太田述正コラム#0568(2004.12.19)
<マキアヴェッリとヒットラー(その1)>

1 始めに

トマス・アクィナスがプロト欧州文明の大イデオローグであることは既にご説明した(コラム#547以下)ところですが、(このプロト欧州文明が生み出したところの)イデオロギーの文明たる欧州文明が生んだ嫡出的鬼子であるファシズムの思想的淵源は、マキアヴェッリ(Nicolo Machiavelli。1469??1527年)に求められる、と私は考えています。
ファシズムの「旗手」はヒットラー(Adolf Hitler。1889??1945年)ですから、ヒットラーはマキアヴェッリの申し子だ、と私は考えている、ということです。

2 マキアヴェッリの君主論

 (1)結論
 マキアヴェッリはチェーザレ・ボルジア(Cesare Borgia。1475??1507年。コラム#544)と同世代人ですが、マキアヴェッリの主著『君主論(Prince)』は、いわば最悪の法王であったアレクサンデル6世と冷酷にして凶暴な、その子チェーザレに捧げたオマージュ(佐々木毅「マキアヴェッリと『君主論』」(講談社学術文庫1994年)中の『君主論』209??218頁、247??248頁、263頁、269??270頁)であり、トマス・アクィナス論難の書でもあります。
 すなわち、マキアヴェッリは君主論において、トマス・アクィナスの試み・・異端者を抹殺すること等によってカトリック教会の権威を維持増進することにより、危険に満ちた不安定な世界に生きていた欧州の人々の共通の紐帯を確保し、秩序を確立しようとした(コラム#552)・・の限界を自覚し(注1)、アレクサンデル/チェーザレ的でかつアレクサンデル/チェーザレ以上に「ワル」の君主が欧州に出現し、欧州を統一することによって初めて、欧州の社会から危険と不安定さを取り除くことができる、と考えたのです。

(注1)佐々木東大教授教授は、「あらゆる社会的関係が解体し、人間が相互に常時対立・抗争する世界(欧州(太田))の中でどのような手段によって、またどのような内容の統治が可能であるか、がマキアヴェッリの関心であったのである」(佐々木前掲書中の解説76頁)と指摘している。

 最初にこのことを、『君主論』とこの『君主論』に対する佐々木教授の解説(いずれも前掲書)を引用することによって明らかにしましょう。

 (2)引用
 佐々木教授は、マキアヴェッリはアクィナスとは対照的であって、
 ア 「権力の正当性の弁証がなく、権力は端的に存在するものとして前提されている。」(君主は法的正当性や伝統的正当性など顧慮しないでよろしい。(太田。以下同じ))
 イ 「王と暴君との区別がほとんど完全に消滅している。・・倫理学は政治学と無縁のものとして現われ、・・統治と倫理的価値との一体性はまったく見られない。」(君主はキリスト教的倫理になどに縛られてはならない。うそをついたり、人を拷問したり虐殺したり、またこのようにしてカネを貯め込んだり、何をしてもよろしい。)
 ウ 「政治的共同体はまったく姿を消し、相互になんらの共通項をもたない君主と臣民との関係がすべてとなる。」(臣民もまた君主の手段に過ぎない。)
 エ「<アクィナス>の場合、外敵の防衛の観点から消極的にその存在を肯定された軍事問題が今や君主の最大の義務と規定される。」(君主は臣民兵からなる強大な軍事力を整備し、ひたすら領土の拡大を目指さなければならない。)
と『君主論』で主張していると指摘しています(「」内。前掲書中の解説173頁)。

 イ に関しては、『君主論』中に以下のような記述があります。
 「支配者は自らの臣民の団結と自らに対する忠誠とを維持するためには残酷だという汚名を気にかけるべきではない。」(263頁)、「信義のことなどまったく眼中になく、狡智によって人々の頭脳を欺くことを知っていた君主こそが今日偉業をなしている。闘争手段には二つのものがある・・。一つは・・人間に固有の方法であり・・法によるものであり、他は・・野獣に特有な方法であ<り>・・力によるものである。・・君主は野獣と人間とを巧みに使い分けることを知る必要がある。・・野獣の中でも狐と獅子とを範とすべきである。」(268??269頁)、「大衆は、事柄を外見とその結果とからのみ判断するものだ・・。そしてこの世にはかかる大衆だけが存在し、大衆が支持する場合にのみ少数者は初めて影響力を持つことができるのである。」(271頁)。

 また、エ に関しては、『君主論』中に以下のような記述があります。
 「領土獲得欲というものは、極めて自然で当然のものである。能力のある者が領土を獲得するのは称えられることでこそあれ、非難されるものではない。」(189頁)、「君主は戦争と軍事組織、軍事訓練以外に目的を持ったり、これら以外の事柄に考慮を払ったり、なにか他の事柄を自らの業としてはならない。それというのもこれのみが支配する人間に望ましい業であるからである。この能力は極めて重要であって、それは生まれながらの君主にその地位を保たせるのみならず、多くの場合私人から君主の地位に昇るのを可能にする。」(251頁)、「自己の軍隊・・傭兵隊・・援軍・・のうち傭兵隊と援軍とは有害無益で、危険である。」(238頁)。

(続く)

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