太田述正コラム#0563(2004.12.14)
<ブッシュ政権新閣僚物語(その1)>

 (コラム#562の中頃の「浮動票の多い青陣営支持者(コラム#296)」は「浮動票の多い緑陣営支持者(コラム#296)」のミスプリです。訂正してホームページの時事コラム欄に再掲載してあります。)

1 始めに

 ブッシュ米大統領は、司法長官の後任にゴンザレス(Alberto Gonzales)ホワイトハウス付弁護士を、そして国土安全長官の後任にケリク(Bernard Kerik)前ニューヨーク市警長官を指名しましたが、ケリク氏は10日夜(現地時間)就任を辞退しました。
 この二人の指名を見ていると、(議院内閣制ならぬ)大統領制の問題点、とりわけ米国の大統領制におけるスポイルズ・システム(猟官制)の問題点が来るところまで来てしまった感を深くします。
 
2 ゴンザレス氏

 まず、今のところまだ指名を辞退していないゴンザレス氏(注1)の方から始めましょう。

 (注1)貧しいラテンアメリカ系移民の子として生まれ、一般隊員として空軍に入隊し、その後空軍士官学校を卒業、次にハーバード・ロー・スクールを卒業した立志伝中の人物。

ブッシュ大統領はテキサス州知事の時、在任6年間に救った死刑囚と言えばたった1人だけであり、近年他の州では例を見ない152名もの多数の死刑執行を行わせていますが、恩赦や再審に係る権限を有する知事が死刑執行の署名をする前に、一人一人の死刑囚について、犯罪事実と法律問題等に係る知事用のメモをつくる役割を担ったのがゴンザレス氏でした。
テキサス州当局を相手にした裁判の過程でゴンザレス氏がつくった上記メモを全て入手した人物の分析によれば、これらのメモは極めて簡単かつ杜撰なものであり、まともな法律家の手になるものとは到底思えない代物だったといいます。
ブッシュが大統領になったことに伴ってホワイトハウス入りした後は、彼は、タリバンやアルカーイダのメンバーにジュネーブ諸条約を適用せず、キューバのグアンタナモ基地に送り込んで弁護士抜きで裁判にもかけずに無期限に勾留する、という悪名高い方針確立にあたって中心的な役割を果たしました。
アフガニスタンやイラクにおける囚人に対し、「拷問」を伴う尋問を行わってもよいという方針も彼の関与の下に確立されたものです。
要するにゴンザレス氏は、法をねじまげてブッシュに忠勤を励むことによって、司法長官への指名を獲得したわけです。
その彼が、ブッシュ大統領時代の任期中に更に最高裁判事にも任命されると目されているのですが、法の支配の守護神たるべき司法長官や最高裁判事にこんな人物が就くことになるとは、ブラックジョークとしか言いようがありません。
(以上、http://slate.msn.com/id/2109495/(11月12日アクセス)による。)

3 ケリク氏

次はケリク氏の番です。
(以下、http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1369728,00.html(12月10日アクセス)及び、http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-na-kerik11dec11,0,4878789,print.story?coll=la-home-headlineshttp://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-121104kerik_wr,0,6479249,print.story?coll=la-home-headlineshttp://www.nytimes.com/2004/12/12/politics/12kerik.html?ei=5094&en=6847965535ae0286&hp=&ex=1102827600&partner=homepage&pagewanted=print&position=、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A56247-2004Dec10?language=printer(いずれも12月12日アクセス)による。)
ケリク氏の経歴は、ゴンザレス氏よりも一層波瀾万丈の立志伝です。
高校をドロップアウトし、韓国で一女児を設けるも認知も金銭的支援も拒み通し、サウディ王族の用心棒になったかと思ったら、ニューヨーク市警のヤク専門の警官になり、1993年にジュリアーニNY市長の運転手兼用心棒となったことが運のつき始めで、後にジュリアーニはケリク氏を市警副長官に任命し市監獄を所管させます。
この時、市民の税金から拠出された100万ドルもの囚人のタバコ代が、ケリク氏が主宰する私的基金に収められ、行方が分からなくなっています。
そのケリク氏をジュリアーニ市長は更に大抜擢をして市警長官に任命します。
2001年の9.11同時多発テロが起こると、ケリク市警長官は、ジュリアーニ市長とともに、一躍全米の有名人になるのです。
そこで一山あてようと、ケリク氏ははでばでしい自伝を執筆・出版するのですが、資料集めに部下の警官三人を使ったというので、市の服務委員会が彼に2,500ドルの罰金を科しています。

(12月12日夜発信。続く)