太田述正コラム#0603(2005.1.23)
<2島返還で、北方領土問題解決を(続)>

コラム#603に対し、小宮基敬(早稲田大学大学院文学研究科仏文専攻博士後期課程5年次在籍)さんから、ホームページの掲示板に投稿があったので、ここに転載し、小宮さんの指摘に対する私の疑問等を提示させていただきました。
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今回、改めて北方領土問題を取り上げられましたので、あえて私見を述べてみようと思い、筆を執りました(当方、多少フランス語に通じております)。なお、本文中は多少文体が違っておりますが、他意はありませんのでご容赦下さい。論じている内容は、先の「樺太・千島交換条約」のフランス語本文の解釈に関してです。<以下本文>

En echange de la cession a la Russie des droits sur l’ile de Sakhaline, enoncee dans l’Article premier, Sa Majeste l’Empereur de Toutes les Russies pour Elle et pour ses heritiers, cede a Sa Mejeste l’Empereur du Japon le groupe des iles dites Kouriles qu’Elle possede actuellement, avec tous les droits de souverainete decoulant de cette possession, en sorte que desormais ledit groupe des Kouriles appartiendra a l’Empire du Japon

 はじめに、上記の文章において、関係代名詞queの前にカンマが付く付かない、はこの文章に有意的差違を生じさせるものではない、と申し上げておく。おそらく、問題となるのは、Elle possedeの目的語が何か、ということを問題にしようとしているものと思われるが、フランス語の場合、英語のようにカンマの位置で機械的に制限、非制限用法が区別されるものではない。この場合、possederの目的語にはles iles dites Kourilesとle groupe des iles dites Kourilesの両方が充当しうる。フランス語であれ、日本語であれ、係り結びの問題は大いに文脈に依存する。仮に、ここでElle possedeの部分が複合過去(英語の現在完了)であれば、過去分詞possedeはその掛かる先を、たとえばそれがles iles dites Kourilesなら、possedeesのように活用して明示することになるが、残念ながらこの場合、動詞possederの時制が現在形であるので、係り結びを明示する形にはなっていない。したがってこの文章は、一般に厳密性を喧伝されるフランス語で書かれていても、大いに読み手次第で解釈の余地を許容する文章であると言わねばならない。
 要するに、問題は先の文章を、

ロシア皇帝が現在所有しているいわゆるクリル群島、を譲渡する
1) les iles dites Kouriles qu’Elle possede actuellement,

と読むのが正しいのか、それとも、

いわゆるクリル群島の、ロシア皇帝が現在所有している部分、を譲渡する
2) le groupe des iles dites Kouriles qu’Elle possede actuellement,

と読むのが正しいのか、の問題である。
 上の二つの文を見比べれば一目で分かると思うが、両者の違いは、前者がle groupe deの部分を含んでいないことである。このle groupe deは日本語に訳せば単純に「??の部分」を意味することになるが、ここで注意しなければならないのは、このgroupeとはある集合に包含される部分集合を指す、ということである(つまり千島列島という全体集合があるとして、その一部となる複数の島々ということである)。そして、通常この意味をとるとき、groupe deの目的語には複数名詞が充当され、実際この文においてもle groupe des ilesと複数名詞が充てられている。
 試みに、上の文、1)にle groupe deの意味を付加して解釈を試みてみると良い。

ロシア皇帝が現在所有しているいわゆるクリル群島の部分、を譲渡する

 となる。日本語だとなにやら分かったような気にさせられるが、仮にクリル群島の全体をそもそもの初めから譲渡したのなら、le groupe deなどという部分集合を明示する語を付加する必要はもとからなかったはずである。しかも、この文章はque以下の関係節中で"elle possede actuellement"と動詞possederの様態をわざわざ説明してくれている。このactuellementはさしずめ英語で言えばactuallyといったところであるが、フランス語の場合、英語におけるより時間性を強調することが多い。つまり、英語であれば「現実に」を意味するであろうが、フランス語の場合はむしろ「現時点において」の意味で理解するのが普通である。もっとも、actuellementの英仏両語におけるニュアンスの相違は大して有意的な差違を生ずるものではなく、le groupe deとactuellementという二つの限定を読み込んで上の文章を読み直せば、

現時点で、ロシア皇帝が所有している(クリル群島の)部分

と読み解く他はない。すなわち、これは、ロシア皇帝は条約締結の段階でクリル群島全体を所有していたわけではない、ということをはっきり認めているわけであり、自ら所有してもいないものを譲渡する権利を有する者が存在しない以上、条約締結段階でロシアの実効支配の及ばなかった部分(国後、択捉島)に関する権利の主張はまったくもってナンセンスである。
 したがって、日本政府の千島列島に関する解釈の如何を問わず、仮に地理的概念として北海道からカムチャツカ半島の間に横たわる島々をクリル群島と呼ぶとして、ロシア皇帝が譲渡したのは条約締結段階で実効支配していた部分に限られるということを忘れてはならない。仮に「カンマが付かないから日本領であった国後・択捉両島を含んだ全体がクリル(千島)列島だ」というのであれば、現行地理学上の概念としてのクリル群島を、地質学上の概念にまで敷衍して「クリル群島には北海道島も含まれる」という無茶苦茶な強弁も通ることになりかねない。
 
 なお、<の後にカンマがあれば、ロシア領であった諸島だけが「クリル(千島)列島」だということになるのに対し、カンマがなければ、日本領であった国後・択捉両島を含んだ全体が「クリル(千島)列島」だということになる>との記述についても一言述べたい。「の後にカンマがあれば、ロシア領であった諸島だけがクリル(千島)列島だ」というのは一体何を根拠にした解釈であるのか?
そもそもこの一節からクリル列島の定義を引き出そうとすること自体、ナンセンスである。なぜなら、先の文章でクリル列島を表すのは"les iles dites Kouriles"の部分であるが、ここに用いられている"dites"という語は、さしずめ日本語で言えば「いわゆる」とか「通称」の意味で、"les iles dites Kouriles"の部分を直訳すれば、「いわゆるクリル列島と呼ばれている島々」のことである。この言い回しから推測されることは、交渉当事者間に「クリル列島」という政治的係争課題についてとりあえずの了解は成立していても、地理上の概念としての厳密な意味でのクリル列島の範囲を問題にしてはいない、ということである。言ってみれば、お互いの係争案件についての了解事項を確認するだけの文面から、地理学上の定義を無理矢理引っ張り出そうとしているだけ、と言ってよい。仮に上記のような主張を押し通そうとするのであれば、一般の文法の無知につけ込んだ自説のごり押し以外のなにものでもない。<以上、本文終わり>

 多少、書き方に乱暴な点がないでもないと思いますがご容赦下さい。それから、もし、私がまったく的はずれな議論をしている場合も同様にご容赦下さい。
わずか二島とはいえ、領土問題は国の根幹に関わる問題です。日本のエネルギー政策の観点からロシアと早期に平和条約を結び、日ロ交流を活性化しようという意見に首肯し得ぬわけではありませんが、居直り強盗に追い銭を投げてやるような拙速は国家百年の大計を誤らすもとになると思い、あえて筆を執りました。
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 さて、以下は私の小宮さんの指摘に対する疑問等です。

1 「日本のエネルギー政策の観点からロシアと早期に平和条約を結び、日ロ交流を活性化しようという意見」が私の意見であるかのように誤解されるといけないので、私は法(国際法)を遵守することが長い目で見て国益に資する、という立場から国後・択捉返還要求撤回を主張している、ということを強調しておきたいと思います。つまり、法を遵守した結果「居直り強盗に追い銭を投げて」やるようなことになったとしても「国家百年」のためにむしろなる、と考えているということです。

2 コラム#549にも書いたように、寺澤一教授は、日本政府が戦前千島列島に国後・択捉を含めていた、と指摘されており(注1)、これだけでも日本政府の現在の主張には根拠がないと思います。

(注1)今、その典拠が手元にあるわけではないので、典拠をお持ちの方はご教示いただくとありがたい。

3 日本政府が、「樺太・千島交換条約」の日本語訳を持ち出してその主張の根拠にしているのは、戦前の日本人は千島列島に国後・択捉が含まれるのは当たり前だと思っていたという、上記常識論を回避するためであろうと推察されます。
 さて、「樺太・千島交換条約」の正文であるフランス語バージョンの解釈についてですが、肝腎の箇所について、小宮さんが「大いに読み手次第で解釈の余地を許容する文章である」としておられる以上、日本政府の「千島列島に国後・択捉が含まれる」という解釈は、日本語訳の解釈であれば何の意味もありませんし、フランス語バージョンの解釈としては一方的な解釈だ、ということになります。
 いずれにせよ、揚げ足を取るようですが、小宮さんが「樺太・千島交換条約」の解釈は決め手にならない、と指摘しておられる以上、元に戻って常識論で決着をつけざるをえず、やはり日本政府の主張は根拠がない、ということになるのではないでしょうか。

4 次に、私が典拠としたFrederic Lasserre. The Kuril Stalemate : American, Japanese and Soviet revisitings of History and Geography, Journal of Oriental Studies vol.34(1)[巻号からすると1996年の刊だが,実際の出版は1999年か], University of Hongkong, pp.1-16. についてです。
 私がこの論考(を引用しているアジアタイムスの記事)の指摘をもっともだと思ったのは、小宮さんには足元にも及びませんが、私も若干はフランス語ができる(注2)ことと、「英語の」場合、「カンマの位置で機械的に制限、非制限用法が区別される」からです。

 (注2)私のフランス語歴は、カイロの小学校で2年程度、日本の高校で1年、大学の教養課程で二年、スタンフォード大学の夏期講習で一ヶ月。その割には余りにも身についていなくて恥ずかしい次第だ。

 しかし、小宮さんは「フランス語の場合」はそうではない、と言い切られる。
 本当にそうですか。
Lasserreはフランス語のnative speakerのようです(http://www.ggr.ulaval.ca/gredin/P_Frederic_Lasserre.htmlhttp://www2.iwra.siu.edu/directory/individual.asp?memberid=1562550864)し、Lasserreは、コラム読者の一井さんも言っておられるように、更にThierry Mormanne氏によるINALCO(仏国立東洋言語文化研究所)の日本研究センター機関誌Cipango掲載論文によっているようです。
 私は法学部出身なので、法律学の日本語にあっては、厳密を期すため、通常の日本語と異なった用語を用いたり異なった書き方をしたりする場合があることを知っています。
フランス語でも、小宮さんの通暁しておられる通常のフランス語と法律学におけるフランス語とが異なる、ということがありうるのではないでしょうか。
 
5 最後に、「仮にクリル群島の全体をそもそもの初めから譲渡したのなら、le groupe deなどという部分集合を明示する語を付加する必要はもとからなかったはずである。」という小宮さんの指摘と同じ事をLasserreも指摘をしています。
その上でLasserreは、これだけでも、「樺太・千島交換条約」締結当時、日露双方とも、クリル群島(千島列島)に国後・択捉も含まれると考えていたことは明らかである、と結論づけています。
小宮さんは、正反対の結論を導き出されておられるようですが、私は小宮さんのこの部分の論理がどうしても理解できません。

以上、私こそ小宮さんのご指摘を曲解している部分があるかもしれませんが、何かまたコメントがあれば、うけたまわります。

<読者Z>(2005.4.28)
こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
いまさらなんですが、北方領土についての考察で、二島返還を主張される根拠をもう少し知りたいです。3回しかコラムを拝見していないので、続きがあればと思うんですが、、、。理由は、私は全く逆の考えをしているからです。現在北方領土の人口は減る一方。黙っていても干上がるでしょう。時間が経つにつれて交渉が有利なのですから、焦って二島で手を打つのには賛成しかねません。
 あと、トップページで自民党を批判されていますが、どんな党だったらその保身と癒着を断ち切った政治が出来るのでしょうか。今までずっとコラムを読んできましたが、その大切な部分がさっぱり伝わってきません。民主党だったら良い理由が掲載されているコラムはあるのですか?あったら教えてください。無ければ主張と内容が違うのだから削除すべき!

<太田>
>北方領土についての考察で・・続きがあればと思うんですが・・

 続きはありません。
 代替案があるのであれば、どなたでも結構ですので、きちんと提示してください。

>現在北方領土の人口は減る一方。黙っていても干上がるでしょう。時間が経つにつれて交渉が有利なのです・・

 北方領土の人口の減り方と日本、特に北海道の道東の人口の減り方のどちらが早いか、良い勝負ではないですか。

>どんな党だったらその保身と癒着を断ち切った政治が出来るのでしょうか。

 どんな党でも、自民党のように長期間政権の座にあれば、政官財の「癒着」が生じます。この「癒着」を政権交代によって断ち切る必要があることについては、議論の余地はありません。
 なお、政党が「政権奪取」を考え、政権を奪取すればその「保身」を図るのは当たり前のことです。

<読者Z>
お返事ありがとうございます。
> 続きはありません。
> 代替案があるのであれば、どなたでも結構ですの
> で、きちんと提示してください。
すいません、門外漢なもので、私はパス。とりあえず、人口については既にお考えの上でのご発言だとすれば、もうこれは平行線をたどりそうですな。

>なお、政党が「政権奪取」を考え、政権を奪取す
>ればその「保身」を図るのは当たり前のことです。
正当な切り返しです。思わず拍手。
小泉政権の評価についてコラムが少ししかありません。ご意見を伺いたいです。2年ほど前に、「すぐに終わる」と予言されていますが、予想ははずれていますね。癒着といえば民主党の方も酷い状況ですよ。自民党は少なくとも内部から反省の声が出ている。太田さんに民主党改革をする、という大志があるなら一も二もなく投票します。ま、比例がなくなるという噂がありますけど。コラムの中で賛成できる部分、出来ない部分もいろいろあります。でもこれからも読むのを楽しみにしています。

<読者O>
興味深いごしてきですが、日露間に、国際司法裁判所で決着をつけようという動きはあるのでしょうか?
あるいは、どちらかがその決着を嫌がっているのでしょうか。