太田述正コラム#10596(2019.6.4)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その40)>(2019.8.23公開)

 日本はヨーロッパ的国民国家を形成するためには、その戦略的手段として、ヨーロッパ的資本主義を自主的に形成するほかありませんでした。
 それは外資導入に不利な条件を強いる関税自主権を欠いた不平等条約の下では、外資に依存しない資本主義にならざるをえなかったのです。

⇒「関税自主権を欠いた不平等条約の下」に置かれた開国以降の日本が具体的にどういう状況であったかを踏まえた議論が必要でしょう。↓
 「自国産と輸入品との価格差を調整して、自国の産業を守るため、関税というものが存在している。例えば、輸入品の方が自国製品より10%安かったら、その値段分関税をかけて同じ値段にしてしまう。この関税を自国で自由に設定できる権利を関税自主権という。 幕末の安政条約によって日本は関税自主権のないままの開国を迎えることになるが、当初の輸出税は一律5%、輸入税は生活必需品は無税、船舶用品・食料・石炭は5%、酒類20%、その他が20%であり、神奈川開港の5年後には日本側から税率引上の協議を要求できる、関税賦課は従価税であるという日本側も決して不利益とは言えないものであった。ところが、改税約書によって主要な輸入品89品目と輸出品53品目を当時の従価を基にした5%の従量税とし、無税対象を18品目・その他は一律従価5%に改められた。従価税であれば、価格が上昇すれば関税収入もそれに比例して上昇するが、従量税であれば価格に関わり無く量に応じた関税を払えばよく、幕末の混乱期のインフレによって事実上の関税免除に近い状態になってしまったのである。そのため明治政府は、輸出関税自主権回復と領事裁判権撤廃に血道をあげることになる。」
http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E9%96%A2%E7%A8%8E%E8%87%AA%E4%B8%BB%E6%A8%A9
 以上のような話、と、「外資に依存」するか「しない」かということ、とは無関係だと受け止めざるをえませんが、そうではないというのですから、三谷は、何らかの説明を行ってしかるべきでした。(太田)

 それは不平等条約の改正による完全な対外的独立を求める政治的ナショナリズムに伴う経済的ナショナリズムでもありました。

⇒ここは分からないでもありません。
 ちなみに、大隈は、「神州の土地を典して外債を募集す、是こそ真に国を売るの賊臣なり」と批判された、と自ら回顧しています。
https://books.google.co.jp/books?id=_Q1gBwAAQBAJ&pg=PA207&lpg=PA207&dq=%E5%B9%95%E5%BA%9C%EF%BC%9B%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%EF%BC%9B%E5%A4%96%E5%82%B5&source=bl&ots=jrlQojIjRr&sig=ACfU3U2fz0wqtBSoTMA3bSPamNeRKbXRHw&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwif-dKA7c_iAhW1y4sBHboVCBIQ6AEwBnoECAcQAQ#v=onepage&q=%E5%B9%95%E5%BA%9C%EF%BC%9B%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%EF%BC%9B%E5%A4%96%E5%82%B5&f=false
 (太田)

 そのような資本主義を可能にする客観的条件が日清戦争前の日本にはあったと考えられます。
 つまり、先進産業技術と資本と労働力と平和です。
 これら四つの条件を国家が作ったわけです。
 その四つを具体的にいえば、一、官営事業に象徴される国家による先進産業技術の導入、二、地租をはじめとする安定度の高い歳入を保障する租税制度、三、質の高い労働力を生み出す公教育制度(初等および高等教育制度)の確立、四、資本蓄積を妨げる資本の非生産的消費としての対外戦争の回避、です。・・・

⇒四はさっぱり分かりません。
 ドイツの産業革命を促進した要素として、「1870年から1871年の普仏戦争の結果としてドイツはフランスから賠償金を手に入れており、それで鉄道のような基盤施設に大量投資でき<、>・・・その結果、新しい製鉄技術を使い輸送機関を使って大市場に製品を供給できた・・・と考える者もいる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD
わけですが、日本に関しても、「当時日本の一般予算のほぼ三ヵ年分に等しい訳3億6000万円に上る・・・日清戦争の勝利による・・・賠償金の取得が、日本資本主義のその後の展開に対する旋回基軸=基盤としての役割を果たしたことは改めてのべるまでもない」
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/133017/1/eca0943_166.pdf
話だからです。
 敗けた場合はどうなるって?
 いや、その時々の勝敗にかかわらず、戦争準備や戦争そのものが、画期的な技術革新や社会制度革新を生んできたことを忘れてもらっては困ります。↓
 「国家自体が、もともと軍隊が地域を武力支配するものだった。・・・
 取締役会が運営する株式会社は、イギリス東インド会社に始まるが、これは大英帝国のインド征服の実行部隊だった。
 マルクスによれば、軍事力に依存した帝国主義と、その背後の社会制度である資本主義は、表裏一体である。
 軍事は技術研究、装備調達に留まらず、食料、社会制度等に至るまで人類と広範に関わってきた。
 だから、どのような技術も、軍事と関係があるのはむしろ当然と言える。
 特に時代を遡るほど、人間活動に占める戦争の割合は大きかったので、すべてが戦争と関係していた。」
https://www.canon-igs.org/column/energy/20180115_4643.html (太田)

(続く)