太田述正コラム#10255(2018.12.16)
<謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』を読む(その9)/皆さんへの問いかけ(続々)>(2019.3.7公開)

 「中国共産党は1937年8月22日から25日まで洛川県馮家(ふうか)村で中央拡大会議を開いた。・・・洛川会議<である。>・・・
 <この会議について、>十大元帥の一人<の>・・・聶栄臻(じょうえいしん)は、回想録で・・・毛沢東が当時考えていたのは、抗日戦に勝利したあと「革命のより深い発展のためにしっかりした基礎を築き」、「新中国」を樹立する問題だった<、と記している。>・・・
 <また、十大元帥のもう一人の、>張国濤の回想録も毛沢東の発言を記載している。
 「彼は・・・愛国主義に惑わされてはならない、前線に行って抗日の英雄になってはならないと警告した。・・・
 彼は、八路軍が遊撃戦を堅持し、日本軍との正面の衝突を避け、・・・日本軍の後方に回って遊撃戦を行うことを主張した。
 主要な任務は、八路軍の勢力を拡充するとともに、敵<(日本軍(太田))>の後方に中共の指導する抗日遊撃根拠地を建設することである。・・・」・・・

⇒「抗日遊撃根拠地」は、「抗国民政府根拠地」という趣旨だと、毛の話を聞かされた者達は、皆、受け止めたことでしょうね。(太田)

 過去にはこのような史料がなく、・・・中共の下層の反逆者の叙述<しかなかった。>
 すなわち、1937年9月、・・・毛沢東が「中日の戦いは、わが党の発展にとって絶好の機会である。われわれの決定した政策の70パーセントは、みずからの勢力を発展させることであり、20パーセントは妥協すること、10パーセントは日本と戦うことである」という有名な指示を行ったというものであり、これは、騎兵中隊の党支部書記李法卿(りほうけい)が八路軍を脱走したのちに公表したもので、その後広く引用されることになった。・・・
 <更に、>9月21日、毛沢東は、彭徳懐にあてて・・・指示・・・を送った。・・・
 「・・・(兵力を)分散して大衆工作を行うことのみが、決定的に敵を制し友軍を援助できる唯一無二の方法である。
 (兵力を)集中して戦争を行うことは、なんら見るべき結果をもたらさないだろう。
 現在の状況は過去の<国民政府の軍隊との>国内戦争とはまったく異なる。
 過去の体験を思い出してはならない」・・・

⇒大事なのは、こういう情報を、帝国陸軍は、その諜報網を通じ、ほぼリアルタイムで得ていたに違いない、ということです。
 私は、このような毛沢東の指示は、帝国陸軍との「調整」を経たものであった可能性が大だとさえ思っています。
 いや、それどころか、帝国陸軍の示唆を受けてのものであった可能性すらある、と。
 しかし、仮にそうであったとしても、それを裏づける史料は、日本側のものは、杉山元らによって焼却され、他方、中共側のものも、同様の措置をされていると思われることから、そういったことを証明することはできないでしょうね。(太田)
 
 日本の中国侵略は、勃興しつつあった中国の民族主義と真正面からぶつかり、中国人民のあいだに、きわめて大きな反抗を引き起こした。
 これが日本が失敗した根本原因である。

⇒日本は「中国侵略」をしたわけではないので、この命題自体が成り立ちませんが、そもそも、私見では、日本は日支戦争には名実ともに勝利し、大東亜戦争にも実質的に勝利し、たのですから、「失敗」もしていないわけです。(太田)
 
 だが、中国は弱い国であり、アヘン戦争以来、対外的な戦争で負け続けてきた。
 したがって準備もなく慌ただしく抵抗するなら、亡国を招く可能性はきわめて大きい。
 それゆえ蒋介石が指導する国民政府は再三耐え忍び、屈辱と罵倒を受けてきた。
 だが日本軍が「七七事変<(盧溝橋事件)>」を引き起こし、中国にとって退路は失われた。・・・」(61、63~68、71)

⇒中共は完全な悪、国民政府は完全な善、という単純な割り切り方だけでも、著者の歴史学者不適格性は明らかでしょう。(太田)

(続く)
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–皆さんへの問いかけ(続々)–

<GHq.f0N2>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 コラム#10253<(未公開)>でヒントをもらったけど、難しいですね。
 不十分ということは方向性は間違ってないと思うことにして、不思議とは思っておらず無関心でもないのだとすると、自分もやればできると思っているから?
 もし自分には決してできない(ができるようになりたい/なるべきだ)と思うなら、その不思議の解明にもっと真面目に取り組むはずだと。
 ひとまず書き込みましたが、どうも問いかけを十分に理解できていない気がする。
 これが知力の差なんだろうか。
 ひょっとして一般に注目していないからかな。
 「太平洋の全戦域で繰り返されたこと」が、各当事者の個人的な資質によるものと思えばそれまでの話で、目についた各事例を顕彰して終わり。
 そうではなく、もし何かしらの人間や社会の性質や当時のガバナンスや教育等が背後にあるのではと考えるなら、その解明に取り組むはずだと。
 じゃあ単位マニアの件は?
 まだしっくりこないな。

<太田>

 前段の方向性が〇。
 「私」、「AとB」、「その他」、の三グループを分けるものは一体何か、ということ。
 解答は一言だ、ということを忘れないで!