太田述正コラム#10169(2018.11.3)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(付け足し)(その14)>(2019.1.24公開)

 「・・・開戦を正式に最終決定した12月1日の御前会議で・・・枢密院議長の原嘉道<(コラム#10042、10079、10081、10083)>が、・・・「・・・米が重慶政権を盛立てて全支那から撤兵せよと<言ったというが>、米が支那という字句の中に満州国を含む意味なりや否や、この事を・・・確かめ・・・たか・・・」と東郷茂徳外相に問いただしている(『杉山メモ・・・』<(注2)>)。・・・」(13)

 (注2)杉山は、大長編推理小説・・より正しくは、数百万人(数千万人?)に及ぶ(広義の)殺人を生じさせるところの大スペクタクル・サスペンス実劇の脚本だが・・を書いたところ、この作者自身が主犯であったというのに、探偵あるいは捜査員の誰も、いまだにそのことに気付いていない、という世にも不思議な物語が満州事変・日支戦争・大東亜戦争、なる14年余に及ぶ戦争だったわけですが、「ヴァン・ダインの二十則」・・ダイン自身が常に守ったわけではないので、一種のジョークだが・・に照らせば、杉山は、
「15.事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。
 18.事件の結末を事故死や自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。
 19.犯罪の動機は個人的なものが良い。国際的な陰謀や政治的な動機はスパイ小説に属する。」
の3則以外の17則
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%89%87
は概ね順守しているものの、18については、自分自身及び主要共犯者達の多くを自殺ないし刑死させているために違反し、19については、「国際的な陰謀や政治的な動機」に基づくものであったので違反しているところ、15の違反に係るものが、『杉山メモ』なのだ。
 それは、こういうことだ。
 『杉山メモ』とは、「1940年(昭和15)から44年にかけての参謀総長杉山元による筆記。内容は御前会議や大本営政府連絡会議の審議状況や上奏時のようすなどである。杉山自身が書いた現物は焼却されてしまったが、<参謀本部の>戦争指導班長が杉山の伝達を受けた際の筆記が残っており、これが『杉山メモ』(1967・原書房)として<後に刊行された。」
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E3%83%A1%E3%83%A2-1551357 
というものだが、同じ類のメモを、首相兼陸軍大臣そして後の首相兼陸軍大臣兼参謀総長だった東條、や、東條より後の杉山自身を含む歴代陸軍大臣、そして、この間の歴代海軍大臣ないし軍令部総長が残していてしかるべきなのに、終戦時に焼却されたのだろう、残ったのが『杉山メモ』だけだったということは、杉山が、終戦時以前に、焼却対象から除かせた、と見るのが自然だろう。
 その狙いは、15違反を犯すところにあった、と私は考えている。
 ほんの2例だけ挙げるが、実際、例えば、「<1941年>11月4日の軍事参議官会議<・・天皇が臨席・・>の中で、戦争の終結に関する・・・積極的<にして>・・・具体的に突っ込んだ・・・質問が・・・皇族の朝香宮(鳩彦王)と東久邇宮(稔彦王)からなされてゐる<ことがたまたま別史料で明らかになっているが、>・・・この重要な部分が「杉山メモ」では抜け落ちてゐる。」
https://books.google.co.jp/books?id=GLgsBgAAQBAJ&pg=PT91&lpg=PT91&dq=%E6%9D%89%E5%B1%B1%E3%83%A1%E3%83%A2&source=bl&ots=K62JgrB4Pl&sig=DGy2sHk-yj38EVSwllS_6BXChqg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjrmr7skLPeAhVThbwKHTHbBLc4HhDoATABegQIBxAB#v=onepage&q=%E6%9D%89%E5%B1%B1%E3%83%A1%E3%83%A2&f=false
し、また、例えば、「昭和天皇から戦争終末の見通しをまとめるよう指示された東條英機首相が、陸軍大臣として武藤章軍務局長を通じ軍務課の石井秋穂大佐に作成を命じたものである・・・「対米英蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」(1941年11月15日大本営政府連絡会議決定)<に関し、>・・・『杉山メモ』には、どんな議論があったかについての記述がない。「腹案」が連絡会議に提出されてから承認まで、あまり政府の関係部局で議論された形跡も<窺え>ない。」
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2009/03.pdf
という有様だ。
 こういった重要決定の案は、陸軍のいわばゴッドファーザーで、当時は参謀総長だった杉山が節目節目で指示しつつ、海軍、外務省等との根回しを経て策定されたはずだが、かかる諸指示は、大本営政府連絡会議の場等で杉山が仮に何らかの発言をしたとして、その発言と共に、一切合切、『杉山メモ』からは除かれてしまっている、ということを推測させる。
 杉山は、記述させた部分については正確を期してこのメモの信憑性を高めつつ、このように、例えば「敗戦」後の天皇制存続を期すために皇族達の、ひいては天皇の、戦争への関与を消去ないしトーンダウンするといった工作を行うとともに、ここが最も重要なのだが、(恐らくは)一貫して自身を黒子化しているのであって、その結果、自身について、「綽名は「便所の扉」。理由は「どちらでも、押した方向に動く」「日和見主義者」であったことから。「グズ元」と<いう綽名>も。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%85%83
という神話・・こんな神話を信じこんている、日本近現代歴史学者達や日本の政治学者達のほぼ全員、の精神鑑定をして欲しいものだ・・を後世に残すことに成功したのだ。
 (参謀総長になるまでの間は、さすがの杉山もそこまで頭が回らず、一度目の陸軍大臣の時には「雑」に作らせたのでこの『第一杉山メモ』は終戦時に焼却させけれど、参謀総長になってからは心血を注いで残されるべき『杉山メモ』を作らせたところ、それに疲れ果ててしまって懲り、二度目の陸軍大臣の時にも「雑」に作らせたので『第三杉山メモ』も終戦時に焼却させた、ということではなかろうか。)

(続く)