.html(11月30日アクセス)による。)

その結果はご存じの通りであり、ロシアの工作は完全に裏目に出てしまい、ウクライナの広汎な人々の憤激を買った結果、ウクライナが、地政学的・歴史的に似た立場にあるベラルーシに比べ、はるかに自由・民主主義確立へ向けての可能性を持っていることが世界に示されたわけです。
他方、皮肉にも今次ウクライナ紛争への関与を通じ、ロシアは、いかに自らが自由・民主主義とは無縁な存在であるかを改めて露呈した、と言えるでしょう(注8)。

(注8)ウクライナの大統領選挙の決選投票の前後に実施されたロシアでの世論調査によれば、34%が青陣営支持で橙陣営支持は7%に過ぎず、残りはどちらとも言えない、或いは分からないという回答だった。また、7割がこの選挙に関心がないと答え、関心を持ってニュースをフォローしている者はわずか3割にとどまる。ロシアの人々は恐るべきアパシー状態にあることが分かる。(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A23724-2004Nov30?language=printer。12月1日アクセス)

(完)

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