太田述正コラム#9292005.11.1

<バシャール・アサドの禍機(その2)>

 (2)シリア政府の対応

 シリア政府は、きたるべき国連による経済制裁に備えて、いくつかの消費財を配給制にする検討を始めるとともに、国民の結集を図るために政治犯を釈放したり汚職撲滅運動を行ったり、といったことを考慮し始めました。

更に1027日、シリアを支配するバース党は、シリア国内に居住するクルド人のうちの無国籍者(注6)の解消と、シリアへの複数政党制の導入(注7)の検討に着手する、と発表しました。

(以上、http://www.nytimes.com/2005/10/28/international/middleeast/28syria.html?pagewanted=print1029日アクセス)による。)

 (注6)現在、約130?150万人のクルド人が主としてシリア北部に居住しており(コラム#324)、このうちシリア生まれのクルド人多数の国籍が1962年に剥奪され、現在ではその数が約20万人に達していると推定されている。彼らは公式には土地を所有することも海外旅行をすることも子供を高等学校に通わせることもできない。今年4月頃から、役人がクルド人の家を訪ねて家族構成等の調査を始めており、当時から、シリア政府はクルド人への国籍付与を考えていると言われてきたものの、政府からの正式表明はこれまでなかった。

     このようにクルド人の権利改善が図られるのは、イラクではクルド人が自治権を獲得し、トルコでもクルド人の地位が向上しつつある中で、シリア政府としても、クルド問題を放置できなくなったためだ。

     シリア居住のクルド人は、つい最近までのトルコのクルド人同様、クルド語で本や新聞を出すことが禁止されてきたが、この禁制も早晩撤回を余儀なくされることだろう。

(以上、http://www.nytimes.com/2005/04/28/international/middleeast/28syria.html?pagewanted=print&position=(4月29日アクセス)による。

 (注71963年以来、シリアではアサド家を頂点にいただいたバース党による、事実上の一党支配が続いてきた。今年4月、バース党の指導性を明記したシリア憲法第8条の改正は行わないが、6月には政党法を改正し、それまでバース党以外で活動を許されてきたのはバース党と連合を組んだ社会主義政党だけであったところ、モスレム同胞会(Muslim Brotherhoodとクルド人等の特定民族の政党を除いて、自由に政党を設立することができるようになる、という発表が行われた。(モスレム同胞会は、1982年に反政府蜂起を企て、失敗している。)(http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/GD26Ak04.html。4月29日アクセス)

     今回、複数政党制の導入の検討に着手する旨発表されたのは、憲法第8条の改正の検討に着手するという趣旨のようだ。

 (3)バシャール・アサドの禍機

 つい最近のこの7月に、バシャールとアスマのアサド夫妻(コラム#97。なお、コラム#324663901903も参照)は、ニューヨークタイムスのルポの中で、颯爽と描かれたばかりです(注8)(http://www.nytimes.com/2005/07/10/magazine/10SYRIA.html?pagewanted=print。7月11日アクセス)。

 (注8)バシャールとアスマ、特にアスマの率直な物言いや、休みにはバシャールがアスマを載せて車を運転する、といった飾らない雰囲気は印象的だ。後者はまたシリアの安定した治安状況と、この夫妻の人気をも物語っている

 そのバシャールは、メヘリス報告書が出てからというもの、沈黙を保ったままです。

 振り返ってみると、バシャールは父ハーフェズの跡を襲ってシリアの大統領に就任してからというもの、バース党と軍隊を牛耳るアラウィ派(注9)(コラム#901)の勢力の地盤沈下に鋭意努めてきた、としか思えません。

 (注9)アラウィ派は、バース党を牛耳ってきたこともあって、バース党色に染まり、現在、シリアの中では最も世俗的(secular)な集団だとされている。

 何せ、軍隊はないがしろにされ、アラウィ派が多数居住するビハムラ(Bihamra)地区への投資は削られたのです。

 イラクのサダム・フセインが、自らが属すところの、少数派たるスンニ派を拠り所としてイラクの支配をしてきたように、シリアのハーフェズ・アサドも、自らが属すところの、少数派たるアラウィ派を拠り所としてシリアの支配をしてきたというのに、あたかもバシャールは自殺行為を敢行してきたかのようです。

 これは、バシャールが、伝統に逆らって(多数派たる)スンニ派からアスマを娶った点に象徴されているように、近代感覚を持った改革志向の人物だからだ、としか説明しようがありません。

 先般の内相カナーンの自殺(コラム#926)は、カナーンがメヘリス調査団によって尋問されたことを材料に、バシャールが、アラウィ派最後の巨頭であるカナーンを自殺に追い込み、粛清したということではないか、という声がシリア国内で出てくるのは、このような背景があるからなのです。

(以上、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/10/30/AR2005103001270_pf.html1031日アクセス)による。)

いずれによせ今では、バシャールの権力基盤は、共和国防衛隊(Republican Guardまたは Presidential Guard)を取り仕切る弟マヘル(Maher)と女傑の実姉とその夫である前述のアセフ・ショーカットの3名、並びに母親の実家であるマカルフ(Makhluf)家だけになってしまった、と見られています。

(続く)