太田述正コラム#0580(2004.12.31)
<中台軍事バランス(その4)>

 (前回のコラムの(注2)に手を入れて、ホームページの時事コラム欄に再掲載してあります。また、コラム#578についての読者とのやりとりが掲示板の#855、856に掲げられています。)

(2)日本と台湾の防衛協力
米国の影に隠れていますが、台湾の防衛における日本の役割も重要です。
日本が米軍の出撃拠点ないし兵站拠点の役割を果たすことを期待されているからです。
日本がこの期待に応えうる根拠は、1960年2月の極東条項を巡る政府統一見解の言うように、「フィリピン以北、日米安全保障条約の対象たる「極東」の範囲は、「日本及びその周辺地域で、韓国及び台湾地域も含む。この区域の安全が周辺地域に起こった事情のため脅威されるような場合、米国がとることのある行動の範囲は、必ずしも前記の区域に局限されるわけではない」(http://job.nikkei.co.jp/2006/contents/news/guide/kotoba/002.html。12月24日アクセス)からです。
なお、1969年11月の佐藤・ニクソン共同声明において、日本側は、「総理大臣は、朝鮮半島の平和維持のための国際連合の努力を高く評価し、韓国の安全は日本自身の安全にとつて緊要であると述べ<るとともに、>総理大臣は、台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとつてきわめて重要な要素であると述べ」(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19691121.D1J.html。12月24日アクセス)ており、このスタンスは、日中国交回復(日台国交断絶)以降も、変わっていません。
更に、1996年3月の台湾総統選を牽制して中国軍が行った、台湾周辺海域へのミサイル発射(これに対して米空母が急遽派遣された)に危機感を抱いた李登輝総統(当時)が日本との軍事協力の必要性を痛感、次の陳水扁総統から日本に対し、米軍通の現役海上自衛官の台湾駐在を求め、結局中国通の陸上自衛官OBが派遣されることとなり、2003年1月、事実上の駐台湾日本大使館である交流協会に主任として赴任しました。1972年の日台断交以来、初めて「駐在武官」が台湾に派遣されたことになります。(http://www2.asahi.com/special/jieitai/kiro/040322.html。12月25日アクセス)
おろかにも中国の胡錦涛指導部が、対台湾政策を改めず、引き続き台湾向けのミサイル配備数の増加等を続けるようなことがあれば、次に日本が打つべき手は集団自衛権行使を禁じた政府憲法解釈の変更です。
もとより、政府憲法解釈の変更は、中国の軍事動向いかんにかかわらず行うべきことではありますが、台湾の軍事的苦境を救うためということであれば、一層意義があることになります。
言うまでもなく、これは米軍への支援をより効果的に行うことが主たるねらいであって、政府解釈を変更したとしても、実際に自衛隊を台湾防衛のために投入するかどうかについては、慎重な判断が求められることに変わりありません。

(3)原潜日本領海侵犯事件と台湾
 ア 台湾通報説
台湾の陳水扁総統は11月19日、中国の原潜の日本領海侵犯事件について「事前に日本と米国に関連情報を提供することができ、最終的に(中国原潜と)確認され、発見されたことを光栄に思う」と述べ、台湾当局が最初に原潜の動向を確認したことを初めて示唆し、「原潜の侵犯事件によって(日米ともに)中国の脅威を感じたはずだ」とした上で「アジア太平洋地域の平和と安定維持が日米台の共通の利益だ」と述べました(http://www.sankei.co.jp/news/041119/kok102.htm。11月20日アクセス)。
そして翌20日に台湾の有力紙・中国時報は、台湾軍事関係者の話として、台湾は11月初め、台湾東部海域で中国の原潜が航行しているのを対潜哨戒機S-2Tが発見し監視を開始し、巡視艦も現場海域に急派し追尾したが、原潜が潜行を続けたため、一度は強制浮上させる準備に取りかかったが原潜は離脱し、台湾北東方向の与那国島と宮古列島付近の日本の領海へ入り込んだ、と報道しました。同紙によれば、台湾当局はその直後に日本側に情報提供し、原潜の監視が自衛隊に引き継がれたというのです。(http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20041121/mng_____kok_____003.shtml。11月21日アクセス)
ところが、日本の外務省は、台湾から通報があったことを否定したため、台湾の総統府はこの日本政府の反応に対し遺憾の意を表明しました(http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2004/11/27/2003212741。11月27日アクセス)。

 イ 米国通報説
話はこれで終わりませんでした。
12月に入ってから、日本政府筋の話として、米国が10月中旬に偵察衛星で出航直前の中国漢級原潜をとらえ、この原潜が出航してからは青島近海で潜没したまま監視活動を続けていた米ロサンゼルス級原潜が追尾を開始したところ、中国原潜は宮古島北方の公海を潜没して太平洋に進出し、グアム付近から帰路に就き、11月10日に日本領海を侵犯し、最後は再び偵察衛星によって16日に青島に戻ったことが確認された、という報道が東京新聞によってなされたのです。この記事では、「米原潜が中国の原潜基地付近で隠密の監視活動を行っていることが判明したのは初めて。冷戦期、ソ連の原潜基地付近で行っていたのと同じ軍事行動に当たる。2年前にも青島を出港した漢級原潜を米原潜と海自が追尾したが、この時は領海侵犯しておらず、公表されていない。グアムには2001年から米原潜が1隻配備されているが、月内にも1隻追加し、常時1隻は青島付近の監視任務につくことが可能になる。」とも報じられています。(http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20041208/mng_____sei_____001.shtml。12月8日アクセス)。
 通報は、この追尾の過程で、米国から日本に対してなされたことになります。

  ウ 真相いかん?
 一体、どれが真相なのでしょうか。
 確かに中国には原潜は攻撃型としては漢級が5隻、核弾道弾搭載型としては夏級が1隻しかありませんし、そのすべてが同時にオペレーションを行うことはありえないので、出港した原潜すべてを米国が自分の攻撃型原潜で追尾することは、攻撃型原潜を56隻も持っているので十分可能です(注3)。しかし、オペレーション中に原潜側から通信を行うことは極力避けるものなので、中国原潜の位置情報をこの米国原潜が地上司令部に通報し、これを米国政府が日本政府に伝達した、とは考えられません。

 (注3)中国と米国の潜水艦の隻数等は、The military Balance 1904/1905 PP25,171 による。

 私は、以前(コラム#530??533、537)述べたように、固定ソーナー網(SOSUS)で得られた中国原潜の位置情報をもとに、日本政府はP-3C等を投入してこの原潜をピンポイントで捕捉した、と考えています。
 いずれにせよ、台湾のST-2のような旧式の対潜哨戒機が中国原潜を発見したはずはありません。
 米国が台湾を基地局として台湾周辺海域にはりめぐらせた固定ソーナー網がこの中国原潜を追跡し、この固定ソーナー網で得られた情報を台湾も米国と共有するルールとなっていたことから、この情報を米国が日本に伝達したことをとらえて、陳水扁総統は、日本に直接情報を伝えたかのように語ったのでしょう。
 結果としてこの中国原潜が日本の領海を侵犯した、というわけです。
 他方日本は、米国(台湾)から情報が得られていたので、この中国原潜を、米国が日本を基地局として日本周辺海域にはりめぐらせた固定ソーナー網でなおさら容易に捕捉することができ、早期にP-3C等を投入することによって、この中国原潜が日本の領海を侵犯する前にピンポイント捕捉ができた、と考えます。
 陳水扁発言を日本政府が否定したのは、台湾と日本の軍事協力態勢をコンファームすることは対中配慮上避けたかったことと、米国が日本と台湾周辺に張り巡らせた固定ソーナー網の存在を引き続き秘匿したかったからでしょう。

(完)