太田述正コラム#10652(2019.7.2)
<2019.6.29東京オフ会次第(続)>(2019.9.20公開)

E:太田さんは欧州文明を全く評価していないが、ガウス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B9
のような数学の天才を生んでいる。
O:映画評論(コラム#10518)で取り上げた数学の天才(ラマヌジャン)をインド文明は生んだが、インド文明は、その1千数百年前には、まだ、0の概念を生むような、数学にも秀でた高度な文明であったことは確かだけれど、英国統治下にあったこの天才の時代には、見る影もなく落ちぶれていた。
 要は、どんな文明からも、突然変異的に天才は生まれ得る、ということなのだろう。
A:今回の「講演」はセンチメンタルジャーニーでもあるということだが・・。
O:ネフェルティティ像は、特に思い出深い。
 私はエジプト「育ち」であるわけだが、そこで育てば、大抵は、古代エジプトのことに詳しくなる。
 で、古代エジプトで最も有名な家族が、ファラオのアメンホテプ4世、その妃のネフェルティティ、そしてその子のツタンカーメン(今は、トゥトアンクアメンと呼ぶらしい)だ。
 アメンホテプ4世は多神教のエジプトを自分の手で一神教に変え、自分の名前をその神の名前にちなんだものであるイクナトンへと改名した。
 ネフェルティティは、古代エジプトで一二を争う大変な美人だとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%974%E4%B8%96
 (私は、ツタンカーメンの母親はネフェルティティだと思い込んでいて、そう語ったのだが、オフ会の後、彼が、イクナトンとその同父母妹の妃との間の子であることがDNA鑑定によって明らかになっていることを知って驚いた。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3
 ツタンカーメンは、(父親の一神教を再び、多神教に戻したのだが、)若くして死んだけれど、珍しくも殆ど盗掘をされなかったところの、彼の墓から、夥しい埋蔵品が出土したおかげで、最も有名なファラオになった。(上掲)
 このツタンカーメンのミイラのマスク、覆い、やその他の埋蔵品群、については、カイロ博物館の目玉であり、私にとってお馴染みなのだが、ネフェルティティは(、その胸像が私のいた当時のエジプトでは切手になったりしていて、)よく知ってはいたものの、胸像の現物にお目にかかれたのは、(スタンフォード大留学の帰途の1976年、)西ベルリンの(シャルロッテンブルクのエジプト)美術館においてだ。
 その時の展示方法の見事さがこの胸像の素晴らしさと相俟って、息を飲むような美しい光景が目に焼き付いている。 
 この胸像については、発掘当時に、エジプトの当局をごまかす形でドイツに持ち去られた経緯もあり、エジプトがドイツに返還を求めてモメている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AE%E8%83%B8%E5%83%8F
E:この前、三重県の長島一向一揆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B3%B6%E4%B8%80%E5%90%91%E4%B8%80%E6%8F%86
跡地を訪問する機会があったが、最終場面で、信長は、一揆衆男女2万人を焼殺したとされているところ、これは、浄土真宗が太田さんの言うような存在であったこともあり、当然のことだった、と考えてよいのだな。
O:そうだ。
E:家康は、浄土真宗を東西に分割した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
が、それも当然だった、というわけだ。
O:そうだ。
E:太田さんは大学で浄土真宗を軽蔑しきっている同宗派の研究者(笠原一男)のゼミをとった(コラム#1029)というが・・。
O:軽蔑しきるのは分かるのだが、いまだに、彼が、どうして、そんな宗派を専攻したのかが、私には分からない。