太田述正コラム#9933(2018.7.8)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その19)>(2018.10.22公開)

 「・・・大和王権の<神話>が作られてしまうと、これが今度は「神話力」を発揮する。
 それが王権の<神話>ともなれば、その「神話力」には権威のようなものまでが含まれてくると予測できよう。
 その後に作られた新しい<神話>は、権威ある<神話>に拘束されながら、新たな主張をそこに乗せる形で、再生産されていった。
 ここでは、『先代旧事本紀<(注46)>(せんだいくじほんぎ)』(『旧事本紀』『旧事紀』とも言う)の<神話>を見てみよう。

 (注46)「天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したとあるが、江戸時代の国学者である多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らによって偽書とされた。現在では大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前に成立したとみられている。物部氏の氏族伝承など部分的に資料価値があると評価する立場の者もいる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E4%BB%A3%E6%97%A7%E4%BA%8B%E6%9C%AC%E7%B4%80

 『旧事紀』は、その序の中で「推古天皇時代に聖徳太子と蘇我馬子によって作られた」と書いている。
 しかし、事実は平安初期に成立した偽書である。
 内容から、物部氏<(注47)>の氏文(うじぶみ)(祖先の功績など氏族の由緒を記した文書)としての性格が強く、実際の編者は物部氏の関係者であったと推察される。

 (注47)「大和国山辺郡・河内国渋川郡あたりを本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命[(ニギハヤヒノミコト=ニギハヤヒ)]が祖先と伝わる神別氏族。・・・元々は兵器の製造・管理を主に管掌していたが、しだいに大伴氏と並ぶ有力軍事氏族へと成長していった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E6%B0%8F
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AE%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%83%92 ([]内)
 「587年7月<の>・・・丁未の乱(ていびのらん)は、飛鳥時代に起きた内乱で・・・丁未の変、丁未の役、物部守屋の変ともいう<が、>仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と対立した大連・物部守屋が戦い、物部氏が滅ぼされた。これから先、物部氏は衰退した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E6%9C%AA%E3%81%AE%E4%B9%B1

 さて、その『旧事紀』・・・の大部分が、古事記や日本書紀、さらには忌部(いんべ)氏<(注48)>の氏文『古語拾遺』<(注49)(・・・808年頃成立)の<神話>の切り貼りなのである。

 (注48)「天太玉命(あめのふとだまのみこと)・・・を祖とする神別(天神)の古代氏族で、・・・古代朝廷の祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担った氏族である。古代日本には各地に部民としての「忌部」が設けられていたが、狭義にはそれらを率いた中央氏族の忌部氏を指し、広義には率いられた部民の氏族も含める。
 中央氏族としての忌部氏は、記紀の天岩戸神話にも現れる天太玉命を祖とする。現在の奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地とし、各地の忌部を率いて中臣氏とともに古くから朝廷の祭祀を司った。しかしながら、勢力を増す中臣氏に奈良時代頃から押され始め、固有の職掌にも就けない事態が増加した。平安時代前期には、名を「斎部」と改めたのち、斎部広成により『古語拾遺』が著された。しかしその後も状況は変わらず、祭祀氏族の座は中臣氏・大中臣氏に占有されていった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E9%83%A8%E6%B0%8F
 (注49)「『古語拾遺』(こごしゅうい)は、平安時代の神道資料である。官人であった斎部広成が大同2年(807年)に編纂した。・・・伊勢神宮の奉幣使の役職をめぐって忌部氏と中臣氏は長年争ってきたが、大同1年8月10日に忌部氏に対する勝訴判決が出ている<ことから、>・・・朝廷が行った法制整備(式)のための事前調査(格)に対する忌部氏(斎部氏)の報告書であるという説が有力である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%AA%9E%E6%8B%BE%E9%81%BA

 内容だけではなく、文章そのものの切り貼りであ<り、>・・・全てを網羅的に取り入れているのである。
 ・・・当然のことながら齟齬が生じる。・・・
 なぜ『旧事紀』はこんな滅茶苦茶な<神話>を作ったのだろう。・・・
 日本書記・古事記はともに物部氏の祖ニギハヤヒが天つ神の系譜に連なり、天から降臨してきたことを認め、その上で、神武の優位性を主張して<おり、>・・・古事記の場合、皇祖が先に降臨し、ニギハヤヒはその後を追って降臨したとされている。・・・
 『旧事紀』はそれをそのままに記していない。・・・ここでだけ・・・網羅主義が貫かれていないのである。・・・
 その意図は明瞭である。
 ニギハヤヒが皇祖に先立って降臨した・・・<と主張したい>からに他ならない。・・・
 『旧事紀』は、古事記・日本書紀より以前に罹れたと主張する偽書なのだが、実際は古事記・日本書紀の権威を利用しているのである。
 つまり、「後に古事記・日本書紀に採録されるような、由緒ある古伝承を伝える書物なのだ」という形で。・・・
 このように、・・・古事記や日本書紀の<神話>・・・に拘束されながら、新しい<神話>が意図的に作られていった<わけだ>。・・・
 <なお、>古事記・日本書紀<と>・・・旧事紀<が、>・・・互いに、相手の<降臨神話>を認めつつ、その上に・・・それぞれの主張をしている<ことに>・・・注意すべき<だろう。>」(125~126、128、132~134)

⇒これら「神話」群の行間からひしひしと伝わってくるのは、真の実態がどうであったかはともかくとして、大和王権が、大王家を中心に諸豪族が連合する形で比較的平和裏に成立した、という認識を確立し、浸透させたい、という、日本の古代の選良達の総意です。
 このような、建国神話が、日本以外にもあるのか、興味があるところですが、そのような観点から、建国神話を取り上げたサイトがすぐには見つからなかった↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E8%A9%B1 ←一般的なサイト
こともあり、今後の課題にしておきます。(太田)

(続く)