太田述正コラム#9907(2018.6.25)
<2018.6.23東京オフ会次第(続)>(2018.10.9公開)

B:日本の「独立」はむつかしいのではないか。
O:だとすれば、日本は、必然的に、米国の属国から中共の属国に移行することになるわけだが、米国のであれ中共のであれ、属国である状態が今後とも継続するとどうなるか。
 現在既に、日本の政治家が甚だしく劣化するに至ってしまっていることはご案内の通りだが、官僚の劣化まで進行していることが、このところ、立て続けに明らかになったわけだ。
 この状況がどんどん悪くなって行って、最終的には、日本の政府は完全脳死状態になりかねない。
 安全保障問題を捨象するとしても、果たして、そんな状況を、日本国民が黙って甘受し続けるだろうか。
 政治の核心である安全保障を宗主国にぶんなげつつも、内政に関しては、戦後の日本政府は、官僚の劣化が比較的最近まで始まらなかったおかげで、少なくとも、サーチナ紹介中共記事群を見ても分かるように、中共当局が、恒常的に模範とするくらいのパーフォーマンスを維持してはきた。
 それも、今後は望めなくなることがはっきりしてもだ。
 その頃には、さすがに、そんなのは耐え難い、と思う日本国民が多数出てくるのではなかろうか。
 その場合の彼らにとっての選択肢としては、・・これは前から私が言っていることだが・・「独立」するか、米国ないし中共に吸収合併してもらうか、しかないんだな。
 前者なら国家レベルのガバナンスを、後者の場合でも、地方レベルのガバナンスは、回復できる。
D:(「独立」云々はともかくとして、)日本の野党が政策論争を政府与党と行うような時代は来るのだろうか。
O:来ることはない。
 日本に二大政党制が成立する基盤がない、と私が前から指摘していることを思い出して欲しい。
 理念型的な二大政党制・・三大でも四大でもいいのだが・・においては、世界観が異なる政党が存在しているからこそ、政策論争が一貫した形で体系的に行われるのだ。
 しかし、世界観が同じであれば、(政策論争など起こりえず、広義の費用便益分析におけるパラメータ群の選定と当該パラメータ群への入力データ群収集・選択くらいを巡る技術的論議しか起こらないところ、そんな論議は、)基本的には官僚機構内で決着がつくものなのであって、政治家は、官僚機構が作ってくれた舞台・・自民党で言えば政調会/その隷下部会群・・で、あたかも論争をしているかのように、いわば勧進帳を演じるような役割しかない。
 (安全保障問題では、やや趣が異なるのだが、戦後日本の政治家も官僚機構もそれを基本的に放棄していることから、ここでは立ち入らない。)
O:ところで、次回のオフ会「講演」で話す内容を一つだけここで明かしておこう。
 岸信介が、後に日本で最も有名な民法学者になる我妻栄と東大法時代に成績を競ったという話は有名だが、その岸が、海軍中将で亡くなった彼の長兄の方が自分よりも優秀だった、と言っている。
 実際、一般的イメージは、学生の優秀さは、海兵、一高、陸士の順番だ、というものだった。
 ところが、今回の「講演」原稿中にも登場した岩畔豪雄が、陸士の学生が一番優秀だったと言っていたことを知った。
 岩畔はこういう話でウソや臆測を垂れ流すような男ではない、と私は見ていることから、陸士の学生の相対的低評価なる一般的イメージは、入学者の中学時代の学業成績から形成されたであろうところ、それには無試験で幼年学校群から陸士に進学してくる学生達の学業成績が反映されておらず、この「内部進学者達」の成績が抜群に高かったことから、実は、陸士の学生達が最も優秀だった、ということではないかと私は想像している。
 (陸士で「出世」した者の大部分・・杉山元や(中将で処刑された)本間雅晴
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%96%93%E9%9B%85%E6%99%B4
は例外だったということ・・が幼年学校出身だったことが、その証拠だ。
 それは身内贔屓だったからだ、という俗説があるけれど、軍隊も官僚組織であるところ、官僚だった私が断言できるが、官僚の出世の条件は、第一に試験成績、ということに相場は決まっているのだ。)
 私が何が言いたいかというと、帝国陸軍は、戦前の日本で最も優秀な人々が蝟集していたところの、(このことと本来同値ではないわけだが、)日本で最も優秀な組織だった、ということだ。
 そんな彼らが主導したからこそ、島津斉彬コンセンサスの前倒し実施が成功したのだ、と。
B:自分の子供達に、先の大戦の時の、ウチのご先祖様達の戦死をどう説明したらいいのだろうか。
O:宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』を読ませ、グスコーブドリの死と同様の尊い死だった、と説明することをお薦めする。