太田述正コラム#10257(2018.12.17)
<謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』を読む(その10)/皆さんへの問いかけ(続x3)>(2019.3.8公開)

 「1937年7月7日、日本軍の盧溝橋における挑発・・・

⇒訳注にこうあります。
 「・・・中国側はこれまで、日本軍が「挑発的な軍事演習を行った」とし、日本軍謀略説を採っているが、誰が第一発を撃ったのかは諸説がある。秦郁彦氏<は>、(一)中国共産党の謀略、(二)日本軍の公的または私的謀略、(三)<国民政府>第29軍末端兵士の・・・偶発的・・・発砲、(四)その他勢力の策動のうち、<(三)を採っている。>」(90~91)
 ところが、著者は、典拠を挙げることなく、国民政府と中共共通の「説」であるところの(二)説に拠っており、困った人です。
 なお、私自身は、帝国陸軍と中共が事実上示し合わし、前者は「挑発的な軍事演習を行」い、後者が(一)の謀略を行い、第29軍に潜入した中共党員が、自ら発砲した、ないし、他の29軍要員に発砲させた、と見るに至っています。(太田)

 12月13日、南京が陥落、日本軍の大虐殺により、30万人以上の軍民が惨めな死を遂げた。・・・

⇒ここは、一転して、著者はやや「良心的」であり、「30万人」という国民政府と中共共通の「説」を採りつつも、「惨めな死を遂げた」のが「軍民」と、一般住民だけではなかった、としていますね。(太田)

 毛沢東は太原会戦<(注11)>が間もなく始まる9月22日、彭徳懐に対して、・・・「兵力を分散させるべきで、集中した戦闘をしてはならない」と直接命令した。・・・

 (注11)太原作戦(日本側呼称)。1937年(昭和12年)9月下旬-11月8日・・・日本の北支方面軍及び関東軍部隊によって行われた、山西省太原への進攻作戦・・・
 上海戦線へ大規模な増援を派遣する事態となって、石原作戦部長は辞表を提出した。不拡大派の石原が辞任した3日後、太原攻略の大命が参謀本部から下されることとなった(10月1日)。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/太原作戦

 <また、>毛は<いつ?(太田)>・・・朱徳、周恩来、劉少奇、楊尚昆に、「小規模の戦闘を多く行い、士気を高め、これを用いて全国に影響を及ぼす」よう指令し<た。>・・・
 林彪の参加した平型関(へいけいかん)の戦役<(注12)>はまさに、小規模な戦闘を行って大々的に宣伝するという毛の狙いを満足させるのに格好の戦いだった。・・・

 (注12)「<太原作戦の初期、>第18集団軍(八路軍)<の>・・・第115師(師長:林彪)<が>・・・第5師団<(師団>長板垣・・・征四郎・・・中将<)隷下の>歩兵第21旅団(三浦支隊)<を>・・・包囲<し、>・・・第5師団の輜重部隊を待ち伏せ攻撃した。襲撃されたのは兵站自動車中隊・・・と歩兵第21連隊の大行李(前線へ前進中)で<あった。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/太原作戦#平型関の戦い

 八路軍<は、>・・・9月25日、・・・敵1万人余りと激戦を展開、・・・敵をすべて撃滅し<た、と>・・・戦勝報告を発した。・・・
 <しかし、>日本側研究者<によれば、>・・・実際に殲滅したのは日本軍・・・約283人<でしかなかった。>」(72~73、77~78、84)

⇒中共のプロパガンダかもしれないが、単に支那の白髪三千丈だったりして、といったところですね。
 いずれにせよ、たまにこの程度の損害を中共が日本軍に与えることは、互いの想定(調整!)の範囲内であったことでしょう。
 仮にそうだったとしても、中共側はもとより、日本側も、そんなことを知っていたのは、それぞれ、一握りの人々だけだったでしょうが・・。(太田)

(続く)
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            –皆さんへの問いかけ(続x3)–

<GHq.f0N2>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 コラム#10254でまたヒントをいただいたわけですが、改めて先の2コラムを読み返してみると、不思議に思わないのは、その行為に正しさがある、正当であると思っているからかなと思いました。
 だけど、その正しさに対する確信度には差があって、その差がグループを分けているのではないか。
 正しさに絶対的な確信がある者はそれを当然のこととして実践し、正しいとは感じているけど確信には至っていない者は自らが実行しようとまでは思わない(から、追求には至らない)ということなのでしょうか。

<太田>

 ノー。
 更なる大ヒントを出血大サービスで差し上げましょう。
 一言とは、「〇〇〇の違い」または「〇〇〇〇〇の違い」です。
 ちなみに、〇〇〇=〇〇〇〇〇 です。
 私は、語感的には後者の方が好きですがね。
 なお、今後は、関西オフ会まで、私はコメントしないことにします。