太田述正コラム#10704(2019.7.28)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その89)>(2019.10.16公開)

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[天皇の神性について]

 「日本書紀の景行紀において日本武尊が蝦夷の王に対して、「吾は是、現人神の子なり」とのたまうとあり、万葉集にも天皇を現つ神として歌い奉る物は数多く存在する。柿本人麻呂は「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも」、「やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす…」と歌い。田辺福麻呂は「現つ神 我が大君の 天の下 八島の内に…」、山部赤人は「やすみしし 我が大君の 神ながら 高知らせる 印南野の…」、石上乙麻呂が土佐国に流罪となった際に家族は「大君の 命畏み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を かけまくも ゆゆし畏し 住吉の 現人神 船舳に…」と歌っている。・・・
 <また、>神道の教義上では・・・天皇は皇祖神と一体化した存在として認識されている。・・・
 古くは生き神信仰は全国各地にあったと考えられ、・・・出雲大社の宮司である「出雲国造」を現人神として崇拝する風習も明治期頃までは顕著にみられた。今も・・・出雲国造が他界する事をカミサリと言う。諏訪大社の神職である大祝もまた、諏訪明神の子孫であるとされ、現人神として神聖視された。・・・
 <但し、>国体明徴運動の時期においても、国産み神話なども含む記紀と地質学などとの齟齬に関しての大きな政治問題は発生しておらず、現人神概念は実証主義と切り離された観念論的な概念として扱われていた。この点は欧米におけるキリスト教根本主義の状況と対照的である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BA%BA%E7%A5%9E
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 1913(大正2)年、ドイツ留学中の民法学者穂積重遠<(注109)>(東京帝国大学助教授、後年東宮大夫)は、その日記<で、>・・・次のように言及しています。

 (注109)1883~1951年。一高、東大法。「鳩山秀夫は最優等生と紹介され、重遠は大学の双璧とある。この2人は大学に残ることになる。卒業時は前者が92点、重遠は90点であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%82%E7%A9%8D%E9%87%8D%E9%81%A0

⇒全くの脱線ですが、当時は、東大法で(私の時代に、進振目的で、教養学部の全校学生を対象にその一年の成績を点数表示でつけていたように)成績をつけていたのですね。
 これなら、これだけで、確かに、概ね、順位が分かります。(太田)

 ・・・<ベルリンの>下宿で我が新天皇陛下[大正天皇]の御事が話題に上り、「彼は(全体皇帝のことを「彼」と云ふのだからね)人望があるか」と尋ねたから、「人望などと云ふ問題ではない。
 我々日本人はミカドを神視(フェヤゲッテルン[vergo<←ウムラウト付き>ttern]して居るのだ」と答へたらケゲンな顔をしてゐた。
 以上のよう<な>・・・日独の君主観の違いは、明治日本の憲法起草者たちがヨーロッパにおけるキリスト教の機能を、天皇制がそれを担いうるかのごとく想定し、天皇制を通してそれを導入したことに起因しています。
 これによって近代日本の天皇制は、ヨーロッパのキリスト教に相当する宗教的機能を担わざるをえなくなったのです。・・・

⇒上の二つの囲み記事から分かるように、第一に、「近代日本の天皇制は、ヨーロッパのキリスト教に相当する宗教的機能を担わざるをえなくなったのです。」ではなく、「近代日本の国家神道は、イギリスの英国教に相当する宗教的機能を担わざるをえなくなったのです。」でなければいけないわけですし、第二に、天皇の神視(deify)
https://www.dict.cc/german-english/vergöttern.html
とは、穂積は言い得て妙であり、天皇は神ではなく、神のように愛し崇敬する(同上)対象だ、と指摘しているわけであって、天皇は神ではないのですから、天皇制そのものが、実在すると信じられた神への愛と崇敬に立脚するキリスト教に相当する宗教的機能を担えるわけがないのです。
 担えるのは、天皇の祖先である天照大神を始めとする神々・・一神教の神とは似ても似つかないものでしたが少なくとも人ではありませんでした(典拠省略)・・を愛し崇敬する神道・・明治期・大正期・昭和戦前期においては、国家神道・・であって、ここでのミソは、それが、宗教「的」機能を担えるもの、すなわち、宗教「的」なものではあるものの、宗教ではないところにあったのです。(太田)

(続く)