田述正コラム#8212005.8.12

<原爆投下と終戦(その3)>

  (本篇は、8月3日に上梓しました。明4日から12日まで夏休みをとるので、コラム上梓頻度を増しています。)

 二番目の理由は、日本本土への上陸作戦を実施することで見込まれる米軍の大きな損害を回避できる、と考えたことです。

 そして三番目の理由は、ソ連が参戦後、朝鮮半島や日本本土を席巻し、戦後日本の占領に加わること等、戦後東アジアでソ連の存在が巨大になりすぎる前に日本を無条件降伏に追い込むことができる、と考えたことです。

 要するに米国政府からすれば、原爆投下は一石三鳥の効果が見込まれており、原爆投下をしないオプションなど、全く考慮されなかったのです。

 私は、一番目の理由である無条件降伏の強要と二番目の理由である米軍の損害の回避は、自由・民主主義国家において、世論への配慮から戦略判断がねじまげられる典型的な事例であり、三番目の理由であるソ連への警戒については、そもそもソ連の参戦だけで日本政府(及び軍部)が無条件降伏するであろうことを読めなかった米国政府の戦略判断ミス(注6)以外のなにものでもなかったと思います

 (注6)もっとも、この戦略判断ミスは、ロシア(ソ連)を中心とする民主主義独裁国家の脅威から日本ひいては東アジアを守ることを最大の戦略目標としてきた明治維新以降の日本の足を、低劣な嫉妬心と人種差別意識からひっぱり、あまつさえ、ファシズムの中国国民党と共産主義の中国共産党に肩入れして日本を追いつめ(コラムが多すぎるので一々挙げない)、最後は共産主義の大本締めのソ連を領土をエサに対日参戦させた、という、米国のより根本的な戦略判断ミス・・米国が犯した原罪・・の、必然的帰結であったと言えよう。

     どんなに当時の米国が理不尽であり、人種差別的であろうと、米国による一元的占領の方が仇敵のソ連による日本本土の全部または一部の占領よりはマシだと日本が考えるであろうことを、当時の米国政府が全く予見できなかったことは、当時の米国がいかに異常な国であったか、ということだ。

 要するに、米国による日本への原爆投下は、いかなる申し開きもできないところの、人道に対する罪に該当する愚行だった(http://www.hup.harvard.edu/reviews/HASRAC_R.html前掲)、ということです。

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 ハセガワの指摘に、米国の研究者は甲を脱いだ(注7)といっても、このような指摘は容易に米国の一般国民の常識になることはないでしょう。

 (注7)つい6年前の1999年に、フランク(Richard B Frank)という米国の研究者は、著書Downfallの中で、「原爆の使用なくして戦争が終わったであろうなどと信ずることは、歴史ではなく、幻想にほかならない」と言い切っていた(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4724793.stm前掲)。

BBCのサイト(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4724793.stm上掲)は、米国民の心情を代弁して、「<原爆投下は、>阿南<惟幾陸相>やその同類に戦争の継続を断念させなかったことは事実だが、裕仁天皇の<降伏に向けての>決定的な介入をもたらした」と記していますし、NYタイムス(http://www.ufppc.org/index2.php?option=content&task=view&id=2788&pop=1&page=0。前掲)は、「原爆投下は、日本の裕仁天皇に、天皇家を守るために8月15日に降伏することを、軍部に強いるために必要な口実(excuse)を与えた」と記したところです。

この種の議論に対する反論も当然ハセガワの本には記されているのでしょうが、一つ、昭和天皇の終戦の御前会議の時の以下の発言を虚心坦懐に読んでみてください。

ちなみに、この会議では、陸軍大臣・参謀総長・軍令部長が終戦に反対する意見を表明し、米内光政海軍大臣を含むその他の御前会議メンバーは終戦に賛成する意見を表明して決着がつかず、鈴木貫太郎首相は自分の意見を表明しないまま天皇の意見を求めたものです。

「太平洋戦争がはじまってから、陸海軍のしてきたことをみると、予定と結果が、たいへんちがう場合が多い。大臣や総長は、本土決戦の自信があるようなことを、さきほどものべたが、しかし侍従武官の視察報告によると、兵士には銃剣さえも、ゆきわたってはいないということである。このような状態で、本土決戦に突入したらどうなるか、ひじょうに心配である。あるいは日本民族は、皆死んでしまわなければ、ならなくなるのでは、なかろうかと思う。そうなったら、どうしてこの日本を子孫につたえることができるであろうか。自分の任務は、祖先から受けついだこの日本を、子孫につたえることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらって、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。このまま戦をつづけることは、世界人類にとっても不幸なことである。自分は、明治天皇の三国干渉のときのお心もちをも考えて、自分のことはどうなってもかまわない。堪え難いこと、忍びがたいことであるが、かように考えて、この戦争をやめる決心をした次第である。」

(以上、http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist4_5_5.htm(8月3日アクセス)による。)

ここで天皇は、軍事的素養のある人間として当然のことを発言したまでです。

つまり天皇は、彼我の現在の戦力比から見て日本は既に敗れており、これ以上戦争を続けることは、一方的に殺戮を甘受するだけの無意味な行為であるので降伏すべきだ、という趣旨を述べたのであり、後のことは修飾的言辞に過ぎません。

この天皇の発言から原爆投下の「成果」を読み取ることは、およそ無理な算段である、と思います。(いわんや、NYタイムスのように、天皇ないしは天皇家の自己保身を読み取ることは、下種の勘ぐり以外のなにものでもないでしょう。)