太田述正コラム#8952005.10.7

<大英帝国論をめぐって(特別編)(その1)>

1 大英帝国の離陸とコーヒー

 

 (1)始めに

 「紅茶やコーヒーを飲用する習慣がまず英本国で、次いで欧州で定着し、砂糖の需要が飛躍的に増大します。この砂糖の需要増に答えるべく、西インド諸島におけるプランテーション方式での砂糖の栽培が本格化し、大量の<黒人奴隷>労働力が必要になります」と述べた上で、大英帝国の離陸に奴隷貿易を一つの柱とする三角貿易が果たした役割を(コラム#892で)指摘したところですが、コーヒーそれ自体が大英帝国の離陸と密接に関わりを持っています。

 

 (2)コーヒーの伝播

 コーヒーは、関連産業を含めれば毎年550億米ドルの経済価値を生み出し、1億人を雇用しており、合法的なものとしては、石油についで世界第二位の商品です。

 しかし、コーヒーの存在がエチオピア以外で知られるようになったのは、わずか500年前に過ぎません。

 コーヒーを飲む習慣は、15世紀までにイエーメン経由で、イスラム教スーフィ(Sufi)派の間にまず広まります1555年には、オスマントルコの首都イスタンブールにこの習慣が伝わり、その11年後には同市だけで600店のコーヒーハウスを数えるに至ります。

 17世紀に入ると飲料としてのコーヒーとコーヒーハウス文化が英国(英領北米植民地を含む)や欧州に伝わります。

 (3)コーヒーと大英帝国の離陸

 英国人や欧州人がコーヒーを飲むようになると、水質の悪さからそれまで水の代わりにビールを毎食時にがぶ飲みして一日中意識が朦朧としていた彼らの頭脳は、コーヒーのカフェインが持つ覚醒効果によって活性化し、コーヒーハウスは人々がコーヒーを飲みながら活発に商売や政治論議を交わす場となります。そして、コーヒーハウスで交わされる論議が、やがて啓蒙主義(Enlightenment)の時代の幕を開けることになるのです。

 王制復古の時代の英国にあって、コーヒーの「反体制性」を察知した国王チャールス2世は、1685年にコーヒーハウス禁止令(Proclamation for the Suppression of Coffee Housesを発出するのですが、激しい反発に直面し、わずか16日後この禁止令を撤回することを余儀なくされます。

 大英帝国の離陸にコーヒーハウスが果たした役割は大きなものがありました。

 保険機構のロイド(Lloyd)は、17世紀後半にエドワード・ロイド(Edward Lloyd)がロンドンに開いたコーヒーハウスで、顧客が海事情報や海外情報の交換をしたことから始まりました(注1)し、証券取引所(Stock Exchange)(注2)もコーヒーハウスが起源です。

(注11687年にコーヒーハウス開店、1691年にテームズ河側のTower Streetからシティーの中心のLombard Streetに移転。1771年にthe Society of Lloyd’s発足。

 (2)1698年にJohn Castaingが自分のコーヒーハウスに商品と株の価格表を張りだしたところ、その後同年に素行が悪いとして全員王立取引所(Royal Exchange)を追放になった株式取引業者達がこのコーヒーハウス等で取引をするようになった(http://www.londonstockexchange.com/en-gb/about/cooverview/history.htm10月6日アクセス)も参照した)。

 (4)その他

 米独立革命とコーヒーハウスも切っても切り離せない関係があります。

米独立革命は、1773年のボストンのグリーン・ドラゴン(Green Dragon)コーヒーハウスで行われたボストン茶会事件(Boston Tea Party)の謀議から始まりました。そして、このボストン茶会事件を契機に、紅茶は英本国による「圧政」の象徴として忌避され、やがてコーヒーが英領北米植民地、そして米国の国民的飲料になるのです(注3)。

 (以上、証券取引所を除き、http://www.coffeehousetour.com/http://www.coffee.com.au/coffee_lloyds.htm、及びhttp://www.greendragoncoffee.com/amprefdrin.html(いずれも10月6日アクセス)も参照した。)

 (3)現在、米国人の一人当たりコーヒー消費量は世界一であり、米国のコーヒーハウス・チェーンのスターバックは全世界を制覇している。

18世紀からは、コーヒーはカリブ海や中南米のプランテーションで栽培されるようになりますが、ブラジルが世界一のコーヒ生産地となったのは、英国や欧州で奴隷労働が禁止されてからも、ブラジルでは1888年まで奴隷労働が禁止されなかったため、プランテーションが効率的に維持できたことが大きな要因です(注4)。

(以上、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/07/07/AR2005070701722_pf.html(7月10日アクセス)、http://www.amazon.com/gp/product/product-description/0393060713/ref=dp_proddesc_0/103-2114514-9808650?%5Fencoding=UTF8&n=28315510月6日アクセス。以下同じ)、http://www.praguepost.com/P03/2005/Art/0929/featu3.phphttp://www.findarticles.com/p/articles/mi_m1316/is_6_37/ai_n14707904/pg_2、による。) 

 (注4)現在、ブラジルに次いで世界第二位のコーヒー生産量を誇るのはベトナムだ。これは、世銀、すなわち米国が、コーヒー栽培を勧めたことによるところが大きい。このために、コーヒー価格は暴落している。

(続く)