太田述正コラム#8142005.8.5

<法の優位(その2)(アングロサクソン論11)>

 (本篇の上梓は7月29日です。8月4日?12日の間、夏休みをとるので、コラム上梓頻度を増しています。)

4 法の優位の淵源

 以前(コラム#478で)、天才民族があるとしたら、それはユダヤ人とイギリス人(アングロサクソン)だ、と申し上げたことがあります。

 ユダヤ人の天才民族たるゆえんは、功罪半ばするところではありますが、一神教を人類史上初めて創造したことです。この一神教たるユダヤ教がキリスト教とイスラム教を生み出し、合わせて現在の世界の過半の人々のものの考え方を支配していることはご承知の通りです。また、19世紀にはユダヤ人マルクスが、また20世紀にはユダヤ人アインシュタインが、それぞれ人間世界と自然界に対する人類の見方を根底からゆさぶった(注4)こともよくご承知でしょう。

 (注4)先般、英国の某ラジオ放送局が行った人気投票で、マルクスが28%の票を集め、(社会民主主義さえ死に絶えたはずの)英国で、世界で最も偉大な哲学者に選出されたことは、英国で大きな話題となった。(ちなみに、第二位はヒューム、第三位はヴィトゲンシュタイン第五位はプラトン、第八位はソクラテスだった。)共産主義の宗家ソ連が崩壊して十有余年、マルクスは社会主義の予言者としては死んだが、彼の移住先の英国で、唯物史観(materialist conception of history)・資本主義分析(analysis of capitalism。物神化・不安定化・疎外・搾取、等々)・その系としてのグローバリゼーション理論(universal interdependence of nations)の哲学者として蘇った、という受け止め方がなされている。(http://books.guardian.co.uk/departments/politicsphilosophyandsociety/story/0,6000,1528136,00.htmlhttp://books.guardian.co.uk/news/articles/0,6109,1528336,00.html(どちらも7月15日アクセス)、及びhttp://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/07/23/2003264702(7月24日アクセス)。)

 また、アングロサクソンが天才民族である、と私が考えている理由は、前からの当コラムの読者の皆さんには説明の要はありますまい。

 ではどうして私は古典ギリシャ人を天才民族とは見ないのでしょうか。

 それは、古典ギリシャ人の人類へのユニークな貢献は、演繹的(deductive)科学(その白眉がユークリッド幾何学)と民主主義であることに異論のある人はほとんどいないでしょうが、私は、演繹的科学は、欧州の合理論(rationalism)(注5)につながる(コラム#46)ところのドグマ(その典型例がプラトン哲学)に陥りやすい前近代的科学であり、アングロサクソン流の立憲主義(=自由主義)抜きの民主主義は、アテネの例を見ても、早晩衆愚政治(mobocracy)か僣主(tyrant)政治に陥ってしまうことから、それだけでは近代的政治制度とは言い難い、と考えているからです。

 (注5)近世欧州の理性中心の認識論・哲学説。真なる知識の起源を感覚的経験にではなく理性的思惟に求め、生得的・明証的な原理を基礎に導かれたもののみを確実な認識であるとする。イギリス経験論に対する、デカルト・スピノザ・ライプニッツなどの大陸合理論が代表的。(MSN国語辞典)

この私の古典ギリシャ観は、高校二年生から大学の教養課程にかけて形成されたものです(注6

 (注6)私は小学生時代の過半をエジプトのカイロで送ったが、仲の良かった友達の一人は同じ小学校に通っていたギリシャ人だった。また、当時ギリシャのアテネに観光で行ったこともある。それはともかく、私の本格的な古典ギリシャとの出会いは、日比谷高校の二年生の時の「倫理社会」の担当教師が、半年間にわたって主教材としてプラトンの対話編の一つ「饗宴(Symposium)」の英訳本を使ったことに始まる。当時の日比谷高校でよく行われていたことだが、この「倫理社会」の授業でも教師役は代わる代わる生徒が務め、この本を講読して行った。同級生は皆準備に悲鳴を上げていたが、帰国子女あがりで英語のできた私は結構簡単にプラトンの世界に入って行くことができ、これをきっかけに私はプラトンの対話編の面白さにとりつかれ、大学の教養課程にかけて、邦訳の出ているものは(商社員だった父親の戦前の蔵書も含めて)ほとんど全部読んだ。そして、ホメロスの叙事詩とかアイスキュロスやアリストパネスの戯曲等も読みあさった。私の古典ギリシャ観は、基本的にはこの時形成されたものだ。

 今でもこの古典ギリシャ観を変更する必要があるとは思っていませんが、古典ギリシャ人による人類への貢献はもう一つあり、しかもこれは演繹的科学や民主主義とは違って掛け値なしの人類への大貢献であることを、私は後に知ることとなります。

 それは古典ギリシャ人が、近代法の概念につながるところの、法の概念を生み出したことです(注7)。

 (注7)このことを知るきっかけになったのは、英国の国防省の大学校に留学していた1988年に、夏休みに家内と行ったギリシャ旅行だ。クレタ島のヘラクリオンのレストランで隣り合わせになったギリシャ人の青年に、お世辞のつもりで「ギリシャは偉大だ。科学と民主主義を人類にもたらしたのだから」と話しかけたところ、彼が「法をもたらしたのもギリシャだ」と答えたのです。その時は、「古典ギリシャ人とは比ぶべくもない現代ギリシャ人は、大風呂敷であるところも古典ギリシャ人とは大違いだな」と内心苦笑いした記憶があるが、この青年は実は真実を語っていたのだ。

(続く)