太田述正コラム#10203(2018.11.20)
<木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(その18)>(2019.2.9公開)

 「ソ連占領軍は北朝鮮各地で、穀物、工業原料・製品・半製品在庫を奪取し本国に送った。
 工業設備も解体しもち去った。
 しかしそれは初期にとどまり、規模も限定的であった(この点で満州、東ドイツと異なる)。
 その後は、抑留日本人技術者を使役し、産業の復興を図った。・・・
 ソ連は兵器、資本財、技術指導を<北朝鮮に対して行ったが、>無償で提供したのではない。
 その対価を要求したのである。
 金日成政権はその支払いのために、鉛・亜鉛の対ソ輸出を増やさなければならなかった。

⇒安く提供したということなのか、それとも、無償で提供したのか、を知りたいところです。(太田)

 同様に、モナザイト<(注23)>、コロンブ石<(注24)>も大量に輸出された。

 (注23)モナズ石(monazite)。「トリウムやウランを含むことが多く、弱い放射能を持つ。・・・かなりの量のヘリウムを含んでおり、加熱するとヘリウムを抽出することができる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%82%BA%E7%9F%B3
 (注24)columbite。「しばしば放射能がある。・・・タンタルとニオブの重要な鉱石である。」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E7%9F%B3-67073
 「タンタル<は、>・・・化学的に不活性な特性から、実験用設備の材料や白金の代替品として有用である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB
 「ニオブ<は、>・・・鉄鋼添加剤としての用途が9割と大部分を占めているが、光学、電気、電子分野でも重要である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%96

 ソ連は、北朝鮮産のこれらウラン鉱を原爆製造に利用したといわれる・・・。・・・
 朝鮮戦争後、金日成はソ連との間で、核研究協力にかんする合意文書に調印し、何人かの研究者をモスクワ郊外の核研究所に派遣する。
 また1957年頃、戦前日本で学んだ北朝鮮の物理学者が、東京大学に原子力研究の共同研究を申し入れた・・・。
 これらの情報は、金日成が1950年代後半、すでに核開発を構想していたことを裏づける。
 <他方、>米占領軍・・・は、帝国日本の非軍事化<の一環として、>・・・南朝鮮で軍事工業の解体、民需中心の経済への転換を進めた
 これを象徴するのが、三菱製鋼仁川製作所の兵器用鋼製造設備・製品の破棄命令である。
 仁川陸軍造兵廠内の兵器と弾薬も廃棄させた。
 朝鮮機械製作所には、兵器製造から小型汽船製造への転換を指示した。
 日本人技術者は早期に帰国させた。
 彼らの引揚げは、南の産業復興を遅らせる一因となる。
 旧日本企業の無秩序な民間払下げが、それを深刻化させた。

⇒米国は、この点にとどまりませんが、北朝鮮の動向、とりわけ、ソ連の北朝鮮への軍事援助の状況を知ろうともせず、或いは、知った上で、南朝鮮の非軍事化を進めた、というわけですが、それに加えて(、南朝鮮独立後のことではありますが、)米軍自身の撤退(前述)までやらかしたのですから、ソ連に対する認識が依然として甘かったというレベルを超えて、狂気の沙汰だったという感があります。
 米国政府もさることながら、当時、日本と朝鮮の事実上の最高権力者であったマッカーサーがいかに無能だったか、ということです。(太田)

 南で兵器工場の再整備が行われたのは、1948年8月の国家樹立後である。
 仁川の旧朝鮮油脂火薬工場はようやく1949年に、陸軍兵器工場に編成された。
 兵器廠全体の組織の確立はさらに遅く、1950年に入ってからである。・・・
 「内地の製造業<にとって、>・・・朝鮮市場の割合は、1910年代以降上昇したものの、35年でも約3%にすぎない。・・・
 逆に、朝鮮からの輸入(移入)によって内地市場を侵食されたのは、農業とりわけ米作農業・・・である。
 朝鮮からの米の移入は・・・35年前後には13%を超える・・・。
 朝鮮米の流入は、米価を押し下げる要因となった。・・・
 結局、朝鮮米の流入からの受益者は経営者ではなく、・・・<当時>エンゲル係数・・・が高かったうえ、米は主食として欠かせなかった<ところ、>・・・労働者であった。・・・
 <また、>朝鮮の対外投資収益支払額(すべて内地向けとみなす)は1930年代、内地の国民所得の0.5%未満、非農業部門の財産(利潤・利子)所得に対しても、1.5%未満にすぎない・・・。
 これはそもそも、内地の経済規模に比せば、対朝鮮投資が多額ではなかったからである。・・・
 
 <かつまた、>朝鮮に渡った内地人は一般に、朝鮮統治の受益者であったといえるが、その総数は多くない。
 1939年、朝鮮在住内地人総数は65万人<で>、内地総人口の1%未満にすぎなかった。
 <政府負担の話は既出なので省く(太田)。」(184~187、195~198、200)

(完)

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