太田述正コラム#9889(2018.6.16)
<『岡正雄論文集 異人その他 他十二篇』を読む(その4)>(2018.9.30公開)

 「基礎的な社会構造の形態を、少なくとも三つ分析摘出することができる。
 Aは家父長的な親族集団たる単系同族、Bは男性的な双系的<(注9)>年齢階梯制<(注10)>、Cは母系制である。・・・

 (注9)「双系制(そうけいせい)とは、父系制・母系制のいずれでもなく、非単系の出自の辿り方をいう。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E7%B3%BB%E5%88%B6
 (注10)「日本<において、>・・・人間が年齢という階段を昇ってゆくという敬意や意味などを込めた用語(肩書のようなもの)で、年齢により幾つかの階梯に区分し、上位の年齢階梯(先輩達)が下位のそれ(後輩達)を統率し、社会的な統合をはかる制度である。  日本では農村部でしばしば見られる若者組・子供組・中年組・長老組などの制度がこれに当たる。
 その他、祇園祭やお稚児さんの習慣がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%BD%A2%E9%9A%8E%E6%A2%AF%E5%88%B6
 「祇園祭<は、>・・・京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治<の神仏分離>までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ、御霊会)と呼ばれた・・・祇園祭<の際、>・・・長刀鉾町稚児お千度・・・稚児社参<等、子供が参加する行事がいくつか行われる。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%A5%AD
 「平安時代頃から、真言宗、天台宗等の大規模寺院において、剃髪しない少年修行僧(12~18歳くらい)が現れはじめ、これも稚児と呼ばれるようになった。皇族や上位貴族の子弟が行儀見習いなどで寺に預けられる「上稚児」、頭の良さを見込まれて世話係として僧侶に従う「中稚児」、芸道などの才能が見込まれて雇われたり腐敗僧侶に売られてきた「下稚児」がいた。禅宗では喝食と呼ばれた。
 髪形は垂髪、または、稚児髷で、平安貴族女性と同様の化粧をし(お歯黒も付ける場合もあった)、極彩色の水干を着た。又、女装する場合もあり、その場合、少女と見分けがつきにくかった。
 真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。中世以降の禅林(禅宗寺院)や華厳宗などにおいても、稚児・喝食は主に男色、衆道、少年愛の対象であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%9A%E5%85%90
 「祇園祭やお稚児さんの習慣」と「年齢階梯制」とがいかなる関係があるのか、今一つよく分からなかった。

⇒私は、「双系制」についても「年齢階梯制」についても、これまで、明確に認識したことがありませんでしたが、どちらも、日本の文明・文化を考えるにあたって、避けて通れない概念のようであり、自分の不勉強さに忸怩たる思いがしています。(太田)

 A 父系同族組織は、本家・分家の単系的父長的系譜関係によって結ばれた家々の連合体であり、かつ本家・分家の上下・主従の身分的関係によって規制された親族集団である。・・・
 古語のウカラ・ヤカラ・ハラカラのカラ・・・とウジ<という言葉、概念>がともに・・・朝鮮語・・・ツングース語・・・蒙古語・・・蒙古語の一方言ブリヤート語・・・トルコ語のキリギス方言・・・<といった>アルタイ語系の種族によって、もたらされたことは、間違いないが、しかし、これが同時にもちこまれたかどうかは明らかでない。
 B 年齢階梯制は、村落ないし部落が、いくつかの年齢による階級によって階層的に構成され、部落の男子全員は、一定年齢に達すると、すべて最初の階級である若者組の最下級に加えせしめられ、以後、順次に所定の年齢になると、上位の階級に自動的に編入されて進階する組織である。・・・
 この年齢階梯制社会においては家柄はなんらの原理的意味を持たず、ただ年齢の次序が上下関係をきめるのである。
 また・・・同族組織・・・の親族組織が単系的であるのに対し、・・・双系的傾向を顕著にしている。・・・
 同族制が本州の内陸部に、特に東北・中部に強い分布をもっているのに対し、年齢階梯制は本州の海岸地帯に広く見られ、特に東海地方から西部・西南地域の漁村に濃く分布している。
 年齢階梯制には、いわゆる寝宿(ねやど)、若者宿(わかものやど)<(注10)>を伴うこともまた当然である。

 (注10)「若者組(わかものぐみ)とは、<かつての日本>において、一定の年齢に達した地域の青年を集め、地域の規律や生活上のルールを伝える土俗的な教育組織である。若者衆、若者仲間、若者連中など、また集まる場所を青年宿、若衆宿,若者宿,若勢宿,寝宿,泊り宿,若宿,おやしょ,若イ者部屋,小屋など、地域によっても様々の名称がある。類似の風習は日本のみならず、世界各地の伝統社会に存在する。・・・
 年長者がリーダーとなり、後輩たちに指導を行った。若者宿、若衆宿などといわれる拠点があり、そこに集団で寝泊りする場合も多かった。村内の警備や様々な作業を行ったり、共同で集まり親睦を図った。特に祭礼では、若者組のメンバーが子供組を指導して中心的に運営を行う場合が多かった。また交際上必要となる飲酒・喫煙の指導、さらに村内の恋愛、性、結婚を管理する側面を持ち、リーダーが各自に夜這い を指示して童貞を捨てさせることも行われた。男性の若者宿に対して同じ年頃の女性が集まる娘宿の存在する地域もあり、この場合、双方の交流によって結婚相手を探すという意味があった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E8%80%85%E7%B5%84

 この制度がアジアおよびオセアニアにおいては、ミクロネシア、台湾の一部、ニューギニア、インドネシアの一部、東南アジアの一部、アッサムおよびインドの諸種族の間に分布していることは、また同族制と系統を異にすることを明示しているものといえよう。」(10、12~14)

⇒日本以外のこれら地域の「若者宿」の概ねどこでも、やはり、「夜這い・・・指示」が行われたのかどうか、大いに知りたいところですが・・。(太田)

(続く)