太田述正コラム#9611(2018.1.28)
<キリスト教の原罪(その1)>(2018.5.14公開)

1 始めに

 キャサリン・ニッキー(Catherine Nixey)の『暗黒化する時代–キリスト教の古典世界破壊(The Darkening Age: The Christian Destruction of the Classical World)』のさわりを書評群をもとにご紹介し、私のコメントを付します。
 この本の中身の質には疑問符がつくのですが、とにもかくにも、ガーディアンとFTという、英国の両高級紙と、The Spectatorという保守党系高級誌、New Statesmanという労働党系高級誌、が書評を載せたこと、この本が、王立文学協会(Royal Society of Literature)のジャーウッド・ノンフィクション賞(Jerwood Award for Non-Fiction)を受賞したこと(注1)、
http://www.pewliterary.com/author/catherine-nixey/
そして、何よりも、この本の書評群に目を通した過程で、私がオフ会「講演」で取り上げるべき新たな課題を発見するに至った、という諸点において、ご紹介する意義がある、と考えた次第です。

 (注1)もっとも、ここには(まだ?)、この受賞は記述されていない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jerwood_Award

A:https://www.theguardian.com/books/2017/dec/28/the-darkening-age-the-christian-destruction-of-the-classical-world-by-catherine-nixey
(1月2日アクセス)
B:https://historyforatheists.com/2017/11/review-catherine-nixey-the-darkening-age/
(1月6日アクセス(以下同じ))
C:https://www.newstatesman.com/culture/books/2017/11/darkening-age-how-christians-won-brutal-culture-war-against-rome
D:https://acton.org/publications/transatlantic/2017/12/22/book-review-darkening-age-catherine-nixey
(1月21日アクセス(以下同じ))
E:https://www.mercatornet.com/above/view/did-christians-destroy-the-classical-world/20822
F:http://zeroequalstwo.net/review-of-catherine-nixeys-the-christian-destruction-of-the-classical-world/
G:https://www.spectator.co.uk/2017/09/islamic-state-are-not-the-first-to-attack-classical-palmyra-the-darkening-age-reviewed/
H:https://davidtinikashvili.wordpress.com/2017/11/29/cameron-blame-the-christians-review/
I:https://www.ft.com/content/035fa46a-c62a-11e7-b30e-a7c1c7c13aab
(1月27日アクセス)

 なお、ニッキーは、ケンブリッジ大(古典)[2003年]卒、古典の教師を経て、ロンドンタイムス紙の<ラジオ評担当兼>美術担当記者、で既婚、という人物です。
https://www.panmacmillan.com/authors/catherine-nixey
http://www.independent.co.uk/news/education/higher/catherine-nixey-whats-the-point-of-a-classics-degree-564000.html ([]内)
http://www.pewliterary.com/author/catherine-nixey/ 前掲(<>内)

2 キリスト教の原罪

 (1)序

 「エドワード・ギボン(Edward Gibbon)<(コラム#858、1768、2138、2882、3483、4822、5238、5474、6310、6477、7073、7159)は、>キリスト教徒の超不寛容性(zealotry)こそ、究極的にローマ帝国を滅亡させた原因である、と考えた。
 自分達の公共的義務を軽んじる(contemptuous)市民達を生み出したことによって・・。・・・
 この精神は、著者のこの本にしみ渡っている。
 彼女の見解では、ギボン<の時代>から200年も経っているというのに、ローマ帝国の<キリスト教への>改宗についての標準的な現代の図柄は、依然として、キリスト教の勝利主義(triumphalism)によって輝かしいものにされている。・・・
 キリスト教より前のローマは、残酷で、恣意的で、懲罰的である、と想像されがちだ。
 すなわち、ローマは、著者の見事な言葉によれば、「寒々とした虚無主義的な世界」であると思われているのだ。
 それとは反対に、キリスト教は、勇敢で、道義的で(principled)、親切で、包摂的で(inclusive)、楽観的、と描写される。
 著者が自分自身に課した任務・・その陰鬱な義務・・は、この外見(veneer)を剥がして、初期キリスト教会の過ちと腐敗を暴露することだ。
 これは、しかし、21世紀のための本でもある。
 ギボンが関心があったのは、信仰と理性の間の衝突だったのに対し、著者にとっての衝突は物理的な諸事なのだ。
 すなわち、<この本は、>基本的に、宗教的暴力の研究なのだ。・・・
 多くの現代の批評家達は、宗教的テロについて、宗教的真実のひどい歪曲であると語ることを好むけれど、著者にとっては、一神教は、常に、武装していて、誰かがそれを行使するきっかけをつくってくれることを待ち構えているのだ。」(A)

(続く)