太田述正コラム#8492005.9.2

<郵政解散の意味(補論)(続x3)>

6 「士」「商」対置論について

 (1)「商」においては常にwin-win関係?

ア 企業と企業

>「軍事にしても政治にしても相手の方が強くなるということは、自分が弱くなるということなんです。ところが経済は違う。隣の国が良くなるということは、自分も良くなるチャンスが出てきたということ…」という一節があります。この「ところが経済は違う。…」以降の後段の発想は正に「商」・・が本能的にする発想です。

 しかし、(竹中平蔵氏や)私有自楽さん言うところの「商」の姿は、日本型政治経済体制下等においてのみ通用する、きわめていびつな・・非資本主義的な(非アングロサクソン的な)・・「商」の姿なのです。

 日本型政治経済体制は本来総力戦体制であり、経済界は産業分野ごとの官製カルテル(護送船団)で覆い尽くされていました。個々の企業は、利潤最大化でなく、戦争遂行能力を最大限に整備することへの協力、を行動原理にさせられていたのです。

 戦後は「戦争遂行能力」を「GNPGDP)」と読み替えただけで、日本型政治経済体制は殆どそのままの形で維持され、昭和が終わる頃まで機能し続けたことはご承知のとおりです。

 このような体制の下では、同業他社が強くなるということは、護送船団の一員たる自社もまた強くなるであろうこと(win-win関係)を意味していました。

 これに対して、アングロサクソン的政治経済体制の下では、同じ産業分野に属する企業同士は敵対関係にあり、同業他社が強くなるということは、即、自社が弱くなるということを意味します。それはどうしてかというと、財務内容に差が生じる結果、自分の資金調達コストが上昇し(注7)、その結果、設備投資も研究開発投資もこの他社に遅れをとることになり、当然、この他社との差は更に開くことになり、そしてこの悪循環が続く結果、自社は倒産し、当該産業分野はこの他社が独占するところまで行き着きついてしまうからです(注8)。

 (注7)これに対し、日本型政治経済体制下では貸し出し金利が政府によって規制されているので、財務内容に差があっても資金調達コストは必ずしも上昇しない。ちなみに、日本で戦後長きにわたって米国譲りの独占禁止法が実際に用いられることがなかったのは、日本型政治経済体制下では独占は生じ得ないからだ。

(注8)しかし、そうなると競争がなくなってしまい、この独占会社は価格をつり上げる一方で研究開発投資を怠るようになり、消費者は古い製品を高い価格で買い続けさせられるはめになる。だから、アングロサクソン的政治経済体制の下では、独占禁止法が不可欠になる。アングロサクソン的体制の世界への普及に伴い、一国単位で独占を禁じる意味はなくなったという議論があるが、ここでは立ち入らない。

  イ 国家と国家

 話のすり替えだ。竹中氏も自分も企業の話などしていない。「商」(経済)の観点からは国家と国家は常にwin-win関係にある、と言っているだけだ、とおっしゃるのですか?

 だとしたら、これについてもまた、異なことをうけたまわる、としか申し上げようがありません。

 米国は同盟関係にある日本や欧州NATO諸国(EU諸国とほぼ同じ)の軍事力が強くなることを歓迎しています。実際米国は、日本やEUに常に防衛費増を要求しています。

 つまり、経済だけでなく政治や軍事の分野でも、米国と日本やEU諸国のような同盟国の間では、win-win関係が成り立っていることが分かります。

 他方、中共のような米日やEUにとっての潜在敵国については、その軍事力が強くなることは脅威と受け止められていることはご承知のとおりです。

 逆に、経済の分野では、米日やEUと中共との間であっても常にwin-win関係が成立するのでしょうか。

 高度な技術や高度な技術を用いた製品の中共への輸出を禁止している(例えば、http://www.meti.go.jp/policy/anpo/参照)ところを見ると、米日及びEU諸国がそうは考えていないことは明白です。

 そのねらいは、高度な技術を有する米日やEUに中共経済は従属し奉仕させるところにあり、その結果、中共は好むと好まざるとにかかわらず、実質的に米日やEUの植民地と化しているのです。