太田述正コラム#10676(2019.7.14)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その75)>(2019.10.2公開)

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[高田保馬の「東亜協同体論」]

 高田については、それこそ、本当に、何冊か、父親の蔵書があり、どれも読んだことはないのだが、前から関心はあったので、この機会に、前掲(※)中に出て来る、高田の主張の紹介、を読んでみることにした。
 途中で、読み始めたことを後悔したが、とにかく、最後まで読んだところ、斜に構えた内容で申し訳ないが、私のコメントを付しておく。

 「東亜協同体論が論壇で盛んに 論じられていた時期は勿論のこと、一応議論が沈静化して後に書かれた尾崎による総括にも高田は登場してこない。それは、尾崎や蠟山などの昭和研究会の人々の視野から外れていたせいもあろう。さらに昭和研究会の人々にとっては現実的な政策課題として検討すべき対象であった東亜協同体論が、高田にとっては政策論を一歩越えたところにあったせいではないだろうか。以下に高田の主張を『東亜民族論』にそって見ていこう。高田は蠟山の東亜協同体論の地域主義に反駁する見解を表明している。高田は、「東亜を以て一の地域的運命協同体と見る見方がある。此見解は東亜の社会的性質を見誤れるものである」・・・という。彼によれば、「運命協同体」なる用語は「オオストリアのマルクス主義者オットォ・バウアァが民族の本質(運命協同体としての性格協同体)として掲げ出せる概念」であって、学界の主流でもないマルクス主義者の用語を使用する必要はないといって退けている。そのうえで、かれは「運命協同体」の批判を始める。「東亜は如何なる意味に於ても現在まで運命協同体であったことはない」と高田はいう。その定義によれば、「運命の共同は共通の宿命、ことに共同の史的遭逢の中にのみ存する」はずである。しかしその「運命の共同」について、「隔離対立を原則的状態とした日支の間に如何なる運命の共同があったというか」と否定している。日本と中国は歴史的に運命をともにしてきたどころか、それぞれが独立した歴史を歩んできたのであるから、運命協同体とは言い難いという指摘である。

⇒ここまでは、まあ同意だったのだが・・。(太田)

 では将来、東亜が運命協同体となる可能性についてはどうか。「次に、それは東亜が実現すべき課題を示そうとしたということであるかも知れぬが、それでは全く本末を転倒している」とかれは否定する。続けて、「求むるところは東亜の団結であろう。ところが、運命協同体であるがゆえに結束するのではない。団結あるがゆえに運命の共同があり、此共同によってまた結束が新にせらるるはずである」としている。ここに高田の批判の核心があると思う。それを理解するには、高田の社会学における中心概念である「結合」について知っておく必要がある。上記の引用にあった「団結」は、高田の本来の用語では「結合」と表記されるが、高田の社会学の最も基本的な概念である。「結合」は「結合定量の法則」に支配される。高田によれば、「一定の社会内――この社会というのは国家の範囲を以て画らるる所の全体社会の意味に解せられる事を要する――に於ける社会的結合の分量は一定の時代に於いてはほぼ一定しているものである」・・・。高田によれば、「社会の事実について見るに、例えば一の宗教団体が緊密を加える時には国家の団結がゆるみ易く、国家の結合が極めて強固なる場合には宗教団体もさまでは緊密ではあり得ない。かかる関係は殆ど一切の社会相互の間に認められる」(同)という。

⇒高田の妄想に他ならない。(太田)

 さらに、「結合の傾向は結合の機縁あって生ずるのではなく、予め内心の傾向として人人の身体組織の中に織込まれている」(同)という。かれによれば東亜の諸民族論には、「慣習、風俗、信念、学問等における一致、いわば文化の共通」、および「最も根本的なる血液的乃至種的の紐帯」が、「いうまでもなく以前から存在」しており、すでに「生命共同体として」、さらに「文化共同体」であった。

⇒この高田の主張は、イラン、アラブ/イスラエル、欧州、ロシア、アングロサクソン、は、アブラハム系宗教なる文化の共通、および、広義の白人(コーカソイド・セム/ハム)なる血液的乃至種的の紐帯が以前から存在しており、すでに生命共同体にして文化共同体であった、といった命題に匹敵する、戯言に他ならない、と、私は思う。(太田)

 しかし、「それは未だ眠れる東亜である。三同の紐帯の作用がよびさまされねばならぬ」状態にある。「それが為には当然政治的なる組織を必要とする」のであるが、「三同」すなわち同文同種同域を一様に重視するのでなくて、「地域的紐帯のみを重んじ、結束の結果乃至一面にすぎぬ運命共同を掲げ出すこと」によってでは、「東亜の結合」すなわち東亜民族の形成は実現しないというのである。さて論文のこの箇所(「東亜民族の形成」昭和13年11月執筆)について、高田はのちに単行本に収録するにあたって総論的に執筆した「東亜民族の問題」 (『東亜民族論』第一章)でも、「中心の著眼点は組織に非ずして結合にある」 と言っている。すこし遡ってみていくと、「此議論は……将来に於ける東亜の経済政治等にわたって打ちたてらるべき組織の主張である。此主張が組織論を中心にもつことそのことが、……全支那民族をも必ず新しい組織の中にひき入るると共に、一体の意識を以て東亜の各部分を結束するという要求は背後に潜んでしまっていると思う」と、組織を優先する議論に警鐘を鳴らして いる。「東亜民族主義の主張するところは、此自発的なる結合の存在を確認し、進みて結合するものの自衛、自己拡充を求めようとするにある」という高田は、「結合」は「自発的」であるべきだと指摘する。

⇒用語はともかく、趣旨的には同意だ、ということにしておこう。(太田)

 組織についても、高田はそれを軽視したのではなかった。「事変が進展するにつれて、われらは支那の全民族と切りはなしがたい関係に立つことを、統一的なる組織の中に於て協力することの不可避な宿命であることを、自覚するに至った。而もわれらの新に知ることは此宿命が単に外部の事情から追いつめられて到達したもので はなく、各民族の胸の奥底に用意せられてあったという事情である」(高田 [1939:8])と述べている。ここにも、すでに内にあるものが必要に迫られて発現するという高田の発想のパターンが見えるといえないだろうか。ここに言及されている「各民族」とは、当時現に交戦中の日本と中国、そして日本に占領された中国東北地方(満州国)の諸民族であった。それことに中国満州の各民族が、内面的な要求に従って日本に協力する構図は、蠟山 や尾崎にも共通する特徴であった。ここに見て取れるのは、尾崎が指摘したような東亜協同体論の理想主義的な性格であるといえるのだろうか。ところで高田のいう「東亜民族」、「東亜民族主義」とはなにか。「東亜民族というは二のことを意味し得る」とかれは「東亜民族の問題」の冒頭にいう。 ひとつは「東亜の諸民族ということ」である。単数表現をもって複数を表すわけであるが、高田の「東亜民族」はそうではない。二つめが、「東亜の諸民族を包括するところの民族ということ」であり、高田はこれを「東亜民族」といっている。では「包括する」とはなにか。「今までとても、羅甸<(ラテン)>民族といい北欧民族という表現が用いられる。此場合、幾つかの固有の民族が、民族を結びつける紐帯と同一の性質の紐帯によって結びつけられる場合に、これらを一括して広義に於てではあるが、一の民族と呼ぶことになっている。東亜に於ける日本、支那、朝鮮、満州、蒙古等の各民族を一括して、東亜民族というのも全く同一の用義に従う」と、「民族を結びつける紐帯と同一の性質の紐帯」によってであるが、諸民族がひとつの民族として一括りにできるというのである。

⇒仏領インドシナ中のベトナムだって、高田流の東亜生命共同体/文化共同体の一員なのに抜け落ちてしまっていることはともかくとして、仏教という観点からは東南アジアのタイその他の諸地域は日本と文化共同体だと言えるし、英領インド亜大陸だって、その仏教の発祥の地という観点からは日本と文化共同体だと言えないわけではないし、(カトリックの)米領フィリピンや(イスラムの)英領マライや蘭領インドネシアだって、少なくとも日本と生命共同体だと言えそうだ。
 昭和研究会の面々が政治的配慮等から土俵を狭く設定したのを、そのまま前提にして、自分の主張を展開するとは、政治に疎いということなのか、高田は、本件に関しては、折角自由人であった自分の特権を「研究」に活かせないままで終始したようだ。(太田)

 このように高田は、「東亜民族」なる用語が、いわば無理のない用語であることを強調するが、それだけが彼の真意ではない。「私は東亜民族という表現がある意味に於て慣用的のものであることを認むるのみならず、それが必要のものであるとも思う」といって、その「必要」を次のように説明する。「何となればこれらの諸民族の統一又は総合を何人も考えているが、之を表すのに此言葉位に簡潔なものはないと共に、それを結びつける所以の紐帯の性質、従ってその間の結合の性質が愛著による結合、直接的なる結合であることを示すのにかく都合のよいものはない」・・・からである。「東亜民族」は無理のない表現であるとともに、必要な表現でもあるというわけである。ここで高田保馬が民族をどう定義しているか振り返っておこう。かれは 「学問的分析を与うるよりも、理解の近道を述べる」として、「それは血縁と文化の共同によってつながれ、又何れかの時期に於ける地縁によって維がれ、進みては、その結果として歴史に於て遭逢したる運命の共同によって維がれ、最後に、われらという一体の意識によって結ばるると共に、この共同自我の要求によって結ばれている集団である。同血、同文、同域の紐帯によって結ばれ、共同の自我を作り上げている集団である」と定義している。とはいえ高田の現状認識においても、「東亜の各民族が此意味に於て、一の東亜民族をなすとは云われ得ない」と言うように、「東亜民族」が、現にある状態を指すのではないことは明らかである。にもかかわらず、「この同血同文の紐帯にもとづく親和は、地下水の如く東亜民族の底を流れている。相接触せざる間は意識しがたい。接触によってそれは掘り出され、意識にまで上される」というように、「東亜民族」の成立する可能性はあるというのである。

⇒まさに、中共の習近平は、人民を日本人達と接触させることで、その人間主義化を推進しつつある、という意味では、高田の主張の正しさは、高田の想像を遥かに超える形で、結果的に証明されつつある、とも言えそうだ。(太田)

(続く)