太田述正コラム#7332005.5.25

<ベネズエラの挑戦(その2)>

2 ベネズエラは第二のキューバに?

 (1)チャベス政権の誕生

 ベネズエラでは、1947年以来、二大政党による民主制が一応機能してきましたが、その間、一貫してこの国を牛耳ってきたのはごく少数の大金持ちのエリート達でした。

ところが、1980年代から1990年代にかけての経済危機によって、このような支配体制の正統性がゆらぎ、1999年の大統領選挙で、貧しい大衆の味方を標榜したポピュリストのチャベスが当選を果たします。

大統領に就任すると、チャベスは、石油価格の高騰に助けられ、文盲根絶運動や貧困地域における食品店や医療所の助成、という人気取り政策を実施しました。キューバからの医療要員やスポーツ要員(前述)はこれらチャベスの政策を手助けしたことになります。

このチャベス政権は、企業経営者達・石油産業の労働者達・メディアの経営者達・カトリック教会・労働組合、それに米国が結託した国内外の反対勢力の執拗な抵抗を受けることになります。

(2)国内反対勢力との死闘

 上記国内反対勢力は、2002年に反チャベス・クーデターを決行したものの、三日天下に終わり、次に同年暮れから2003年2月にかけて3ヶ月に及ぶゼネストを実施して石油産業を麻痺させたのですが、これもチャベス政権が乗り切ったところ、今度は昨年チャベス大統領のリコール運動を起こし、8月に国民投票に持ち込むことに成功します。

 しかし、結局この国民投票でも、リコール反対が58%に対しリコール賛成は42%にとどまり、カーター元米大統領を始めとする米州機構(OAS)の選挙監視団がこの結果を認知したことで、チャベス政権はしぶとく生き延びました。

 これで勢いづいたチャベス政権は、自由・民主主義や資本主義の基盤を掘り崩すような政策を矢継ぎ早に実施に移します。

 すなわちチャベス政権は、公共秩序維持の観点からメディアに罰金を科したりメディアを閉鎖したりできる法律を施行し、ベネズエラでは反政府デモは鍋等をたたきながら実施されることが通例であるところ、デモの際に騒音を奏でた者には懲役刑を課すという規定を刑法に追加し、最高裁に17名のチャベス・シンパ(そのうち一人は、終身大統領制を導入する憲法改正を唱えた人物)を送り込み、かつての左翼ゲリラの幹部連中が支配している政府系の社会主義的協同組合に石油収入を注ぎ込み、更には軍隊を投入して大農場の接収を始めたのです。

 (3)米国との確執

 チャベスが大統領に当選した1999年以来、ベネズエラと、ベネズエラ産の石油の上得意であるとともに、伝統的な友好国であった米国との関係は次第に悪化してきました。

 ベネズエラにはずっと以前から米国の連絡将校団が駐在しており、彼らは最近では麻薬取り締まり作戦のアドバイザー役を務めるとともに、米国製のF-16戦闘機のパイロットの訓練を行ってきたところ、2001年にチャベス政権は米国に対し、上記連絡将校団を、この将校団が50年近く使用してきたところのベネズエラ軍司令部が所在する首都カラカスのFuerte Tiuna基地から退去させるように要求しました。しかし、米国はこの要求にまともに取り合おうとせず、将校団は依然この基地にとどまったままです。

 またチャベス政権は、米国の自由貿易政策を帝国主義的国際経済政策として批判するとともに、米国による2001年以降の対テロ戦争も非難してきました。

 更にチャベス政権は、2002年のクーデター事件が米国のさしがねであると米国を非難し、米国はこれを濡れ衣であると否定してきました。

 他方、チャベス政権の親キューバ政策(前述)に対しては、米国が執拗に批判を行い、これにチャベス政権がいらざる容喙であるとして反発してきました。

 昨年末から今年にかけて、チャベス大統領は、キューバのほかイラン・ロシア・リビア・中国を訪問し、モスクワではヘリ40機とカラシニコフ小銃(AK-47)10万丁を含むロシア製武器を輸入すると語り、MIG29の輸入も取り沙汰されています。

 (以上、http://www.nytimes.com/2004/05/13/international/americas/13vene.html2004年5月14日アクセス)、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A4208-2004Aug16?language=printer2004年8月18日アクセス)、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A8088-2005Jan13?language=printer(1月15日アクセス)による。)

 ラムズフェルト米国防長官は、今年3月のブラジル訪問の際に、ベネズエラが10万丁の小銃を輸入する件に警告を発しました。これは、この小銃がボリビアやコロンビアの左翼ゲリラに流れることを心配しているからです。(http://news.ft.com/cms/s/eb93d94a-9bcc-11d9-815d-00000e2511c8.html。3月24日アクセス)

 そして先月(4月)にはチャベス政権は、ベネズエラで操業している外国の石油や天然ガス会社に対し、国営石油会社と合弁形態をとり、利益の半分をベネズエラ政府に納め、追徴税として総計20億ドルを支払うよう命じました(http://www.csmonitor.com/2005/0524/p08s01-comv.html。5月24日アクセス)。

 5月の22日には、チャベス大統領は、よりにもよって、核開発疑惑で米国と角を突き合わせているイランについて、「イランは核兵器を開発しようとはしていない」と擁護した上で、イランの協力を得て、ブラジルやアルゼンチン同様、ベネズエラも核開発や太陽光発電に乗り出すべく研究を始めるべきだ、と語りました(http://www.cnn.com/2005/WORLD/americas/05/22/chavez.nuclear.reut/index.html。5月24日アクセス)(注6)。

 (注6)ベネズエラの現在の発電量の75%は水力発電(国営)による。

 また、同じ日にチャベス大統領は、1976年にキューバの飛行機に爆弾をしかけ、73人を殺害した容疑がかけられているベネズエラ籍の容疑者を米国がベネズエラに引き渡さないなら、米国と外交関係を絶つ、と宣言しました。

 この77歳のキューバ生まれの元米CIAエージェントは、先週米国への不法入国の疑いで米国において拘置されており、米国は1922年にベネズエラとの間で犯罪人引き渡し条約を締結していることから、60日以内にこの男を引き渡す義務があるものの、米国はベネズエラの要求に応じるとキューバに引き渡されるのではないかという疑念を表明しており、これに対してチャベスが吼えた、というところです。

(以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/4571957.stm(5月24日アクセス)による。)

(続く)