太田述正コラム#8682005.9.17

<ペルシャ帝国をどう見るか(その2)>

3 新しい古代ペルシャ観

 (1)古代ペルシャ展開催まで

 この展覧会を企画したのは、大英博物館の古代近東部学芸員のカーチス(John Curtis)博士ですが、彼は、対イラク戦争でのバグダット陥落以降における米軍の、イラクの古代遺跡や発掘品を蔑ろにする姿勢に警鐘を鳴らし続けてきた人物です。

 彼はバグダット陥落後、最初にバグダット入りした西側からのオリエント学者グループの一人であり、バグダット陥落後の掠奪騒ぎでバグダットの国立博物館から散逸した発掘品等について調査の上、何が失われたかを発表しています(http://www.artsjournal.com/yesterdays/20030506-5197.shtml。9月15日アクセス)。

そして彼は今年初頭にもイラク入りし、古代遺跡の宝庫であるバビロン(Babylon)に米軍が、兵員2,000人を収容する150haの大きな駐屯地を開設し、それをポーランド軍に譲り、結果として米軍とポーランド軍でバビロンを荒らしてしまったっことに対して、「これは、エジプトの大ピラミッドや英国のストーンヘンジの周りに駐屯地をつくったに等しい」と厳しい批判を浴びせたことで知られています(http://te.verweg.com/pipermail/cpprot/2005-January/000662.html。9月15日アクセス)。

 こんなカーチス博士だからこそ、イランが喜ぶような趣旨を掲げた(後述)こともあり、英仏独とイラン政府が、米国のすさまじい圧力を感じつつ、イランの核疑惑問題で角突き合わせている(コラム#828)最中に、大英博物館やルーブル博物館所蔵品とともに、イランの国立博物館とペルセポリス博物館が秘蔵する門外不出の発掘品等が多数出品されるという、この画期的な展覧会を実現させることができたのでしょう。

 もとより、この展覧会の開会式に英国のストロー外相が出席した(注3)ことが示しているように、そこには、英国の高い水準の人文科学や著名な人文科学者を活用して英国とイランの信頼関係を築くことで、他のEU諸国や米国を出し抜いて、西側の対イラン外交の主導権を握りたい、という英国政府のしたたかな計算が見え隠れしています。

 (注3)イラン側は、文化遺産・観光庁長官(the director of Iran’s Cultural Heritage and Tourism Organization CHTO))が出席した。イランの副大統領の一人が主催する晩餐会の開催も予定されている。

 イランで先般、保守強硬派のアフマディネジャド氏が大統領に選出され、先月就任した(コラム#769以下)ことに伴い、イランからの出品撤回の動きがあり、改めてこの展覧会の開催が危ぶまれたにもかかわらず、今般つつがなく開会するに至ったことで、英国政府は大いに面目を施したと言って良いでしょう(注4)。

(以上、http://www.dawn.com/2005/09/09/int16.htmhttp://entertainment.timesonline.co.uk/article/0,,14933-1769439,00.html、及びhttp://64.233.167.104/search?q=cache:c5rf4vJMCFwJ:www.mehrnews.ir/en/NewsDetail.aspx%3FNewsID%3D227770+John+Curtis%3Bcurator&hl=ja(いずれも9月14日アクセス)による。)

 (注4)スペインから、同じ展覧会を引き続きスペインで開催したいとの申し出があるが、イランは色よい返事をしていない。

 (2)新しい古代ペルシャ観

 それでは、この展覧会で打ち出された新しい古代ペルシャ観を、部分的に私の言葉に直しつつご紹介しましょう。

(以下、特に断っていない限りhttp://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1564038,00.html(9月8日アクセス)、http://www.ramagazine.org.uk/index.php?pid=288前掲、http://www.rozanehmagazine.com/SeptOct05/here&thereSeptOct.html前掲、http://www.timeout.com/london/events/2/1289.htmlhttp://64.233.167.104/search?q=cache:c5rf4vJMCFwJ:www.mehrnews.ir/en/NewsDetail.aspx%3FNewsID%3D227770+John+Curtis%3Bcurator&hl=ja、及びhttp://entertainment.timesonline.co.uk/article/0,,14933-1769439,00.html(いずれも9月14日アクセス)、http://www.nytimes.com/2005/09/14/arts/design/14pers.html?pagewanted=print(9月15日アクセス)による。)

 アケメネス朝ペルシャは、世界最初の世界帝国であり、その領域は、後のローマ帝国の版図にひけをとらない広さで、東欧のブルガリアから中央アジア、そしてインド亜大陸のインダス川流域から北アフリカのリビアにまで及んでいた。

 キュロス(Cyrus =Cyrus II the Great)王が前539年バビロニアを征服した時、その公正さと寛容さを知っていたバビロニア(Babylonia)(注6)の臣民達は、これを歓迎した。

 (6) バビロニアは、メソポタミア(現在のイラク)南部に前19世紀に興った王国帝国)。首都はバビロン。南のシュメール文明と北のアッカドを征服して、チグリス川ユーフラテス川の間を中心に栄え、後にアッシリアの支配を受けた。アッシリアが衰えると新バビロニア王国(帝国、「カルデア帝国」ともいう)が興り、ネブカドネザル Nebuchadnezzar II)の時に全盛期を迎えたが、ペルシアに征服された。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2。9月16日アクセス)

 この時にキュロスがつくらせたと考えられるところの、バビロンで1879年に発掘された、いわゆるキュロスの円柱(Cyrus Cylinder。イラン所蔵。今次展覧会に出品)上には、楔形文字で宗教的寛容が説かれており、人類史の最も初期における人権宣言であると言えよう。

 そのおかげで、ユダヤ人はバビロン捕囚(注7)から解放され、ユダヤの地に戻ることができ、キュロスは、旧約聖書の申命記に登場するイザヤ(Deutero-Isaiah)によって聖なる王(Lord’s Anointed)と称えられた。(http://enjoyment.independent.co.uk/books/reviews/article309582.ece前掲)

 (注7)新バビロニアのネブカドネザルが、イスラエルの南王国ユダを滅ぼしその住民の大半を前597年と前586年の二度にわたってバビロンに強制移住させた事件。彼らは、新バビロニアを征服したペルシアのキュロス王によって前538年に解放されたが、捕囚民の多くが帰還するには1世紀を要した。(http://www.tabiken.com/history/doc/O/O323L200.HTM。9月16日アクセス)

 ペルシャの歴代の王はいわば啓蒙専制君主であって、服属した土着の支配者や、属州に置いた総督(Satrap)を通じた、一種のゆるやかな連邦制ともいうべき統治を行った。臣民は豊かな生活を享受しており(注8)、かれらは、どんな貧者でも王に直接お目通りがかなった(注9)。

 (8)ヘロドトスは、「ペルシャ人は豊かであり、牛・馬・駱駝・ロバを一頭丸焼きにして食事に供する。・・彼らは固いものは殆ど食べず、山のようにデザートを食らう。彼らはまたワインが大好きで、がばがば飲み干す」とうらやましそうに記している。

 (9) 少なくともスパルタの従属民のヘロット(Helot)よりも、ペルシャ臣民の方がはるかに「自由」だった(http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,6121,1566336,00.html前掲)。 

ダリウス王の時には、スエズ運河の前身とも言うべき、ナイル川と紅海とを結ぶ運河がつくられ、版図全体をカバーする通貨(darik)・徴税・道路網、及び郵便制度がが導入された。

 また、ペルシャ王家が信奉したアフラ・マツダ神のゾロアスター教は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教それぞれに大きな影響を及ぼした。

 このように古代ペルシャ文明は、民主主義的でこそなかったけれど、極めて先進的・精緻・進歩的・寛容な文明だったのであり、メソポタミア文明を受け継いだ古代ペルシャ文明の政治的・行政的・文化的・芸術的遺産は、ギリシャとローマを経由してその後の欧米の文明に受け継がれて行った。

そもそも、ギリシャ人にとっては大事件であったペルシャ戦争などというものは、ペルシャ側から見れば、辺境地帯における無数のこぜりあいの一つに過ぎなかったのだ(注10)。

(10) ギリシャが勝った勝ったというが、ペルシャは後々までギリシャ本土に影響を及ぼし続けた。最終的にはテミストクレスもペルシャに臣従の礼をとっている。(http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,6121,1566336,00.html上掲)

(続く)