太田述正コラム#10201(2018.11.19)
<木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(その17)>(2019.2.8公開)

 「そうしたなか、1961年、朴正熙<(注21)(コラム#404、405、406、441、582、1218、1481、1521、2778、5917、5936、6029Q&A、6059、6313、7741、7819、8088、8341)>が軍事クーデターを起こし、政権を握った。

 (注21)パク・チョンヒ(1917~79年)。両班(武官)の子。「1937年3月20日 – 大邱師範学校尋常科を70人中69位で卒業。・・・学校教師を務め<る。>・・・1940年4月 – 満州国軍軍官学校に240人中15位で入学。1942年3月23日 – 満州国軍軍官予科を首席卒業。1942年 – 日本陸軍士官学校に編入(57期相当)。1944年 4月20日 – 日本陸軍士官学校を三番目で卒業」満州国軍に入って終戦を迎える。」戦後は韓国軍に入る。「内戦を終えた韓国内では議会の混乱によって一向に復興や工業化などが進まず、また軍内の腐敗も深刻化していた。これらの状態に対して軍の将官・将校・士官らの改革派を率いてクーデターを決行し軍事政権(国家再建最高会議)を成立させた(5・16軍事クーデター)。形式的な民政移行が行われた後も実権を握り続け、自身の政党である民主共和党による事実上の独裁体制を形成し、第5代から第9代大韓民国大統領(在任:1963年~1979年)と大統領任期を5期に亘って務め、権威主義体制による開発独裁を推し進めた。・・・
 大規模な民主化デモの鎮圧を命じた直後、側近である金載圭情報長官により暗殺された」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95

 朴は、強い国家の再構築を目指して、南の自由主義体制にたいし修正を企てた。
 彼は一方で国家主導の工業化や銀行の国有化を進め、他方でセマウル(新しき村)運動<(注22)>に代表される国民的精神運動を展開した。

 (注22)「セマウルとは「新しい村」という意味・・・。1970年4月22日朴正煕大統領が全国地方長官会議で提唱したのが始まり。同時期の北朝鮮における、国民運動である千里馬(チョルリマ)運動を意識した政策と考えられる。・・・
 「勤勉」「自助」「協同」を基本精神とした。・・・
 この運動にちなみ、朴大統領自身が「セマウル運動歌」を作詞・作曲した・・・
 セマウル運動の源流は、1930年代に朝鮮総督府の宇垣一成総督が進めた農村振興運動である。
 宇垣総督の下では、李氏朝鮮時代の悪弊であった「高利債の整理」「収支の均衡」「食糧の充実」ということに重点がおかれた。「高利債の整理」では、金融組合だけでは対応できないので、預金部の低利資金を何百万円か毎年金融組合に、殖産銀行及び連合会を通じて借りる様にした。
 トイレが無く、農村ではその辺りで用を足し、町中ではオンドルの中の壷に夜に小便して朝は窓からパッとそれを捨てる状態だった為、トイレ造りの費用を予算で補助し、甕を埋めて、大小便を肥料として使う事を指導したりした。
 稲作では、朝鮮ではそのままばら撒いていただけの作付方法だった為、苗代を作って稲を植える方法を教えるなど、あらゆる面に於いて、手取り足取りの親身な指導によって、次第に全般に農業振興事業が行き渡る様にした。
 朴正煕は、農村振興運動の人材育成のための指定校だった慶尚北道の聞慶国民学校で教師をして<いたことがあ>り、地域の農場でも指導していた。セマウル運動の標語は農業振興運動の標語と全く同じである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AB%E9%81%8B%E5%8B%95

 この朴の政策には、戦時期帝国日本および戦後北朝鮮におけるそれとの類似がみられる。・・・
 <しかし、>国民の間では、1979年に朴政権が突然崩壊する以前から、米国の影響を受けて、自由主義的な考え、公然たる民主化の要求が強まりつつあった。
 この流れはその後、韓国の政治・社会を支配していく。
 これは、北と対照的な体制転換を試みた南が、1945年8月以降大きな混乱を経ながら、数十年後にようやくそれを確立したことを意味する。」(180~181)

⇒このくだりでも、木村は舌を噛んでしまっています。
 というのも、単純な話、朴がクーデタを起こせたのは、韓国軍の作戦統制権を掌握していた国連軍、すなわち米軍、すなわち米国、が、朴らが韓国軍をクーデタ目的で「作戦統制」することを少なくとも黙認、いや、奨励、したからこそだった(コラム#1218)からです。
 このこととも関連しますが、いわゆる「民主化・・・要求」勢力中に、スターリン主義や金王朝体制信奉者達が混じっていた(典拠省略)ことにも、木村は目を塞いでしまっています。(太田)

(続く)

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