太田述正コラム#10698(2019.7.25)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その86)>(2019.10.13公開)

 丸山眞男は、<大東亜戦争中の>「近代の超克」<(注105)>の呼号に反発し、あくまで「近代」をテーマとすることを変えませんでした。

 (注105)「加藤周一・・・は<近代の超克論について、>次のように表現している。「日本浪漫派が言葉の綾で魅惑したとすれば、京都の哲学者の一派は論理の綾で魅惑した。日本浪漫派が戦争を感情的に肯定する方法を編み出したとすれば、京都学派は同じ戦争を論理的に肯定する方法を提供した。日本浪漫派が身につかぬ外来思想の身につかぬところを逆手にとって、国粋主義に熱中したとすれば、京都学派は生活と体験と伝統を離れた外来の論理の何にでも適用できる便利さを利用してたちまち『世界史の哲学<なる近代の超克論>』をでっちあげた。<この>『世界史の哲学』ほど、日本の知識人に多かれ少なかれ伴わざるをえなかった思想の外来性を、極端に戯画化してみせているものはない」
 廣松渉は、<近代の超克論に>京都学派の果たした役割が、時代の世相に促された一時的なものではなく、彼らなりの歴史的な必然性というようなものに基づいた行為だったのだという風に捉え<る>。つまり京都学派の反西洋・反近代の姿勢は、一時的な熱狂の結果などではなく、御大たる西田幾多郎自身に内在していたものであったし、その後継者たちの中にも脈々と流れていた。それが、対米開戦での勝利と言う思いがけない展開を前にして一気に表面化したのが、この座談会での彼らの発言なのだと広松は解釈<する。>・・・
 それは次の三つのテーゼからなると廣松はいう。政治においてはデモクラシーの超克、経済においては資本主義の超克、思想においては自由主義の超克、がそれだ。これらを超克した後で待っているものは何か。それが政治における全体主義、経済における統制主義、思想における復古主義をさすのは自然の勢いだろう。かくして京都学派は、日本ファシズムを理論的に合理化した。その合理化はけっして外在的な理由にもとづいたものではなく、京都学派に内在する論理の必然的な展開であった、と位置付け<る。>」
https://philosophy.hix05.com/Japanese/Hiromatsu/hiromatsu01.kindai.html

 戦後この論文を含む著書が改めて刊行された際に、丸山は当時を顧みて、「近代の「超克」や「否定」が声高く叫ばれたなかで、明治維新の近代的側面、ひいては徳川社会における近代的要素の成熟に着目することは私だけでなく、およそファシズム的歴史学に対する強い抵抗感を意識した人々にとっていわば必死の拠点であったことも否定できぬ事実である」と述べ、「私が徳川思想史と取り組んだ一つの超学問的動機もここにあった」と説明しています。
 丸山の場合、「近代」概念は機能主義的思考様式によって基礎づけられた福沢イデオロギーによって補強され、戦争下の日本の現実を批判する理念的根拠となりました。
 それは戦後においても、1946年5月の『世界』に発表された論文「超国家主義の論理と心理」に始まる丸山の思想活動を貫いたといってよいでしょう。・・・

⇒本来、今年の4月からは、本コラム・シリーズで、丸山を俎上に載せるつもりでいたところ、成行で三谷を先に取り上げてしまったわけですが、丸山が福澤に惚れ込んだなんて、ジョークどころか、丸山の精神が正常だったかどうかを疑った方がいいくらいの話だと私は思っています。
 というのも、丸山は、石橋のはるか上を行く、ISISで言うならばバグダーディに勝るとも劣らぬ、(但し、イスラムならぬ勝海舟通奏低音ないし欧米近代主義の)原理主義的信奉者だったのですからね。
 石橋の場合はともかく、丸山は、日本政治思想史の学者である以上、少なくとも、幕末期以降の、日本の歴史に通暁していることに加えて、日本語文献を的確に解読できなければならないはずですが、福澤が私の言う島津斉彬コンセンサス信奉者であることが見抜けなかったのですから、彼は、福澤の事績に通じていなかった上に、福澤が書いたものを的確に解読する能力もまたなかった、と考えるほかありません。
 ところで、近代の超克論について、丸山はともかくとして、三谷は、読み進めているこの本のタイトルからしても、もう少し、きちんと取り上げるべきだったと思います。
 例えば、加藤や廣松の近代の超克論批判に対する、三谷の評価といった形で・・。
 (加藤による、批判、というか、嘲弄、などは相手にする必要はないかもしれませんが、)「地域主義」論者達に対する私の前述の(ないものねだりの?)批判が「近代の超克」論者に対してもあてはまると思うのですが、和辻や宮沢の思想を取り込んでさえおれば、「近代の超克」論者達は、廣松によって、「全体主義」、「統制主義」、「復古主義」、という、否定的諸属性でもって自分達の主張を一刀両断に批判されるようなことは、少なくとも回避できたのではないでしょうか。(太田)

(続く)