太田述正コラム#0607(2005.1.27)
<2島返還で、北方領土問題解決を(続々)>

 小宮さんから、反論が届いたので、ご披露させていただきます。
 最後に私のコメントをつけてあります。
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あらためて、先の問題となった
条約本文のフランス語を以下に提示して解説することに致します。

En echange de la cession a la Russie des droits sur l’ile de Sakhaline, enoncee dans l’Article premier, Sa Majeste l’Empereur de Toutes les Russies pour Elle et pour ses heritiers, cede a Sa Mejeste l’Empereur du Japon le groupe des iles dites Kouriles qu’Elle possede actuellement, avec tous les droits de souverainete decoulant de cette possession, en sorte que desormais ledit groupe des Kouriles appartiendra a l’Empire du Japon

ここで問題になっているのは単純な英文解釈ならぬ仏文解釈の問題、いわゆる文法論議で、関係代名詞の制限・非制限用法の問題です。太田さんは英語だと「機械的」にコンマの位置で制限・非制限用法の違いを区別できると仰っていますが、(英語に詳しくない私が言うのも何ですが)おそらくそんなことはないでしょう^^;。
今現在学校教育で関係代名詞の制限・非制限用法がどのように教えられているか詳しいことは知りませんが、私が習った頃は「関係代名詞の制限用法は形容詞的に、すなわち後ろからひっくり返って訳す、非制限用法の場合は副詞的に、すなわち文を区切って訳す」のように教わったような気がします。しかしこの説明は、あくまで関係代名詞という文法要素を持たない日本語にいかにして英語の内容を移植するかの必要に駆られて導入された説明図式と言ってよいものです。
そもそも関係代名詞の制限・非制限用法を分けるのはカンマの位置であり、これはすなわち句読法(ポンクチュアシオン)の問題です。そもそもカンマを打つとは、そこが息をつぐポイントであることを意味します。息をつぐ、とは語られる言葉がそこで内容的に完結するか、あるいはその内容が一時宙釣りにされることです。このことから、関係代名詞の非制限用法においては、カンマに先行する文章はそこまでで意味が一応完結しているか、あるいは完結していないのなら、先行部分とは意味内容的に区別される別の内容、すなわち追加情報が付加されて
いる、と考えることになります。このような観点から先の問題となったフランス語を改めて読み解いてみましょう。

問題のフランス語: 1). le groupe des iles dites Kouriles qu’elle possede actuellement.
この文1). をいわゆる"横のものを縦にする"要領で訳そうとすると、関係節中のpossederの目的語がle groupeなのかles iles dites Kourilesなのか不明瞭なことから、文の解釈に多少の混乱が生じます。ここで仮に、関係代名詞queの前にコンマを打ってみます。

関係代名詞queの前にコンマを打った場合:
2). le groupe des iles dites Kouriles, qu’elle possede actuellement.

先に述べた「句読法とは息継ぎの問題」すなわち意味の切れ目であり、コンマ以下は追加情報である、ということを念頭に置いて、文2). を多少デフォルメして訳してみると、

文2) =「いわゆるクリル列島のグループ。(これは)現在ロシア皇帝が所有してるわけだが。」

のようになるでしょう。この試訳からも分かるように、queの前にコンマを打つと、関係節中で便宜的に括弧に括って示した"これ"が先行文中のle groupeとlesiles dites Kourilesのいずれをも指しうることから、文意がむしろ曖昧になります。というのも、この場合、le groupeであれ、les iles dites Kourilesであれ、どちらも理論的にはpossederの先行詞になりうるからです。というより、もし、このようなカンマの打ち方であったなら、"qu’elle possede actuellement"の部分がいわゆる"合いの手"になってしまい、なぜクリル諸島について「現在ロ
シア皇帝が所有してるわけだが」などとわざわざ言及されるのか理解に苦しむことになります。もしロシア皇帝が正真正銘にクリル列島を領有していたのなら、あっさり「クリル諸島を譲渡する"ceder les iles Kouriles"」とだけ書けばよかったはずです。ところがそのようには書かれていない。なら、それにはそれだけの理由があったはずです。それを以下で考えてみることにしましょう。
上記の引用文の内容と歴史的事実から、いくつかの仮説が考えられますが、まずそのうちのひとつは、

1) 条約締結当時の日本とロシアの間に、クリル列島(あるいは千島諸島)の地理的概念に関して、共通理解が成り立っていなかった。

ということがあげられると思います。この問題は先のメールでどうやら誤解を招いたみたいですから、もう少し慎重に扱う必要がありそうです。最初にお断りしておきますが、私は北方領土問題の専門家でありませんので、いつ、どういった条約が、どういう内容で結ばれた、等のことはほとんど知りません。ですから、ここから先は私の個人的理解と推測に基づいてお話しすることになります。
まず、おそらくロシア人にとって、クリル列島(千島列島)とは、シュムシュ島から北海道本島までを含めた島嶼地域を包括する地理上の概念だったと思われます(注1)。カムチャツカ半島の突端に立ってはるかに南の海を見はるかすロシアのコサックにとって、"Kouriles"という名称で言い表される地域が現在の日本政府の公式見解のように、シュムシュ島からウルップ島まで、と明確に境界が限られていたと考えるのは、おそらく相当な無理があり、蝦夷本島まで含めていたと考えるほうが妥当でしょう。

(注1)だからこそ、ソ連軍は日本敗戦後、北海道まで占領しようとしたのじゃないでしょうか?おそらくヤルタの密約でスターリンが期待していたのは北海道までを含めたクリル列島だったのでしょう。もっとも、これは今回の文法談義とは関係ありませんが、ヤルタ会談もひどい話で、自分の所有物でもないものをどう分捕るかを、あたかもお勤め前の盗賊よろしく、密約しているわけです。

翻って日本の立場にしてみれば、ロシア人が"クリル"と通称する地域に蝦夷本島や国後、択捉が含まれており、天明五年の最上徳内の調査旅行に遡る時代、あるいはそれ以前から、この地域は日本人による開発・交易が行われておりました。この地域の開発・交易に携わる日本人にとって、この地域は、ロシア人がクリルと呼ぼうがなんと呼ぼうが、北海道は蝦夷地、国後・択捉は国後・択捉であったでしょう。あるいは、場合によっては、日本人にとってさえ、この地域の通称は"千島"あるいは"クリル"だったかも知れません。
逆に私から太田さんにお尋ねしたいのは、この時代、つまり18世紀後半から19世紀後半の時期にかけて、この地域の日本人(あるいは当時の幕閣)が今日の日本政府の主張するような領域概念を持っていたかです。言い換えれば「ウルップ島以北が千島(クリル)列島」と考えていたかです。おそらく常識的に考えれば、そんなことはなかったでしょう。
つまり、ロシア人はシュムシュ島から北海道本島までの島嶼地域を"Kouriles"と呼んだとしても、日本人にとってそこは"蝦夷地"であったり、"その支島としての国後・択捉"であった。あるいはそういった地域を総称して"千島"と言ったかも知れず、「どこからどこまでが千島列島で、どこから先が北海道とその支島である」というような共通理解はこの条約が締結される以前の段階で日露双方に存在しなかったと考えるべきでしょう。
そしてこのことを示すのが先のフランス語における"les iles dites Kouriles"の"dites"の一語です。もし「どこからどこまで」とお互いにとって境界が明確な地域を指しているのであれば、"dites"などという語調緩和に類した機能を持つ語を差し挟む必要はありません。「いわゆるクリル諸島」と言わねばならなかったのは、交渉当事者の双方にとって(あるいは少なくともロシア側にとって)、どこからどこまでがクリル列島であるのか明確な合意、あるいは理解がなかったから、と考えるのが妥当です(ロシア側の立場としては北海道まで含めて"クリル列島"としたいが、日本側はそうじゃないと言っている、しかしまあ、ロシア側としてはこの地域を総称するのに"les iles Kouriles"とする方が便利だから、日本人の意向も容れてとりあえず"les iles dites Kouriles"とでもしておこう、こういったあたりがロシア側交渉当事者の考え方であったのではないかと憶測されます)。
ここでもういっぺん、なぜロシア側が「クリル列島を譲渡する"ceder les ilesKouriles"」とあっさり書けなかったかの問題に戻りましょう。その理由のひとつとして、クリル諸島について日露双方に共通理解が成立していなかったという仮説をあげましたが、この仮説は"dites"という語が実際に差し挟まれていたことからより蓋然性の高いものになったと思います。
なら、ロシア側は条約文中で"ceder les iles Kouriles"の代わりに、「いわゆるクリル諸島を譲渡する"ceder les iles dites Kouriles"」と書けばいいじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、この書き方にも無理があったと考えられます。
先にも述べたように、ロシア側の"クリル列島"概念はシュムシュ島から北海道本島までを含めた周辺地域についての総称であったと推測されます。ところが、

2) 北海道、およびその支島である国後・択捉は日本が歴史的事実として実効支配していました。

つまり北海道および国後・択捉は日本人の土地であった。ところで、ロシア人にとってのクリル諸島が国後・択捉および北海道本島をも含めたものであったとして、果たして、ロシアの手の及ばない北海道本島や国後・択捉島の所有権をロシアが云々することが出来たでしょうか?先のメールでも述べましたが、所有権を譲渡するためには、実際に"譲渡されるものを所有"していなければなりません。
したがって"ceder les iles Kouriles"と言う場合、ロシア人が"クリル列島"と見なす地域全域を支配して(注2)、初めてそれは可能になります。これは"ceder les iles Kouriles"が"ceder les iles dites Kouriles"とditesを付加された場合でも変わることはありません。

(注2)フランス語における複数定冠詞は"tous(=all)"の意味を含み持ちます。ですから、"les
iles Kouriles"あるいは"les iles dites Kouriles"と言う場合、それは"toutes les
iles Kouriles"あるいは"toutes les iles ditesKouriles"とほぼ同義になります。で
すから"les iles Kouriles"は単純に「千島列島」ではなく「千島全島」の意味で理解
しなければなりません。

ところで、なんども同じことを繰り返しますが、歴史的事実として、日本は国後・択捉島を実効支配していました。ロシア側の"クリル"概念は、おそらく国後・択捉および北海道本島をも含めたものだったでしょう。このように考えたとき、はたして、そもそもの事の発端である、関係代名詞の制限用法で読みとった場合の"iles dites Kouriles qu’elle possede actuellement(訳:「現在ロシア皇帝の所有するいわゆる千島全島」)"は意味をなすでしょうか?歴史的事実としてロシアは国後・択捉を所有していなかったのですから、このような言表は事実に反します(ここが一番重要です)。仮にこれが事実に反しないとするなら、ロシア側の言う"クリル列島"とはロシアの実効支配の及んでいた地域、すなわち、シュムシュ島からウルップ島まで、と逆に限定されることになります(ややこしいかも知れませんが、ここのところをしっかり理解して下さい、あるいはあえて曲解して政治利用するのもいいでしょう^^;)。
繰り返し言いますが、"les iles dites Kouriles qu’elle possede actuellement"は事実に反する言表です。
なぜ事実に反する言表になるか?それは関係節中のpossederの先行詞を取り違えているからです。ところがpossederの先行詞を"les iles dites Kouriles"ではなく、"le groupe de …"と理解すれば、事実に反する言表は解消します。図示すれば以下のようになるでしょう。le groupe


le groupe —————– qu’elle possede actuellement
des iles dites Kouriles
強いてこの文を訳せば、「いわゆるクリル列島(全島)のうち、ロシア皇帝が現在所有している部分(グループ)」のようになります。これなら、歴史的事実に関する矛盾は生じません。これがこの文の内容に関する私の理解です。
なお、もう一言付け加えれば、仮にLasserreが「仮にクリル群島の全体をそもそもの初めから譲渡したのなら、le groupe deなどという部分集合を明示する語を付加する必要はもとからなかったはずである」と本当に述べているとすれば、図らずもLasserreは自身の誤読を暴露していると言わざるをえないでしょう。
“le groupe de”が不要になるのは、まさに、possederの先行詞を”les iles dites Kouriles”と取り違えている場合に他ならないからです。possederの先行詞を”les iles dites Kouriles”と捉えると、”le groupe de”は文中において完全に”浮いた”要素となります。太田さんも仰ったように、正式の外交文書中にそんな無駄な要素をわざわざ付加するというのは、常識的には考えられないことです。
関係代名詞の制限・非制限用法の問題という表面的な観点からだと、”le groupe des iles dites Kouriles qu’elle possede actuellement”を私が提示したような読み方で読み解くのはかなり”破格”のことに見えるかもしれません。しかし、ネイティブでさえ、規則通りの読み方だと文中に無駄な要素が生じると認めているなら、それは、表面的な規則に従った読みの方が間違いだということを示すなによりの証拠です。ややこしい文章を理解するためには、出来合いの文法規則に飛びつくのではなく、まずなによりも文中要素の全てが整合性をもって収まるような解釈を試みるべきなのです。
たしかに太田さんの仰るように、私は法律的な文章に関しては門外漢です。しかし、法律であれ文学であれ、言葉がコミュニケーションを目的のひとつにする以上、それを読み解く規則は基本的に同一です。あるいは太田さんの仰るとおり、法律学では日常言語よりもはるかに厳密な”解釈”が問題になるのかもしれませんが、そんな政治的曲芸は私の知ったことではありません。
ともあれここまでで、私は例のフランス語文について、言葉そのものと歴史的事実に即して、文中要素がすべて整合的に収まりがつくような理解を示したつもりです。
最後に、先のメールで誤解を招いたらしき点についての弁明と、北方領土に関する意見を述べさせて頂こうと思います。
まず、 
>>引用開始
5 最後に、「仮にクリル群島の全体をそもそもの初めから譲渡したのなら、le groupe deなどという部分集合を明示する語を付加する必要はもとからなかったはずである。」という小宮さんの指摘と同じ事をLasserreも指摘をしています。
その上でLasserreは、これだけでも、「樺太・千島交換条約」締結当時、日露双方とも、クリル群島(千島列島)に国後・択捉も含まれると考えていたことは明らかである、と結論づけています。
小宮さんは、正反対の結論を導き出されておられるようですが、私は小宮さんのこの部分の論理がどうしても理解できません。
>>引用終わり
の部分ですが、これは完璧な太田さんの誤解です。私は一切”正反対の結論”など出していません。先のメールにおける私の主張は,「そもそもこの一節からクリル列島の定義を引き出そうとすること自体、ナンセンスである」のただひとつに尽きます。たしかに前回のメールの後半部分を読み返すと、かなりごたついて、分かりにくいものになっていたことは認めねばなりませんが、いずれにせよ、私にとって千島列島の定義に関する日本政府の公式見解などはどうでもいい問題で、それが正しいか否かを過去の条約原典に遡って検討するというのも、さらに輪を掛けてどうでもいい問題です。
というのも、国後・択捉は事実として日本固有の領土であったからであり、サ
ンフランシスコ平和会議において吉田茂が「千島列島に北方四島は含まれない」
と各国代表に注意を促しているのですから、千島列島あるいは北方領土の定義と
してはこれで十分です(注3)。
(注3)私に言わせれば、日本人がお人好しすぎるから、わざわざ千島列島の定義云々で相手
のペースにはめられてしまうんです。事実において北方四島が日本固有の領土であっ
たのだから、その返還を要求していくのは当然のことであり、そもそも日ソ不可侵条
約を破って火事場泥棒を働いた上に「千島列島を放棄する」と明記されたサンフラン
シスコ平和条約の批准を拒否した相手に、なんでこの条約をもとに言質を取られなけ
ればならないのかさっぱり分かりません。むこうがぐだぐだ言ってきたらすべて突っ
ぱねればいいだけの話で、仮に「法(国際法)を遵守することが長い目で見て国益に
資する」というのであれば、相手の国際法違反をうやむやにするのでなく、永久に謝
罪と賠償を要求し続けてもいいくらいです(この意味で言えば、日本は千島列島を放
棄する必要さえないはずです)。
おそらくこのような意見は法律知らずの無知な暴論と思われるかもしれません。しかし、歴史的事実・由来を無視して、「千島列島は過去の条約のどこにも定義されていない」のだから、それを論拠に「北方四島も放棄してしまえ、その方が適法で国益にかなう」と言うのであれば、これもまた杓子定規な法律学者の非常識と言わざるをえないのではないでしょうか。私としては太田さん本意を曲解していると思いたいところです。
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 以下が私(太田)のコメントです。
 「英語だと機械的にコンマの位置で制限・非制限用法の違いを区別できる」
とおっしゃったのは小宮さんであり、私もそう思うと申し上げただけです。今更、そんなことは言わなかったと言われても困ります。
 また、「私は北方領土問題の専門家でありませんので、いつ、どういった条約が、どういう内容で結ばれた、等のことはほとんど知りません。ですから、ここから先は私の個人的理解と推測に基づいてお話しすることになります。」
というのも困ります。
 典拠と専門知識を踏まえ、論理的に結論を導き出すべきでしょう。小宮さんは、フランス語の専門家でいらっしゃるのですから、法律文の解釈として、Lasserre(ないしその典拠)のフランス語解釈は間違っていることをお示いただきたかったですね。
 (”les iles dites Kouriles”の”dites”について、私の「推測」は、日本側にとって「千島列島」の範囲は明確でも「クリル諸島」の範囲は明確でなかった、つまりは「千島列島」=「クリル諸島」であるかどうか判然としなかったから、日本側の要請で「dites(いわゆる)」をつけたというものです。もとより、「千島列島」には国後・択捉が含まれていたわけです。いずれにせよ、こんな典拠抜きの「推測」には何の意味もないことは申し上げるまでもありません。)
 「北海道、およびその支島である国後・択捉は日本が歴史的事実として実効支配していました。」
というのはおっしゃる通りです。そのことは、
「le groupe —————– qu’elle possede actuellement
des iles dites Kouriles
強いてこの文を訳せば、「いわゆるクリル列島(全島)のうち、ロシア皇帝が現在所有している部分(グループ)」のようになります。これなら、歴史的事実に関する矛盾は生じません。これがこの文の内容に関する私の理解です。」
という小宮さんの解釈・・これはLasserreの解釈でもある・・と完全に整合しています。小宮さんはLasserreの解釈に反対しておられたのではないのですか。頭がおかしくなりそうです。
 いずれにせよ、「クリル諸島のうち」日本が実効支配していた国後・択捉を除く諸島をロシアは日本に引き渡したのであり、「クリル諸島」には国後・択捉が含まれる、ということがこれではっきりしましたね。
 小宮さん。議論の途中でご自分の見解を変更しないで下さい。
 「千島列島の定義に関する日本政府の公式見解などはどうでもいい問題で、それが正しいか否かを過去の条約原典に遡って検討するというのも、さらに輪を掛けてどうでもいい問題です。というのも、国後・択捉は事実として日本固有の領土であったからであり、サンフランシスコ平和会議において吉田茂が「千島列島に北方四島は含まれない」と各国代表に注意を促しているのですから、千島列島あるいは北方領土の定義としてはこれで十分です。」
というくだりもそうです。
 小宮さんは、「千島列島の定義」について前段では「どうでもいい問題」とされ、後段では吉田の「千島列島の定義」を、(それが「どうでも」よくないからこそ、)あえて紹介されておられます。
 「事実において北方四島が日本固有の領土であったのだから、その返還を要求していくのは当然のこと」
は暴論です。国後・択捉は、その名称からも明らかなように、アイヌ系の人々が先住民です。もっと時代をさかのぼれば、また別の人々が住んでいた可能性があります。日本の「固有の領土」などではありません。そもそも「固有の領土」という表現は日本語「固有」の表現なのであって、基本的にいかなる言語へも翻訳不可能でしょう。欧州・イギリスの歴史を振り返るまでもなく、領土の帰属先などいくらでも変わり得るのです。
 少なくとも日露両政府間で、北方問題に係る争点が、千島列島(ここではイコールクリル諸島でよろしい)に国後・択捉が含まれるかどうか、であることは一致しています。それを前提に議論をするのが生産的だと思います。
<読者θ>
 北方4島の問題は法律論としてよりも戦略論として捕らえるべきです。
 我々が守らなくてはいけないものは、現在の世界の現状を鑑みて、サンフランシスコ条約です。
 この点では太田さんの論点ははっきりしています。
 よって、千島列島は放棄しました。
 この経緯を詳しく分析して米国を巻き込むことが必要でしょう。
 小宮さんがおっしゃる通り、サンフランシスコ平和会議において吉田茂が「千島列島に北方四島は含まれ ない」と各国代表に注意を促しているのですが、その後の経緯はどうなんでしょうか?
 沖縄との比較で申せば、マッカーサーは琉球を日本人とは認めていませんでした。
 アイヌも少数民族で、同じく認めていません。
 違いは、ソ連の統治と米軍の違いです。
 その後の歴史は皆さんの知るところです。
 返還の唯一のチャンスはハブルラートフ国会議長の訪問のときで、ロシアの混乱期にあったので、彼の言うがままの支払いをしていれば言質が取れたでしょう。
 現状は石油の価格が高騰しており2島返還以外に道はありません。
 よって、先に望みを託すか? それまでは現状維持? プーチンのあとの大統領は交渉する用意はあるのでしょうかねえ?
 それとも2島返還で平和条約を結び、北東アジアに秩序を構築する気運を醸成するか?
 こう考えていくと、鈴木宗男氏は結構上手くやっていたと思われます。彼はロシアと仲良くしすぎたのでああなってしまいましたが・・・
<太田>
>  返還の唯一のチャンスはハブルラートフ国会議長の訪問のときで、ロシアの混乱期にあったので、彼の言うがままの支払いをしていれば言質が取れたでしょう。
 ここのところをもう少し詳しく教えていただけませんか。
>  よって、先に望みを託すか? それまでは現状維持? プーチンのあとの大統領は交渉する用意はあるのでしょうかねえ?
>  それとも2島返還で平和条約を結び、北東アジアに秩序を構築する気運を醸成するか?
 ここは皆さんのご意見をぜひうけたまわりたいですね。
<読者π>(2005.5.4)
 いまさらなんですが、北方領土についての考察で、二島返還を主張される根拠をもう少し知りたいです。3回しかコラムを拝見していないので、続きがあればと思うんですが、、、。理由は、私は全く逆の考えをしているからです。現在北方領土の人口は減る一方。黙っていても干上がるでしょう。時間が経つにつれて交渉が有利なのですから、焦って二島で手を打つのには賛成しかねません。
<太田>
>北方領土についての考察で・・続きがあればと思うんですが・・
 続きはありません。
 代替案があるのであれば、どなたでも結構ですので、きちんと提示してください。
>現在北方領土の人口は減る一方。黙っていても干上がるでしょう。時間が経つにつれて交渉が有利なのです・・
 北方領土の人口の減り方と日本、特に北海道の道東の人口の減り方のどちらが早いか、良い勝負ではないですか。
<読者π>
> 続きはありません。
> 代替案があるのであれば、どなたでも結構ですの
> で、きちんと提示してください。
 すいません、門外漢なもので、私はパス。とりあえず、人口については既にお考えの上でのご発言だとすれば、もうこれは平行線をたどりそうですな。
<読者λ>(2005.4.29)
 日露間に、国際司法裁判所で決着をつけようという動きはあるのでしょうか?
 あるいは、どちらかがその決着を嫌がっているのでしょうか。
<読者λ>(2005.5.14)
 私には難解でついていくのが大変でしたが、北方領土に関する太田さんの主張は理解できました。説得力あると思います。
 仮定の話ですが、もし、サンフランシスコ講和条約に署名した国が全て(全ては無理でも過半数が)「この条約のクリル諸島には、北方四島は含まれていない」と言明した場合、国際法上は、領有権はどうなるでしょうか。ロシアは署名していませんから、国際法上の立場は強くなると思うのですが。(大半の国は、クリル諸島がどこからどこまでか良くわかっていなかったのが実態でしょうが)
 ついでなら、質問です。
 この問題は、尖閣諸島問題なども含め、文面だけではなく、条約に地図を添付して、図面で明確にかいておれば発生しなかったと思うのですが、条約というものは、そのような事をしないのが慣例なのですか?
<太田>
 問題提起された二点は、いずれも法の一般理論にかかわる問題のような気がします。
 第一点は、法の文面の解釈にあたって立法者意思が尊重されるべきかどうか、という問題ですし、第二点は、法は文章だけで構成されなければならないか、という問題です。
 第二点については、法は、原則として文章だけで構成されければならないが、とっかかりとなる文章が明記されてさえおれば、その文章を分かりやすく視覚化するための図画を添付することは可能であり、その場合、当該図画を含めた全体が法ということになるのではないでしょうか。(やや次元の違う話ですが、国会の議事録には、図画を用いて質問をした場合でも、その図画は掲載されないのではなかったでしょうか。)
 このあたりは、読者の中に詳しい方がおられたら、ぜひご教示ください。
<読者λ>
 早速のご回答ありがとうございます。
 ついでながら、以前にも書いた質問ですが、ご存知なら教えてください。
 現在の日本は、この問題を国際司法裁判所で解決しようという動きはしているのでしょうか。
 別のサイトで韓国人が、「日本人は竹島問題を国際司法裁判所で解決しようというが、北方領土問題でロシア側が国際司法裁判所での解決を申し出ると拒否する」と、発言しているのを見たことがあるからです。韓国人の言うことですし、以前、大平外相が国際司法裁判所への提訴を申し出たが、ソ連から拒否された、と聞いたことがあるので、まあ、違うとは思いますが。
 いずれにせよ、領土問題をいつまでも引きずる事が、必ずしも国益にかなう事とは思えませんので、太田さんがおっしゃるような解決方法がいいと、私は思います。
<太田>
 実のところ、そこまで調べていないのですよ。
 そこで、あくまで推測です。
 ロシア(ソ連)が国際司法裁判所の強制管轄を受けることにしているとは思えませんが、いずれにせよ、ロシアが受けて立てば、北方領土問題は国際司法裁判所の判断をあおぐことができます。
 しかし、日本政府は国際司法裁判所に出せば、負けることが決まっていることは知っているはずなので、これまで、国際司法裁判所の話は持ち出していないのではないでしょうか。
 他方、ロシア側は、北方領土を実効支配しているのですから、日本政府が国際司法裁判所の話を持ち出さない限り、何も言わない、という状況なのではないでしょうか。
 ご存じの方は、ぜひご教示下さい。
<読者λ>
 あのピースボートが外務省に質問状を出し、その回答の中にこのような記述がありました。(第7項です)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/pb_qa.html
 「国際司法裁判所への付託については、昭和47年、当時の大平外相からグロムイコ外相に対し打診をし、これに対し、グロムイコ外相はこれに応ずる考えはないということを明確に述べたという経緯があります。なお、御承知のように国際司法裁判所は強制管轄権を持っているわけではなく、この問題を国際司法裁判所に付託するためには、当該付託について日露間で合意する必要があります。」
 ただ、この回答の後半を見ると、やはり外務省にこの考えはないようです。竹島問題では逆の事を言っているわけですから、太田さんの見方が正しいように思えます。
<読者σ>
 北方領土問題の議論は、私見では3種類に分けられると思います。
 国際司法裁判所への付託は、「手続き」の方法論。
 二島返還論・四島返還論は、「落としどころ」の出口論。
 わたしは、その前に「恫喝」の入り口論があると思います。
 かつてのソ連が言ったような「日ソ間に領土問題は存在しない。」とか、中国共産党政権がいう「沖ノ鳥島は岩。」「尖閣付近の大陸棚は中国沿岸領土の自然延長である。」
などがそれです。それが正しいか間違っているかではなく相手への脅しが主眼だと思います。テーブルにつかせるとか譲歩を引き出すための常套手段でしょう。
 で、わたしが日本の領土問題でいつも変だなと思うのは、外国は入口論なのに、日本国内の議論は、入口論がなく、手続き論も希薄で、即出口論なので噛み合ってないなということです。その点、この太田さんのコラムと掲示板の議論で手続き論にも話が及んでいるので参考になります。
 わたしは、日本の北方領土問題に対する入口論については、伊藤憲一さんと同じ意見で、「日本の千島と樺太の一部放棄を定めたサンフランシスコ平和条約第二条C項は、ソ連の署名拒否によって死文化しており、日露間においては択捉、国後、色丹、歯舞だけでなく、千島、南樺太についても領土問題は決着していない」(http://www.jfir.or.jp/j/column/c38_ito.htm)が妥当だと思います。それが妥当か不当かは別にして。
 その上で、「手続き論」では国際司法裁判所への付託が両国国民を納得させる上で至当だと思います。
 そして、そのような「手続き論」をとる以上、裁判所の判断が、最悪の結果(北方四島もロシア領)であっても甘受する覚悟が必要だと思います。「出口論」はこの場合「手続き論」に吸収されるのでしょう。
 別論ですが、尖閣諸島、竹島についても同様にすべきでしょう。私見ですが。
 参考 伊藤憲一氏の所論
http://www.jfir.or.jp/j/column/c42_ito.htm
http://www.jfir.or.jp/j/column/c57_ito.htm
http://www.jfir.or.jp/j/column/c60_ito.htm