太田述正コラム#10353(2019.2.3)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その12)>(2019.4.23公開)

 「政治家の責任は徹頭徹尾結果責任である。
 例えば国民の一部にはまだ、市ケ谷の法廷にならんでいる戦犯被告たちのことを、「あの人たちもお国のためと思ってやったんだから」などというような同情の仕方をする者がある。
 政治家に対する判断の仕方を知らないのである。・・・

⇒丸山は、「結果責任」を云々するのであれば、この場合、日支戦争/大東亜戦争の「戦争目的」が何であったかを振り返った上で、その目的を達成するという「結果」が出たかどうかを論じるべきなのに、全くこれを怠っています。
 そもそも、「戦争目的」を振り返れば、それが、単に「お国のため」のものだけではなく、「世界のため」のものもあったことに目覚めるチャンスがあったのですが、ないものねだりかもしれませんね。
 とまれ、ブロック経済打破については、1941年8月という対米英戦開始よりも前の時点で既に勝ち取っていた(注7)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0
ところ、丸山がこのくだりを書いた1948年2月(460頁)の前年の1947年には、対ソ抑止について、「3月12日にトルーマンは一般教書演説で<米国が英国>に代わってギリシアおよびトルコの防衛を引き受けることを宣言した。いわゆる「トルーマン・ドクトリン」であ<るが>、・・・さらに6月5日にはハーヴァード大学の卒業式で・・・マーシャル国務長官が<欧州>復興計画(マーシャル・プラン)を発表し、西欧諸国への大規模援助を<始め>た。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E6%88%A6
と、米国が全球的に日本等の肩代わりをして行ってくれる目途が付き始めていましたし、(これを当時の丸山に気付けと言うのは、それこそ若干酷であるとはいえ、)対ソ抑止の系である中国国民党政権打倒について、支那における国共内戦が形勢が日本の提携相手であった中国共産党側に傾き始めていました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%85%B1%E5%86%85%E6%88%A6
し、アジア解放については、インド亜大陸が8月中旬に印パ両国に分かれた形で英国から独立を達成していた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%88%86%E9%9B%A2%E7%8B%AC%E7%AB%8B
、のですから、「戦犯被告たち」は「結果責任」を十二分に果たしており、まさに、「同情」されてしかるべきだったのです。(太田)

 (注7)このことも盛り込まれたところの、大西洋憲章、に、ローズヴェルトとチャーチルが調印したのは、英戦艦プリンス・オブ・ウェールズの艦上だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0 前掲
が、同艦が、日本が対英米戦開戦をした直後の、同年の12月10日に、帝国海軍の航空機によって撃沈された
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
ことは、英国が、日本によって踏んだり蹴ったりの目に遭ったことを意味するのであって、まさに、日支戦争/大東亜戦争が何であったかを象徴している。

 政治の予想する人間像というものは、昔からあまり美しくないことに相場がきまっている。
 カール・シュミットなどは「真の政治理論は必ず性悪説をとる」とすらいっている。
 たしかに政治的なものと真正面から取り組んだ思想家はいわゆる性悪論者であった。・・・
 <もっとも、>政治が前提する性悪という意味<は>もっと正しく理解しなければならない。
 性悪というのは、厳密にいうと正確な表現ではないので、じつはシュミット自身もいっているように、人間が問題的(problematisch)な存在だということにほかならぬ。・・・
 政治は一応その対象とする人間を「取扱注意」品として、これにアプローチしてゆくの<が>当然<である、ということなのだ。>」(46~47、49)

⇒私は、人間は本来的には人間主義者であると考えおり、そういう意味では性善説に立っているわけですが、丸山らのように、人間について、本来的性悪説ないし本来的取扱注意説に立つと、それだけで、日本の、アジア主義に立脚したところの、大東亜共栄圏構想実現なる戦争目的の宣言を、単なるプロパガンダとして切り捨てる以外になくなってしまうわけです。(太田)

(続く)