太田述正コラム#8342005.8.24

<郵政解散の意味(補論)>

 普段、私のHPohta@ohtan,net)の掲示板を読んでおられない方は、まず、以下のやりとりにざっと目を通していただく必要がありますが、既に読んでおらえる方は、飛ばしてください。

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<私有自楽>

太田述正コラム#829「郵政解散の意味(その2)」をめぐって>

> 「日本の経済力をつぶそうと思ったら」このシステムは破壊しなければならない、という米国の対日大戦略http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050811_kaigai/前掲)に屈したものであり、……

チョッとチョッと待って下さい、私は太田氏の主張についてほぼ賛同する者ですが、経済学の領域の話になると途端にレベルが下がってしまうことを常々気に掛けておりました。

今回の立花論文を参照すること等はその典型です。

立花隆氏は評論家、記者或いは社会学者としては高名な方であり、その分野のお話しには敬意を表する者ですが、氏の経済学認識は初歩的な部分で経済学部の四年生のレベルにも達していないばかりでなく、基礎的な部分で明らかに誤った多くの主張しておられ、影響力の大きい方だけに多くの人を惑わす結果となりますので困ったことです。

これは高名な文学者が物理学や医学の論評をしたからといって、必ずしも正しいことを述べているとは限らないのと同様です。

一般に物理や化学のことだと「私は素人ですので…」と謙虚になる人が多いのに対し、経済学の分野の事になると途端に基礎的な分析ツールの使い方も学ばぬままに日常生活の直感だけで誤った議論を平然と推し進める人が多いのは、多くの評論家、政治家を始めとして、困ったものだと思っていることの一つです。

物理学の分野ではニュートンが現れるまでは、アリストテレスが主張していた運動の法則、即ち「物は落ちる」「物は止まろうとする」という法則が跋扈していましたが、立花隆氏の主張は正に「物は落ちる」「物は止まろうとする」という直感的な運動法則に則って人工衛星の動きを解説しようとすることに等しい愚行です。(直感的にはその誤った説明の方が専門外の人には納得し易いことが余計始末を悪くしています)

現在私は残念ながら期限の迫った仕事を抱えているので、立花隆氏の誤った議論の一つ一つを取り上げて論評し訂正している時間が無いので、簡単に氏の表題についての誤りだけを正した結論だけをここに述べておきます。 あとは一事が万事です。

正しくは、「日本の経済力をつぶそうと思ったら」このシステム(郵政)を温存しさえすれば良い。」 です。

この訂正表題についての詳細解説は私でなくても、真面目に勉強している経済学部の3?4年生の学生なら十分に出来ます。

読者に経済学を学んでいる学生さんがいらっしゃったら、夏休みを利用して、どなたか私に代わって以下の解説の投稿を試みてご覧になりませんか?

<太田>

>私は太田氏の主張についてほぼ賛同する者ですが、経済学の領域の話になると途端にレベルが下がってしまうことを常々気に掛けておりました

今まで「経済」の話はしたことがあるけれど、「経済学」の話はした記憶はありませんが・・。

それはともかく、

>「日本の経済力をつぶそうと思ったら」このシステム(郵政)を温存しさえすれば良い。」

と力説されておられるところを見ると、どうやら私の「郵政解散の意味」シリーズの趣旨を読み違えておられるようです。私の書き方に問題があったのかなあ。

 私は、「アングロサクソン的政治経済体制」への切り替えの必要性は、弥生化の観点から不可欠だと考えているので、郵政の分割なり民営化それ自体に反対している訳ではありません。

 私は、それが米国の要求リストに載っていること、米国の利益に合致する形で進められている可能性があることに注意を喚起しているだけです。(関岡氏のスタンスと基本的に同じです。)

 米国が「公正な競争」を標榜しつつ、自分で勝手に反ダンピング法制をつくって、恣意的に懲罰的関税を賦課し、米国の特定の業界を外国企業との競争から保護してきた国であることを思い出してください。

 諸外国から総スカンをくらいつつも、米国が世界の覇権国であり、かつ米国の市場が巨大であることから、そんなばかげたことが依然まかり通っています。

 (本来、国家というものはエゴの固まりですから、米国を非難しても始まりません。)

 そんな米国が要求してきたことは、疑ってかかり、郵政の分割なり民営化なりについては、あくまでも、来るべき日本のアングロサクソン的政治経済体制の全体像を思い描いた上で、日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進されるべきだ、というのが私の言いたいことです。

<私有自楽>

> 今まで「経済」の話はしたことがあるけれど、「経済学」の話はした記憶はありませんが・・。

そうですね、 おっしゃる通りです。

それはともかく、

> どうやら私の「郵政解散の意味」シリーズの趣旨を読み違えておられるようです。私の書き方に問題があったのかなあ。

いいえ、多分そうではないと思います、太田さんの主張は大いに認めていると同時にほぼ全面的に同意しているのです。

私が矛先を向けているのは、立花隆 主張に対してであり、その意味ではこの掲示板に投稿したのは一種の八つ当たりで、立花 隆 氏のホームページの掲示板の方に批判の矛先を向けるべきでした。

さて、私がここで主張したいことは、その社会システムの提案を最初に黒猫がしたのであれ、白猫がしたのであれ、国民の汗の結晶である郵貯と簡保の350兆円前後のお金が、国民の幸せな生活(安全保障も含む)の為に還元されるシステムであれば良いのであって、アメリカが最初に提案したことだからと言って日本を弱体化させる陰謀なのではないか?等とつまらぬ下司の勘繰り等をしている暇は無いということなのです。

太田さんは「日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進されるべきだ」、とおっしゃいますが、その様な理想的な計画案がいつの日か策定され、それが国会で承認されるまでのいつ果てるとも無い時間の間に、350兆円の国家事業に投資されたお金はどんどん不良債権化し、同時に本来国民の幸せな生活の為に使われる筈だったお金は談合や腐敗に満ちた談合仲間の村社会だけの為に浪費されていくことになります。

その様な悠長なことをやっているより、それなりに洗練された国際会計基準に則りアングロサクソン的政治経済体制を一刻も早く築いてしまうことの方がアメリカや中国と対等に話し合いのできる普通の国になれる最も着実な方法であり王道なのです。

何が一番良い方法かを澱んだ社会構造の中で論じるより、一見乱暴に聞こえますが、一刻も早く民営化の競争の洗練を受け、国際基準で評価され、それぞれの民営化主体が自らを律してより丁寧にきめ細かく毎日その社会システムのリファインを重ねて行った方が、より着実に多くの人々をそして社会を幸せにすることが出来ます。

あまり良い例えではありませんが、外国語を習得しようとする時の最悪手は、日本語で書かれた最も良い外国語習得の方法を論じた本を読み漁ることです。そんな暇があったら現地で生活しましょう。

今日はとても乱暴に議論を進めていますが、いつか丁寧に議論を展開したいと思っています。

太田さんからご返事を頂いてしまったので取敢えずの回答まで。

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 以上は、「郵政解散の意味(その2)」をめぐっての、私有自楽さんと私の、HPの掲示板上のやりとりです。この際、もう少し議論を深めたいと思います。

悠長なことをやっているより、それなりに洗練された国際会計基準に則りアングロサクソン的政治経済体制を一刻も早く築いてしまうことの方がアメリカや中国と対等に話し合いのできる普通の国になれる最も着実な方法であり王道なのです。

 まさにこの私有自楽さんの推奨されている通りのことを、米国の勧めに従ってやった結果、国が滅びかけたのがロシアです。ロシアはたまたま産油国であったために石油価格高騰によって救われましたが、さもなければロシアは本当に滅びていた可能性があります。

こうしてソ連が解体しただけでなく、ロシアもまた没落したことで利益を得たのは米国です。

 共産党政権下のロシア(ソ連)は重厚長大産業に適した社会主義国でしたが、日本型政治経済体制下の日本は重厚長大産業にも軽薄短小産業に適した、人類史上最も効率的かつ効果的な社会主義国家(正確には社会主義的国家)でした。

 長期にわたって機能した社会主義ないし社会主義的国家の資本主義的国家(アングロサクソン的国家)への転換は一筋縄ではいかないものなのです。

 私は、日本の1990年代以降の失われた十有余年は、米国の要求に従って、過早に、他律的にかつ非体系的に政治経済のアングロサクソン化を実施したためにもたらされた、と考えています。

 (長銀のケースが良い例です。長銀の普通銀行化は早晩やらなければならなかったとしても、調査部だけからも竹内宏や日下公人らの逸材を輩出させてきた長銀を壊滅させて人材を散逸させ、頭取に縄目の恥を受けさせ、しかも税金を投入した上で米国系の投資グループにしこたま儲けさせたことを思い出してください。)

 さりとて、ロシアのように一挙にアングロサクソン化を実施していたとすれば、日本もまた滅びていた可能性大です。

 アングロサクソン化への道半ばの現在、このような事情はなお、基本的に変わっていないと私は考えています。

すなわち、「日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進」する以外に日本がアングロサクソン化するにあたっての王道はないのです。

 これが私の言いたいことの第一点です。

 私の言いたいことの第二点は、かかる制度設計にあたっては、長期雇用(典拠失念)や系列(http://www.asahi.com/business/update/0626/003.html。6月26日アクセス)や摺り合わせ(藤本隆宏「能力構築競争―日本の自動車産業はなぜ強いのか」中公新書)といった日本型政治経済体制下で培われたところの、アングロサクソン的政治経済体制下においても日本等においては維持した方がよさそうなシステムを生かすこと等を考慮する必要があるということです。

 換言すれば、日本のアングロサクソン化と米国化とは同値ではありえない、ということです。

 私が言いたいことの第三点は、この点が最も重要なのですが、日本のような米国の保護国が、米国の要求を次々に鵜呑みにして行くことは非常に危険だ、ということです。

吉田ドクトリンの下で日本は外交と安全保障を米国に委ねただけであって、米国が日本の内政にまで直接容喙することはできないタテマエであるはずなのですが、既に申し上げたように、米国のお眼鏡にかなわない人物が日本の首相になることも、米国の反対する政策を日本政府が実行に移すことも困難なのが実態です。

これは、米国の要求を鵜呑みにして施策化することは簡単であるものの、その結果米国ないし米国の業界が余りにも一方的に利益を受けることが分かって、日本がこの施策を撤回ないし軌道修正しようとしても、米国が首を縦に振らない限り不可能だということを意味します。

 ですから、日本をアングロサクソン的政治経済体制に切り替えるのであれば、本来はそれに先行して日本は米国からの「独立」(自立)をはたす必要があるのであり、少なくとも自立へ向けての努力と平行してアングロサクソン化を推進すべきなのです。

 しかしご承知のように、日本の自立への歩みは余りにも遅々としており、このような状態のまま、日本がその政治経済システムを性急にアングロサクソン化、というより米国化することは、日本が米国の連邦議会に代表を送れない以上、日本が米国の保護国ならぬ植民地に転落する危険を冒すことに他なりません。

 しかもこの場合、香港のように英国によって統治されていて英国が統治に責任を負っていたケースとは違って、米国は日本の統治に何の責任も負っていないだけに、日本は一方的に宗主国米国に収奪され、奉仕させられる存在に成り果てる可能性大です。

 以上、私の意のあるところをお酌み取りいただければ幸いです。