太田述正コラム#7782005.7.5

<インドとは何か(その2)>

 (3)英植民地統治

 このような議論と寛容の伝統があったところに、英国の植民地になったことで英国の自由・民主主義の影響を受け、また、英国統治下の修練を経て、今日のインドのおおむね機能する自由・民主主義・・BJPによるヒンズー原理主義的偏向を克服したインド、そして現在のような、イスラム教徒の大統領・シーク教徒の首相・キリスト教徒の与党第一党党首、を擁するインド・・がある、と言えよう。

他方、このような伝統のない旧英領植民地の国々では、必ずしも自由・民主主義が花開かないのだ。

3 もう一つのインド

 (1)センの限界

 センの議論は、いかにも優等生の経済学者らしいな、と思うのは私だけでしょうか。

 経済学とは、アングロサクソン・ウェイ・オブ・ライフたる資本主義のメカニズムを研究する学問です。個人主義を所与の前提とする学問だと言っても良いでしょう。

アングロサクソンたる経済人の理念型であるところの、自分の効用関数とリスク選好度に従って経済行動を行うという合理的人間を、センが政治の世界に投影した、いわばアングロサクソンたる政治人が、議論と寛容を旨とする合理的人間なのではないでしょうか。

その上でセンが、インド人が議論と寛容を好んだ史実をインド史に求めてみると、そこにアショカ王やアクバル大帝らが立ち現れた、ということなのでしょう。

センは、(恐らく無意識的にアングロサクソンに媚び、)いかにもアングロサクソン受けしそうな議論を展開しているのです。

センの議論に問題ありとすれば、アショカ王やアクバル大帝が例外的な人間であるとは言い切れないとしても、少なくとも彼らはそれぞれの時代におけるインドの最高権力者であり、社会の上澄み中の上澄みである点です。センは、その他大勢の一般のインド人がどんな人々なのか、とらえていない可能性があるのです。

実際、一般のインド人に焦点をあてると、全く異なったもう一つのインドの姿が見えて来ます。

そのような視点に立ってヴァルマ(Pavan K Varma)が、著書のBeing Indian, Penguin Books India, 2004 で展開するインド人論を、部分的に私の言葉に置き換えつつ、ご紹介しましょう。

(以下、http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/FF12Df03.html2004年6月12日アクセス)による。)

(2)もう一つのインド

インド人自身や外国人がこれまで抱いてきたインド人のイメージは、民主的・寛容・平和的・精神主義的といったところだろう。

しかし、実際のインド人は、上下関係に極めて鋭敏であり、強者を敬い、強者に取り入って権力やカネのお裾分けにあずかろうとする一方で、弱者・・貧しい者や虐げられた者・・は侮蔑しつつあごでこき使い、決して同情したり助けたりはしない。またインド人にとって、インド的精神主義なるものは、ごく限られた一部の例外を除き、権力とカネを追求するにあたって聖なるものの力を借りるための装いに過ぎないし、道徳などというものは実社会では何の役にも立たないものとして顧みられない。そしてインド人は、勝利が確実であると見きわめさえつけば、弱い時に掲げていた平和主義の看板など弊履のごとく捨て去って暴力に訴えることを躊躇しない。

インド人がこのようにまことに現実主義的でたくましい人々であったおかげで、インド人は、イスラム教徒やキリスト教徒によって征服されても、そのインド的アイデンティティーを失わずに済んだ。

そして、インド人が権力亡者であったおかげで、インドには、自由・民主主義の精神抜きで、英国からの借り物の自由・民主主義が「定着」した。

インド人にとっては、自由・民主主義は強者にとって都合の良い制度以外のなにものでもない。自由・民主主義は、強者に最小限のリスクで権力を追求することを可能ならしめるし、一旦権力を掌握すれば、その強者による支配を正当化してくれるからだ。

更に、インド人がカネの亡者であったおかげで、インドは、1991年に借り物の社会主義の衣を脱ぎ捨ててから、高度経済成長を始めたのだ。

弱者は侮蔑の対象であり弱者を助ける気などないから、弱者のための義務教育は顧みられず、強者のための(英国による統治の遺産としての英語による)高等教育ばかりに国のカネが注ぎ込まれる。その結果は、文盲の大衆の海に浮かぶITエリートの島、というインドのいびつな現在の姿だ。

いずれにせよ、以上のインド人像こそ圧倒的多数のインド人像なのであって、しばしば喧伝されるインドの「言語・文化・宗教・職業・信念・慣習の多様性」(セン)なるものは幻想に過ぎない。そもそもインド人の日常生活・衣服・食物・芸術・娯楽を見よ。何と均一的であることか。

そのインド人を更に均一にしたのが英国による統治であり、インドにクリケットという熱狂的な共通の娯楽と、共通の英国ひいては欧米に対する拭いがたいコンプレックスや欧米を模倣する習性を植え付けた(注5)。

(注5)このように見てくると、ガンジーの清貧主義や平和主義、ネールの社会主義がいかに、非インド的な代物であったかが良く分かる。(もっとも、センもガンジーは典型的インド人とは考えていないようだ。(太田))

インド独立後は、全国ネットのラジオ・TVやインド映画・インドポピュラー音楽等によってインドの均一性は一層促進されて現在に至っている。

(続く)