太田述正コラム#9903(2018.6.23)
<2018.6.23東京オフ会次第>(2018.10.7公開)

1 始めに

 本日のオフ会は、私以外の出席者が12名と盛会でした。

2 「「講演」原稿」に盛り込まなかった「原稿」

 私が、「講演」のネタがなくなった、何かないか、と、2~3年前の何度かのオフ会の際、慨嘆していたことを覚えておられる方もおられるでしょう。
 今にして思えば、これは、まことに傲慢な話であり、私が2年前の2016年に大動脈解離で死んでいたとすれば、私はさしたる「業績」を残すことができないまま、人生を終えていたことになったでしょう。
 こんな状況を根本的に打開してくれたのが、自家出版されたばかりの、ご先祖様である、渡正元『巴里籠城日誌』をひっさげて、その後、同年に私の前に突然現れた、中学時代の同級生の渡洋二郎君です。
 さっそく、コラム#8755以下のコラム・シリーズでこの本を取り上げたのですが、そのことはともかくとして、彼が、昨年、「雑談の中で、正元が、陸軍、行政、司法(法制局)、立法(貴族院議員)、と、軍と三権にまたがったキャリア・・現在の日本ではおよそ考えられない・・を送った・・・ところ、それを可能にした、いかなる教育を彼は受けたのだろうか」という問題意識を、私に喚起させてくれた(コラム#9692)ことを、私は言いたいのです。
 それが、「眞壁仁『徳川後期の学問と政治』を読む」シリーズの執筆につながり、この執筆中に、「島津斉彬コンセンサス」がひらめいたのですからね。
 本日の私の「講演」が私の「業績」につながりうるかどうかは、もとより、皆さんが判断すべきことですが、とにもかくにも、69歳まで生きていてよかった、というのが、このところの私の気持ちです。

3 質疑応答(順不同。Oは私)

A:自分は、海外勤務だったので、2年ぶりの出席だが、竹村公太郎の『日本史の謎は「地形」で解ける』(コラム#9701)は、もともと、自分が推薦したものだ。(コラム#9562)
O:忘れていた。その後、Bさんから、この本の提供を受け、赤穂事件部分をコラム・シリーズに仕立てたのだが・・。
 どうして、同シリーズ発表中に、コメントを寄せなかったのか。
A:あそこまでけちょんけちょんに本の内容をけなされると、その気力が失せてしまう。
 私には、赤穂事件部分に出てくる「地形」に疎いし・・。
O:確かに私は、この「地形」に通暁しているが、仮に通暁していなかったとしても、批判的なコラム・シリーズを仕立てることはできたと思う。
 ところで、このコラム・シリーズは、箸休めといったところだが、数年前同様、現在もまた、来年以降の、オフ会「講演」テーマが見当たらない状態になってしまっていることもあり、「講演」テーマにつながりうるような材料に心当たりがあったら、皆さん、ぜひ教えていただきたい。
B:それにしても、本日の「講演」原稿の中に出てきたところの、先の大戦に係る共同謀議はあった、という太田さんの指摘には衝撃を受けた。
C:オフ会出席予定者には事前にオフ会「講演」原稿が配布されるけれど、本日のものほどの分量がある場合は、2日前には送ってもらえないものか。
O:いつも、「講演」原稿をディスカッション中で紹介する直前までそれに手を入れ続けるので、前日に出席予定者に送る時点のものさえやや古いのだが、それが2日前のものともなれば、なおさらだ。
 なお、今回の「講演」原稿は、とりわけ、直前まで激しく手を入れ続けたのであり、ご要望には沿いかねる。
D:自分は地方在住の自営業者だがだが、昨日が、東京で行う仕事の最終回だったので、これまでのように、自分の都合に合わせて次のオフ会の設定していただかなくて結構だ。
 但し、今後とも、オフ会には、自腹で旅費を払って、できるだけ出席したい。