太田述正コラム#10347(2019.1.31)
<2019.1.27関西オフ会次第(続x4)>(2019.4.20公開)

<鯨馬>

 AI化は、中国共産党独裁の永続化を可能にするとの主張についてはどう思うか。

<太田>

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[ソロスの指摘等について]

 ソロスは、今年のダボス会議で、以下のような発言を行った。↓

 「中国は世界唯一の独裁国家ではないが、最も豊かで、最強の最先端技術をもつ政権であり、中国の人工知能や機械学習などは監督管理ツールに使われている」「習近平の指導下で、中国は顔認識技術を含む世界最先端のシステムを確立し、国民の識別にこれを利用し、政権に多大な脅威を与えると思われる個人をはじき出し、一党独裁国家の中国において、至高無上の統治権威を打ち建てるというのが習近平の野望だ。中国は先進的な監視監督科学技術を用いることで、習近平は開放社会の最も危険な敵となった」。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E7%B5%B6%E4%BD%93%E7%B5%B6%E5%91%BD%E3%81%AE%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%80%81%E8%A5%BF%E5%81%B4%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%8C%E5%BF%8C%E3%81%BF%E5%AB%8C%E3%81%86%E7%90%86%E7%94%B1/ar-BBSYdvt?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp#page=2

 しかし、先進諸社会において街角や車載のビデオカメラ網が整備される等になった今、犯罪後であるとはいえ、犯罪者が特定されないままでいることは次第に困難になりつつある。
 何をもって犯罪とするか、が問題にはなるが、このビデオカメラ網を犯罪予防的に使うようになるのは必然であるような気が私にはしている。
 だから、経済先進国における独裁は悪である、中国共産党は依然独裁を維持しようとしている、という2命題と、このこととを結びつけて、中国共産党を敵視するのは不毛ではないか、というのが第一点だ。
 また、発展途上国において、独裁、いわゆる開発独裁、が許されるのであれば、経済面で先進国になったとしても、政治面で発展途上であれば、やはり、独裁が許されるのではないか、というのが第二点だ。
 いや、政治面で先進国になるためには、独裁を(段階的にではあれ)放棄しなければならないのに、バカなことを言うな、という反論が予想される。
 しかし、このような反論は、「開放社会」には、欧米流、より正確には、アングロサクソン流の個人主義的なそれ、のほか、日本流の人間主義的なそれ、があるのであって、前者の「開放社会」なら、投票制/選挙制の完全導入を行えばそれで達成可能だが、後者の「開放社会」は、投票/選挙参加者、つまりは、国民、の大宗の人間主義化があって初めて達成可能となることから、そうなるまでの間、独裁を維持せざるをえない、と私は考えている。
 (前者の「開放社会」に関しても、国民の大宗の個人主義化が本来必要なはずだが、個人主義は普遍的かつ所与なものであるという思い込み、神話、が、(イギリスを除く)欧米を中心に確立しており、この先入観を打ち破るのは容易ではない。)

 以下蛇足だが、この発言を紹介している福島香織は、次のような、自分の見解を付け加えている。↓

 「中国では、人は生まれながらに平等ではなく、支配されるべきものと支配するべきものに分かれている。人類創生の女神の女●<(女偏に過のシンニュウ以外の部分)(じょか)>は無知蒙昧な小人と、指導者たる大人を区別して作り上げたのだ。人の上に人をつくらず、という西側の価値観と絶対に噛み合わない。」(上掲)

 この見解だが、技術的には以下のような問題がある。
 確かに、「後漢時代に編された『風俗通義』によると、つくりはじめの頃に黄土をこねてていねいにつくった人間がのちの時代の貴人であり、やがて数を増やすため縄で泥を跳ね上げた飛沫から産まれた人間が凡庸な人であるとされている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E3%82%AB
ところ、これは、漢人のオリジナルではなく、「女●と伏羲はもともとは南方の少数民族、苗(ミャオ)族<(注)>であがめられていた神であり、その後中国全土で広く始祖神として伝えられてい<ったものであり、>・・・女●が自ら捏ねて作った人間は優秀で金持ちになり、藤の蔓を振り回して作った人間はおろかな貧乏人になったと言われてい<る>」
http://chugokugo-script.net/story/joka.html

 (注)ミャオ族(中国語: 苗族、miáozú) は、中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%82%AA%E6%97%8F

ことに由来するらしい。
 もとより、漢人の支配層のタテマエ論であるところの儒教にも、支配するべきものたる「君子」と支配されるべきものたる「小人」という、「小人」差別が、少なくとも観念上は存在するように見えるけれど、「被治者である小人には自身で修養する能力はなく、治者(君子)の教化をまって初めて道徳的たりうるとされる。」
https://kotobank.jp/word/%E5%84%92%E6%95%99-77576
というだけのことであって、仏教的に形容すれば、自力で悟ることができる者と他力でしか悟ることができない者の違いに過ぎず、差別とは言い難い。
 この見解のより根本的な問題は、(イギリスを除く)欧米が、「人の上に人をつくらず、という・・・価値観と絶対に噛み合わない」はずの、差別・・現在では学歴と民族を属性とする・・によって成り立っているところの階級社会である、という点だ。
https://mochosie.blogspot.com/2017/08/blog-post_11.html ←学歴社会独仏
https://toyokeizai.net/articles/-/14177 ←学歴社会米国
 (民族(人種)の方は典拠は不要だろう。独仏におけるイスラム教徒等差別、米国における有色人種等差別を想起せよ。)
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