太田述正コラム#10387(2019.2.20)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その21)>(2019.5.10公開)

 「紛争というのは最も広い意味に於ては、社会的な価値の獲得・維持・増大をめぐる争のことです。
 ここで社会的価値というのは、凡そ人間社会における人々の欲求の対象を総括する言葉であって、狭い意味での経済的価値だけを意味するのではありません。
 経済的価値を仮りに財貨と呼ぶならばそうした財貨の他に知識・尊敬・威信・快適・名声・優越・勢力(influence)・権力(power)–こういったものは全て人々の欲求の対象である限りに於て社会的価値となります。
 こうした価値相互の間には、互に目的–手段の密接な関連があり(例えば富によって快適をうるとか知識によって尊敬をうるとか)、また人々に依ってまた時代に依って、相異る順位階層関係があります。
 こうした価値の序列と社会構造とはまた密接の関係があって、例えばゾンバルト(W.Sombart)<(注24)(コラム#758、1022、3540、4023)>が中世封建社会と近世資本主義社会の対比を、それぞれ、「汝、権力あり、故に汝、富めり」という定式と、「汝、富めり、故に汝、権力あり」という定式の対立として説明していますが(Der moderne Kapitalismus,I,S.587)<(注25)>、ここに中世と近世との価値序列の顚倒関係が巧みに表現されています。・・・

 (注24)ヴェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart。1863~1941年)「ドイツの経済学者・社会学者。ドイツ歴史学派最後の経済学者。ドイツ的社会主義を提唱し、またユダヤ人が資本主義を生み出したと論じ、反ユダヤ主義的な論述を行い、ナチスを支持した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
 (注25)Der moderne Kapitalismus.(1902~1927年)。1942年に生活者から邦訳が出ている。(上掲)

⇒ゾンバルトのような人物を、自分の論稿の権威付けのための典拠として持ち出す丸山は、現在の言葉で言うところの、ポリティカル・コレクトネスの観点からだけでもアウトです。(太田)

 しかし、・・・政治的紛争はその目的対象に依って特色附けられるものでなく、対象としての価値を獲得・維持・増大する方法ないし手段に特色があるのです。
 この方法が政治的な紛争の在り方を規定します。・・・
 当事者が互に向き合って対立するということが先ず紛争の第一の条件です。
 ところで当事者の向き合って争う仕方にもピンからキリまであります。
 その一方の端は純粋な論争(discussion)です。
 学問・芸術・宗教上の論争等をこれに挙げることが出来ましょう。
 他方の端には、直接暴力(物理的強制力)に訴えての争があります。・・・
 相手を純粋に倫理的・学問的或いは宗教的なやり方で説得する段階から物理的強制を現実的に行使して相手を圧服する段階に近づくに従って、紛争は政治的色彩を濃化してまいります。
 ここに単なる紛争の存在だけでなく、その濃度ないし集約度(intensity)の一定程度の高まりということが政治の第二の契機として登場して来ます。
 カール・シュミットが政治的なるものの特質を、敵味方の区別ということに求めたのは(C.Schmitt.Der Begriff des Politischen.1932.S.7f.)この点に着目したわけです。・・・ 
 <これは>些か極端な考え方のように思われますが、・・・メリアム等のアメリカの学者も、「政治に於ける緊張は決して一旦緊急の事柄ではなくして、事実ノーマルに予期される現象である。
 少し誇張された表現をすればここではアブノーマルなものがノーマルなのだとさえいえよう」(C.Merriam.The Role of Politics in Social Change/p.36)といってやはりこれを認めております。
 随って学問や倫理や宗教といった領域と別にそれと並んで政治という領域があるというより、政治はそうしたあらゆる文化領域を貫いて潜在しているといった方がいいでしょう。・・・」(78~82)

⇒ここに至って、初めて、丸山は、私の言うところの、政治の遍在性を指摘しているわけですが、これは、彼が「成長」した、ということにしておきましょう。(太田)

(続く)