太田述正コラム#9072005.10.14

<メディア・中立性・客観性(その2)>

 (本篇で引用されているコラム#350#861の中で選挙に言及した箇所に誤りがあったので、HPとブログ(#851のみ)を訂正してあります。)

 呂は10日の午後遅く、次のように語った。

 太石村の村はずれで、群衆によって暴行をうけて気を失い、意識を回復したのは、広州市の病院で検査を受けている時だった。その後、8日の深夜から9日の明け方にかけて遠路故郷の枝江市に車で連れて行かれた。そして枝江市の病院に入れられ、こうして今、皆さんの前に出ることができた。

 今でも食欲は全くないし、全身が痛む。しかし、生傷が見受けられるのは腕だけだ。

 自分に暴行を加えた連中は、太石村長等当局側に雇われたのだろうが、彼らに対して法的措置等をとるつもりはない。エネルギーとカネの無駄だからだ。しかし、太石村の人々の民主主義とより大きな政治的自由を求める闘いを支援する活動はこれからも続ける。20?30人の村人が拘束されたままだし、多数の村人が村から逃げ出して戻るに戻れない状況だ。

 (以上、http://www.guardian.co.uk/china/story/0,7369,1589186,00.html1011日アクセス)及び一部http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4329396.stm上掲による。)

3 所見

 以上ですが、どう思われましたか。

 英国随一の高級紙の記者がこんないいかげんな記事を書くのか、と思われた方が多いことでしょう。

 しかしこの記者の目には、確かに呂が殺されたように見えたのでしょう。

この記者は、反権力活動家の側に立って取材活動をしており、しかもこれまでの取材活動を通じ、当局側が警察やならず者を使って、反権力活動家に危害を加えるケースが頻発していることを熟知していたことが、その目を曇らせてしまったと考えられるのです。

(更に一ひねりすれば、欧米人が見ている、ということがならず者達がリンチを形だけのものに押さえた理由であった可能性もあります。)

 メディアは中立的である必要はありませんが、それは論説を書く場合においてであって、記事を書く場合においては、中立的であることを心がけないと、記事の客観性が担保されなくなる懼れがある、という良い例ではないでしょうか。

4 補論:太石村騒動から見えてくるもの

(1)中共の農村における「民主主義」の今後

太石村での一連の騒動で、中共の党中央は地方官憲の側に立って傍観しているように見えます。

これまでは、不人気な村長がリコールされることには、どちらかと言えば理解を示していた党中央が態度を変えたのは、昨年来、非共産党員の村長が大量に出現し、これに脅威を感じたからではないか、と言われています。

人民公社の廃止を経て、農村が中共の経済発展の中心となり(コラム#765)、やがて都会にその座を明け渡し始めた頃の1988年に導入された村レベルでの「民主主義」は、今や曲がり角に直面しているように見えます。

そもそも、江沢民は国家主席当時に、中共で全面的に選挙が実施できないのは人民の「質が低すぎるからだ」と言ってのけた(コラム#350)ところ、そんな中共で最も貧しい部分から選挙を導入したこと事態が自家撞着だった、と言えるのかもしれません。そして今では、都会へ人口大移動が続いていて農村は空洞化しつつあることから、この農村における選挙制の意義そのものが急速に低下しつつあるのです。

(以上、http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/4319954.stm1011日アクセス)による。)

このような中、温家宝首相が先月ブレア英首相と会った時、数年後には町(。コラム#906)レベルで選挙を導入すると語った(コラム#861)ところ、先週開かれた中共の十六期中央委員会第五回総会(五中総会)において、三つの省の鎮で首長の選挙が導入されることが決まったという報道が一部で流れています。

これは中共当局として、選挙の導入・拡大は、必ずしも共産党独裁を阻害しない(コラム#887)ことに改めて確信を得たからだ、ということなのでしょうか。

いずれにせよ救いは、呂の例を見ても分かるように、このところ中共の反権力活動家が全国的にネットワークを形成し、互いに手を携えながら農村での改革にとりくむ動きが顕著になってきていることです。

(以上、http://www.guardian.co.uk/china/story/0,7369,1589296,00.html1011日アクセス)による。)

 (2)中共の農村における騒動の構図

 太石村の騒動は、農村で起こっている無数の騒動の一つに過ぎません。

 今、農村の当局は、村または鎮の端っこの土地を開発業者にどんどん売却ししています。要するに都会がどんどん経済発展し、周辺の農村を次第に飲み込みつつあるわけです。そして、すぐ前で述べたように、農村から都会へ人口の大移動が起こっているのです。

 この結果、中共は現在、都会と農村の間の所得格差の拡大と農村における憤懣の蓄積という巨大な問題(コラム#891)に直面しています。

 そして、農村の首長や官憲が、土地の売却益を彼らだけの利益のために使ったり、挙げ句の果ては懐に入れて、民衆が憤懣を爆発させる、といったことが頻発しています。(また、農村・都会を問わず、国有企業の売却に伴い、旧経営陣が不当に安く当該企業の資産を手に入れ、当該企業の旧労働者等が憤懣を爆発させることも頻発しています。)

 最近では以前と違って、このようなニュースがメディアやウェッブで取り上げられることを、党中央が認めるようになっています。

 これは、地方当局がらみの腐敗が多すぎてもはや隠しきれなくなったことと、不正を放置しておいたのでは、共産党の支配そのものが危うくなる、という認識に基づくと思われます。

 党中央の目論見通り、これまでのところ、民衆の憤懣の矛先は地方当局までで、党中央(中央政府)にまでは及んでいませんが、今後ともそうかどうかは誰にも分かりません。資本家にも党員になることを認めた現在、中央政府レベルで腐敗がどんどん広がる恐れがあることを考えればなおさらです。

 しかも、地方当局は、このような中央政府による情報公開・腐敗根絶に向けての動きに多かれ少なかれ反発しています。

 まさに、これらすべてのことが、太石村の騒動に凝縮して現れているのです。

(以上、http://www.guardian.co.uk/china/story/0,7369,1589416,00.html1011日アクセス)による。)

(完)