太田述正コラム#10461(2019.3.29)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その2)>(2016.6.16公開)

2 『日本の近代とは何であったか』を読む

 「・・・「確立された自然学・・・<すなわち、>physical science<(注1)> または physics・・・<と>は<、>「外的自然の細部にわたる系統的研究」を意味し、・・・a study of nature<(注2)>・・・といいかえてもよいもの<であるところ、>・・・<それ>を新しい道具や新しい事物の発見のための基礎として利用しようという考えは、初期の人類社会には存在しなかったのであり、それはいまだに少数のヨーロッパ諸国に特有の近代的観念なのである」とバジョット<(注3)>は述べています。・・・

 (注1)physical scienceとは、物質、エネルギー、宇宙の仕組みに関する科学、
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/physical-sciences
または、(生物学に対置されるところの、)非有機的世界に関する体系的研究、
https://www.britannica.com/science/physical-science
もしくは、(生命科学に対置されるところの、)非生命科学、
https://en.wikipedia.org/wiki/Outline_of_physical_science
を指す。
 (注2)a study of natureという表現は存在せず、恐らくは、nature studyのことである、と英米の人々に受け取られるであろうところ、nature studyは、極めて限定的かつ特殊な意味合いを持つ言葉・・米国の19世紀末から20世紀初において流行ったところの、自然観察を通じての精神的、個人的な啓発を追求した教育運動・・である
https://en.wikipedia.org/wiki/Nature_study
ことから、三谷のこの言い換えはいかがなものかと思う。
 (注3)ウォルター・バジョット(Walter Bagehot。1826~77年)。「イギリスのジャーナリスト・評論家・経済学者・思想家。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%83%90%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88
 英国のジャーナリスト、実業家、エッセイスト。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン卒(数学)、修士(道徳哲学)、リンカーン法曹院卒(弁護士資格取得)。エコノミスト誌を作り所有していた人物の娘と結婚し、同誌で健筆を振るう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Bagehot

⇒三谷は、ここでは、バジョットをジャーナリストとだけ紹介している(4)けれど、邦語ウィキペディアが、英語ウィキペディアとは違って、バジョットについて、「経済学者・思想家」とも紹介していることが示唆しているように、とりわけイギリスで、社会科学分野が、実務家、別の表現で言えば、アマチュア、によって切り開かれ、牽引されてきた、ということから、邦語ウィキペディア執筆者たる人々はもとより、三谷ら、日本の政治学者や経済学者等もまた、目を逸らせてきたのではないでしょうか。
 日本で、バーク(下院議員)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%a8%e3%83%89%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%bb%e3%83%90%e3%83%bc%e3%82%af
やバジョット(ジャーナリスト/実業家)やケインズ(官僚)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%a1%e3%82%a4%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%83%89%e3%83%bb%e3%82%b1%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%ba
のような、実務家、ないし、アマチュア、たる社会科学研究者が殆ど出現していないのは、私見では、日本の社会科学研究者達が、基本的に、イギリス等、欧米の社会科学諸文献の翻訳業という、「高度な」専門性を要する、しかし、必ずしも科学者的ではない生業に従事してきた、からなのです。
 私に言わせれば、アマチュアでなければ、いや、少なくとも、政治や経済の第一線の実務を経験したことのある者でなければ、政治学や経済学等の分野で新たな道を切り開くことなど、まず、不可能だというのに・・。
 なお、バジョットの言として引用されている文章が、本当に彼の言だとすれば、それは舌足らずです。
 というのも、ギリシャの哲学者のエピクロス(Epikouros。BC341~270)は、「デモクリトスの原子論を根底にも<つところの>,霊魂をも物体とする唯物論者であり,感覚を知識の唯一の源泉かつ善悪の標識と<し、>・・・快楽主義<を提唱>」した
https://kotobank.jp/word/%e3%82%a8%e3%83%94%e3%82%af%e3%83%ad%e3%82%b9-37163
ところ、これぞまさしく、近代ならぬ古代(初期の人類社会)において、「physical science・・・を新しい道具や新しい事物の発見のための基礎として利用しようと」したものだからです。
 バジョットが、physical science ではなく、(イギリス発祥の)empirical science(経験科学)と書いておれば、問題はなかったのですが・・。(太田)

(続く)