太田述正コラム#10177(2018.11.7)
<木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(その12)>(2019.1.28公開)

 「他方、・・・1941年以後、一人当たりカロリー消費量が次第に減ったことは確実である・・・。・・・

⇒ここは、大東亜戦争中の内地と比較して欲しかったところです。(太田)

 今までの研究によると、1910年代から30年代を通じ、個人消費総額(実質)は年平均3%以上の率で増加した。
 人口成長率はこれ以下であったから、一人当たり消費額は増加した。・・・
 こうした推計に関連し、留意すべき点がいくつかある。
 第一に、生活水準には消費の量のみならず質も関係する<ことだ。
 つまり、朝鮮人の消費の質が高度化して行ったので、仮に同じ支出額であったとしても、生活水準は向上した、と言えよう、>・・・
 第二は政府サービスの問題である。
 総督府は各地域に初等学校を開設し、多数の朝鮮人児童(1930年代末、およそ100万人)がそこに通うようになった。

⇒就学児童数でなく児童就学率が問題なのであり、「100万人」という数字を引用されても困ってしまいます。(太田)

 その経費は、父兄が負担する授業料以外、個人消費額に算入されていない。
 教育内容は、社会生活に有益な実用科目を中心に組み立てられた。・・・
 ハングル<(注13)>学習は長らく必須で、朝鮮語が随意(選択)科目となったのは、戦時期に入った1938年である。

 (注13)「開化派と・・・福澤諭吉門下の・・・井上角五郎の協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城旬報』が1883年に刊行され、その続刊である『漢城周報』(1886年創刊)では漢文のほかに漢字ハングル<(諺文(おんもん))>混合文、ハングルのみによる朝鮮文が採用された。16世紀初頭のハングル禁止令以来、それまで公的な文書においてハングルが正式に用いられることがなかった朝鮮において、政府の関与した文書にハングルで記された朝鮮文が採用された意義は大きい。・・・
 公文書のハングル使用は、甲午改革の一環として1894年11月に公布された勅令1号公文式において、公文に国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まった。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB
 井上角五郎(1860~1938年)は、「福澤諭吉の書生となり慶應義塾<卒。>・・・壬午事変後に朝鮮政府の顧問となり、・・・甲申政変<・・日本の援助で・・・1884年12月4日・・・に朝鮮で起こった独立党(急進開化派)によるクーデター<であり、>清国軍の介入によって3日で失敗した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%94%B3%E6%94%BF%E5%A4%89
・・>に深く関与し、金玉均・朴泳孝と関係を持った。・・・第1回の帝国議会衆議院議員に当選以来連続当選14回・・・。北海道炭礦鉄道社長、日本製鋼所設立者、会長、国民工業学院理事長、慶應義塾評議員等を歴任・・・京釜鉄道、南満州鉄道の設立にも関わった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E8%A7%92%E4%BA%94%E9%83%8E

⇒井上は、諭吉を通じてアジア主義者(島津斉彬コンセンサス信奉者)になった、と言えそうです。(太田)

 朝鮮人児童の多く、とくに王朝時代にはほとんど教育機会のなかった女子は、総督府が設置した学校でハングルを修得したのである。<(注14)>

 (注14)「朝鮮では1895年の甲午改革により近代教育制度が始まったが、1906年の時点でも小学校が全国で40校未満であり、両班の子弟は書堂と呼ばれる私塾で漢籍の教育を受けているような状況だった。・・・
 朝鮮総督府<は、>・・・<初等>教育内容の整備を進め、日本語、朝鮮語をはじめ算数、日本史、朝鮮史(朝鮮史は「朝鮮事歴」という名前で教育されていた)、修身などの教育を公立学校を中心に展開した。
 併合当初、朝鮮における初等中等教育制度は日本内地人に対するものと朝鮮人に対する者に対するものが別個に存在していた。内地人向けの小学校、中学校と、朝鮮人向けの普通学校、高等普通学校があったが、1938年の朝鮮教育令改正により普通学校、高等普通学校は廃止され、内鮮人の共学制が採用された。
 ・・・初等教育への就学率は日本統治時代の最末期で男子が6割、女子が4割程度であった。初等学校(普通学校・小学校・国民学校)の教員は、朝鮮の師範学校で養成される教員と日本内地から派遣される教員が混在していた。1946年度からは日本内地と同様の八年制義務教育制度鞨(国民学校初等科高等科)を導入することが予定されていた。」
http://kaitaku.npo-index.net/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2/

⇒朝鮮における、近代朝鮮語、や、近代教育、の確立は、日本人や総督府の手でなされた、と言ってよさそうですね。(太田)

 ハングル学習を含め、実用教育は朝鮮人の満足感を高めたであろう。・・・」(93~95)

(続く)